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舞台 「ブラウン管より愛をこめて ー宇宙人と異邦人ー」 観劇レビュー 2023/07/01


写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter


写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter


公演タイトル:「ブラウン管より愛をこめて ー宇宙人と異邦人ー」
劇場:シアタートラム
劇団・企画:劇団チョコレートケーキ
脚本:古川健
演出:日澤雄介
出演:伊藤白馬、岡本篤、青木柳葉魚、林竜三、緒方晋、清水緑、浅井伸治、足立英、橋本マナミ
期間:6/29〜7/16(東京)、7/29〜7/30(愛知)、8/5(長野)
上演時間:約2時間10分(途中休憩なし)
作品キーワード:特撮、テレビドラマ撮影現場、差別、ヒューマンドラマ、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★★☆☆


古川健さんが脚本を担当し、日澤雄介さんが演出を担当する「劇団チョコレートケーキ」の新作公演を観劇。
「劇団チョコレートケーキ」は、昨年(2022年)に上演された『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』で、第30回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞している実力のある劇団である。
私自身、「劇団チョコレートケーキ」の舞台は『帰還不能点』(2021年2月)、『一九一一年』(2021年7月)と2度観劇していて今回は3度目の観劇となる。

この劇団は、近代以降の日本の歴史(大逆事件や太平洋戦争など)を扱ってその状況下を生きる人間を描くことで、今を生きる人間たちにも通じるような普遍的なメッセージを問いかけてくる作品作りをするイメージがある。
今作ではそこまで昔の日本の歴史ではないが、1990年代の日本を舞台に今を生きる私たちに響く問いかけがなされているように感じた。
物語は、1990年のとある特撮のテレビ番組を制作する現場を中心に描いたものとなっている。
主人公の井川信平(伊藤白馬)は、正義感みなぎるテレビドラマの脚本家である。
しかし、井川は今までトレンディドラマ(都会に生きる男女の恋愛やトレンドを描いた現代ドラマ)の脚本を担当していたが、脚本のクオリティよりも視聴率重視の制作現場でやっていけなくなり現場を離れた所だった。
そんな井川に、大学時代の先輩で特撮番組の制作監督をしている松村和也(岡本篤)から、特撮ドラマの脚本を書いてみないかと依頼が来る。
井川は潔く引き受けたが、特撮番組現場でも低予算を求められており、怪獣を出さずに1話書き上げて欲しいとオーダーされる。
井川は、特撮愛に溢れる助監督の藤原ゆり(清水緑)や古田彰(青木柳葉魚)のサポートを受けながら、過去特撮番組として放送されていた『ユーバーマン』の「老人と少年」という回をオマージュとして怪獣を出現させないという設定を守り、勧善懲悪では終わらせない人間の不条理な存在を描こうとするが...というもの。

物語はそこから差別について描いていくことになるのだが、今作で描く差別というのは単純に差別することはいけないという説教臭いメッセージ性で終始するのではなく、人々は無意識のうちに差別してしまう生き物であるということを丁寧な人間ドラマとして落とし込んでいる所に素晴らしさを見出せた。
LGBTQ差別だったり人種差別だったり部落差別だったり、そういった差別が今でも取り沙汰されるのは、たしかに差別をする当事者が差別をしているという自覚がないことによって引き起こされるからであろう。
そういったことを説教臭くない形で伝わるように描かれている点が見事だった。

そしてそれだけではなく、テレビドラマの撮影現場が抱える問題として、低予算で撮影しないといけないとか、子供向けだから攻めた脚本は放送できないとか、そういったリアルな事情も上手く絡み合って描かれるのでリアリティがあって説得力のある作品に思えた点も素晴らしい所。
実際の特撮ドラマとなるシーンと現実のシーンをシームレスに描く演出は非常に演劇的で上手いと思ったし、街をミニチュア化したセットを用意してそこに等身大の役者が怪獣となって街を襲い、そこに照明を当てることでその影が本当に街を襲う怪獣のように見せる演出には唸った。素晴らしかった。

さすがは読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した劇団で、一歩間違えれば批判も免れないセンシティブな内容に真っ向から挑んで演劇として成功させていることを一観劇者として賞賛したい。多くの人に観て欲しい演劇作品だった。

写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter



【鑑賞動機】

「劇団チョコレートケーキ」の舞台作品は、いつもハイクオリティでとても好きだったが、たまたま都合がつかなくて昨年(2022年)8月に上演していた『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』は観に行けなかった。そしてよりによってその作品が読売演劇大賞最優秀作品賞を取ってしまった。
そのため、今回の新作公演は観劇しようと思ってチケットを予約した。期待値はもちろん高め。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

特撮映像作品に流れそうな勇敢な音楽が流れ、舞台は「東京特撮プロ(東特プロ)」という特撮番組専門の制作会社のオフィス。監督の松村和也(岡本篤)とテレビプロデューサーの岸本二郎(林竜三)と桐谷慶一郎(緒方晋)はオフィスの机に座ってタバコをふかしながら黙り込んでいる。岸本は、今現在子供向けに放送している特撮番組「ワンダーマン」の15話を制作したいが、低予算で脚本家を見つけてきて欲しいと松村にオーダーする。金をかけて欲しくないと。
松村は電話をする。電話越しの相手は、大学時代の後輩の井川信平(伊藤白馬)だった。井川は電話越しで、今までトレンディドラマのテレビドラマの脚本を担当していたが、視聴率重視で過激さばかりを追及する脚本の執筆に嫌気が差し、担当から外れたばかりだった。松村は、特撮番組の脚本家を探していてよかったらどうかと誘い井川は承諾する。

早速松村は、「特撮プロ」にやってきた井川を部屋へ案内する。松村は井川に妻はいるかと聞き、井川はいないと答える。松村は、ならば帰る時間を気にせず脚本を書けるなと言って、この部屋でカンヅメ状態で篭って脚本を書けることを伝える。松村は早速、山のように過去の「ワンダーマン」の脚本や、1970年代に放送していた特撮番組の「ユーバーマン」の脚本、それから脚本の題材に出来る書類を持ってくる。今まであまり特撮番組に興味を持ってこなかった井川は、この山のような書類を熟読しようと意気込む。
しかし、ここで松村は井川にある強烈な制約を伝える。それは、今度執筆する「ワンダーマン」第15話に怪獣を出現させないというものだった。

「特撮プロ」のオフィス。桐谷、岸本、松村、そして助監督の藤原ゆり(清水緑)とスタッフの古田彰(青木柳葉魚)がいる所に「ワンダーマン」に出演する役者たちがやってこようとしている。スタッフたちは、今回の撮影で起用する女優の森田杏奈(橋本マナミ)のことで持ちきりだった。森田は売れっ子の女優で、丁重に対応しないとマズイことになるという。
森田がやってくる。スタッフたちは、彼女の機嫌を損ねないように丁重におもてなしする。

一方で、井川は部屋にカンヅメの状態で執筆に励んでいた。そこへ、助監督の藤原と古田がやってくる。彼女らは、井川の執筆の様子を見ながら、何か困ったらお手伝いしますよと言いながら、団子の差し入れをする。
井川は、怪獣を出現させずに「ワンダーマン」の第15話の脚本を書かないといけなくて困っていると相談する。そこから、藤原と古田と井川の3人で彼らが小さい頃にハマって観ていた特撮番組である「ユーバーマン」の話で盛り上がる。「ユーバーマン」のエピソードで好きだったものを語る時間になり、井川は「老人と少年」という「ユーバーマン」シリーズでも稀な怪獣があまり出現しないエピソードが印象に残っていると語り始める。「老人と少年」は、地中の中にずっと怪獣が埋まっているので誰もそこに怪獣がいることに気が付かず、終盤でその地中の怪獣が登場する。
今回の「ワンダーマン」の第15話は、その「老人と少年」をオマージュとして、災害によって人間たちが戦争を始めてしまった地球に、宇宙人がやってきて、その宇宙人は地球の人間たちが争う惨状を目の当たりにして、最後に怪獣化するというシナリオを考える。

「ワンダーマン」第15話のワンシーンが描かれる。宇宙人役を演じる下野啓介(足立英)は、地球上で森田杏奈が演じるパン屋の女性に出会う。そこで宇宙人はパン屋の女性からパンをもらって彼女と仲良くなる。これはまるで、宇宙人とパン屋の女性が、「ユーバーマン」でいう老人と少年の関係であるようだった。

この脚本を井川は松村に渡す。しかし、松村は却下する。子供向けの特撮番組なのにここまで差別的な内容を織り交ぜるのは良くないと言う。
しかし井川は、「ワンダーマン」を通して人間という生き物が持つ差別というものを人々に届けたいのだと言う。人間は手が器用だが、器用であるが故にその手によって差別も生み出しうるのだと。もしかしたら、このメッセージはどこにも届かないかもしれないけれど、それでも脚本家はメッセージを発信していくべきなのだと言う。

再び「ワンダーマン」第15話のワンシーンが描かれる。下野が演じる宇宙人は、地球上で人々が戦争をしている光景を見て悲観してしまう。そんな戦争をやめられない人間なんて滅んでしまえと怒りに怒った宇宙人は巨大化する。そして、セットされていたミニチュアに登り、街を破壊しようとする。
その光景を見た、佐藤信也(浅井伸治)が演じるワンダーマンは、宇宙人の街の破壊を阻止しようろ立ち向かおうとするが、宇宙人は戦争を起こしてしまう邪悪な人間たちを退治すると言い張る。ワンダーマンは、その宇宙人の言葉を覆すことはできず、宇宙人を倒すことを諦めてしまう。

井川の周りには、藤原、古川、そして役者の森田たちがいた。井川は、差別というのは誰もが皆いけないものだと分かってはいるが、今自分がやっていることが差別であるという自覚がないからこそ無くならないのだと説く。
井川自身も幼い頃を思い返してみれば、当時は全くなんとも思っていなかったことだったが、大人になってからあれは差別だったと思って反省することがあると言う。井川の小学校の同級生(だったかな?いずれにせよ幼少期の友人だったと思う)に在日であるカナモトという友人がいたけれど、彼に対してやってしまったことを後悔していると言う。また、井川の実家の近くに同和地区というエリアがあって、そこは橋を渡った先のことを指していたのだけれど、おばあちゃんからその先へは行ってはいけないと言われ続けていたと言う。

松村は、井川の熱い情熱に負けてラストは少し松村の方で修正はしたものの、基本そのままの脚本でテレビ局に渡すことになった。しかし、テレビ局側はここまで社会問題を扱っていて差別に言及するような脚本では、お茶の間に放送することは出来ないとお蔵入りになりそうになる。井川や藤原たちは、必死でお蔵入りにしてはならないと松村を説得する。
そして、松村は何かあったら自分が責任を取ると、なんとか放送してもらうようにテレビプロデューサーに交渉する。
その結果、井川が書いた脚本の「ワンダーマン」の第15話は放送されることになる。

再び「ワンダーマン」第15話のワンシーンが描かれる。真っ赤な照明が当てられ、宇宙人は戦争で命を失ったパン屋の女性を抱き上げる。そこへ、拳銃を持った人々が宇宙人の前に押し寄せる。そして、宇宙人が人間ではないという理由で人々は拳銃を向けてくる。
そこへ佐藤信也が演じるワンダーマンが現れるが、台詞が飛んでしまってドラマ撮影はストップする。佐藤は周囲からどつかれる。

井川が「東特プロ」のオフィスにいる時、テレビプロデューサーの桐谷が現れる。あの「ワンダーマン」第15話を放送したことによって、視聴者からテレビ局へクレームが届いているのだと言う。そして桐谷は井川に詰め寄る。松村を説得したのはお前かと。桐谷は井川の経歴を色々調べていて、社会派のドラマの脚本の経歴がある訳ではないのだなと言う。なのに「ワンダーマン」をあそこまで社会派に仕立てる理由なんてあったのかと。
しかし井川は桐谷に食ってかかる。井川は自分の熱い思いを桐谷にぶつける。
結局井川と松村は、次回以降「ワンダーマン」の脚本と監督を任されることはなく制作から降りることになってしまう。

井川と松村が落ち込んでいる所へ、森田がやってくる。森田は井川の脚本に対して、私は「ワンダーマン」の第15話は大好きだったと言って帰って行った。
松村は、きっと森田はどこかで差別を受けたことがある人だったのかもしれないと推測し、それを井川に伝える。

暫く時間が経って、井川は久しぶりに「東特プロ」に立ち寄る。井川はギャラを受け取りに来たようである。井川がオフィスに行くとそこにはテレビプロデューサーの桐谷と岸本もいた。桐谷はこの前とは打って変わって、随分と優しそうに社会派のドラマ脚本家を探している制作会社を紹介するよと言う。そして今更、「ワンダーマン」第15話は良かったと桐谷は褒める。岸本はしかし如何せん子供向けの番組だからと言う。

井川と松村は久しぶりに電話で話をする。そこで松村は、実は自分はあの時から男性と一緒に暮らしているのだとカミングアウトする。井川は、やっぱりとリアクションし、だから最初あの脚本を読んだ時に反対したのですねと理解する。

「ワンダーマン」第15話のラストシーン。夜空には沢山の星が輝いている。宇宙人とワンダーマンが二人で星空を見上げる。ここで上演は終了する。

たしかにストーリーをおさらいすると多少説教臭い部分もあるかもしれない。しかし、人々が忘れてしまいがちなのは、差別というのは無自覚や無関心、無知によって無意識的にやってしまうものであるということ。誰もが差別をしたくてしている訳ではなく、無意識的な行動が結果差別を生んでしまっていること。そんなことにハッと気付かされただけでも今作を観劇して良かったと思う。
そしてそれを明示的に劇中で表現していたシーンがあって、先ほどのストーリーには書きそびれてしまったのだが、差し入れされた団子に対して古田が「日本人であれば誰でも美味しいと感じる」という発言をしていて、それに対して森田がすかさずその「日本人であれば」というのが差別に繋がるというようなことを言っていてハッとさせられた。たしかにこのような表現であれば自分だった言ってしまいがちだと思うし、そういった無意識、無自覚から差別というものがくるのだとハッとさせられた。
あとは、ドラマのワンシーンと普通のシーンをシームレスに描いていて、そういった手法が取れるのも演劇の一つの良さで演劇を活かした作品でもあるよなと思った。
時代設定や特撮の番組制作の現場に関しては、フィクションではあるけれど、たしかにこういった事情というのはありそうだよなと思いながら観劇していてストーリーに違和感が全くなかった。低予算で制作しないといけない。視聴者にウケるもの、つまり誰が観ても楽しめるものを作らないといけない。そういった制約はたしかに重要だが、それは逆にクリエイターを苦しめることにも繋がる。そんな不条理はリアリティあるし、きっとテレビプロデューサーの桐谷も岸本も、井川に本当はあんなこと言いたくなかったのだと思う。しかし、テレビの世界はそうはいかないから。仕方なくそうするしかなかったのかなと思う。登場人物が皆血の通った人間に思えてきて心動かされた。

写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

「東特プロ」のオフィスと撮影現場が並列されているような舞台セットで、その構造がドラマシーンと現実シーンをシームレスに行き来する演出を効果的にしていた気がする。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていくことにする。

まずは舞台装置から。
ステージは大きく分けて3つのエリアに分かれている。一つは下手側の井川が脚本を書くためにカンヅメにされる部屋として使われる空間、一つはステージ中央の特撮現場の撮影で使われる街のミニチュアが置かれた空間、そしてもう一つが上手側の「東特プロ」のオフィスである。
まず、下手側の脚本執筆の空間には、デスクと一つの椅子(井川が座る用)が置かれていた。デスクは大量の紙の資料が置けるほどのスペースは確保されている。デスクの手前にはソファーが客席に対して垂直に置かれていた。井川が基本的には移動するエリアだったかなと思う。
中央の撮影現場スペースには、正方形の街のミニチュアが置かれた台のようなものが置かれていた。台の柱部分には「特撮プロ」と黒文字で書かれていて印象に残っている。ミニチュアの後方には、青空をイメージしていると思われるパネルが設置されていた。基本的には明るい青で塗られていて、所々雲のような白く塗られた箇所もあった。ここでは、宇宙人が街を破壊するドラマシーンが描かれるだけでなく、他のドラマシーンも描かれるし、井川が幼い頃に在日や同和地区に対して差別していた話をするシーンも描かれる。
上手側の空間には、舞台後方から手前に長く伸びる机が置かれていて、そこには複数の椅子も用意されている。序盤はそこに、岸本や桐谷といったテレビプロデューサーが腰掛けていた。
舞台装置は作り込んでいる感じではないが、今作を描くにはベストな舞台空間で、ドラマシーンと現実シーンを上手く描けるような工夫がなされていたと思う。

次に舞台照明について。
舞台照明は基本的には、ドラマシーンの時に特殊な照明が当たることによって、現実シーンとドラマシーンの切り分けが上手くなされていた。私が好きだった照明演出は、人間同士が戦争をしているので、宇宙人が怒って巨大化して街を破壊しようとするシーンの照明。上手と下手にある横入れのスポットライトで役者を照らしていたのだが、そのシルエットがいかにも巨大化して暴れているように見えて、こんな演出見たことないと思って唸った。素晴らしかった。この手の演出手法は、他でも色々活かせそうで面白いと思った。
あとは、パン屋の女性が襲われて、それを宇宙人が助けたときに拳銃を持った人間たちに囲まれてしまった時の赤い照明。あの真っ赤な照明は特撮っぽさがあって好きだった。普段あそこまで真っ赤に照明を照らすシーンもないので楽しそうだなと思った。
最後の星空の照明演出も良かった。たしかにラストシーンがあそこまでロマンチックなものを描けるって素敵だなと心から思えた。

次に舞台音響について。
こちらもかなり好きだった。まず冒頭のあの勇敢な感じの威勢の良い音楽から始まるとなんだかワクワクする。そしてめちゃくちゃ特撮っぽさ(ゴジラとかウルトラマンぽさ)がある。
あとは、平成や令和にやっている特撮というよりは昭和の香りのする特撮という感じも出せていて良かった。1990年はぎりぎり平成だが、昭和みたいなものである。
あとは、宇宙人が巨大化して邪悪化した時の声のエフェクトも良かった。あれって足立さんの胸にマイクか何かを仕込ませて、シーンによってエフェクトをかけられるようにしているのだろうか。それにしても、怪獣っぽさを上手く演出出来ていて素晴らしかった。

最後にその他演出について。
舞台設定が1990年の日本なので、役者の喋り方であったり服装だったりが、まだまだ昭和感漂う感じがあって素敵だった。テレビプロデューサーが着ているスーツのあの茶色い感じの色合いだったり、タバコをオフィスで吸っている感じだったり、カンヅメで脚本を書けと言われる雰囲気だったり、演出も発言内容も昭和っぽさがまだまだ残っている感じが好きだった。
あとは、松村を演じる岡本篤さんの癖のある喋り方も好きだった。なんとなくあの時代の偉い男性にいそうな訛った感じの喋り方が良かった。テレビプロデューサーの岸本を演じる林竜三さんの喋り方も癖があって良かった。たしかにあの時代の偉い男性って癖のあるしべり方をするイメージあるけど、それってなんでなのだろうか。
あとは、やっぱり現実シーンとドラマシーンをシームレスに描く演出手法が功を奏していた。2022年9月に上演された玉田企画の舞台『영(ヨン)』もドラマ撮影現場の話だったが、演出的にも脚本構成的にも今作の方が上手くいっていると個人的には感じた。先ほど記載したように、宇宙人を巨大化して街を破壊しようとしているように照明演出で見せる演出は群を抜いて良かったし、ある種の劇中劇みたいに今作のメッセージとドラマの中でのメッセージを重ね合わせている感じも良かった。ラストの星空のシーンはロマンチストと劇中でいわれて、この芝居自体だってラストは星空のシーンで終わっている訳だし。あとは、現実シーンでドラマをお蔵入りさせないと決起する一致団結感は、ドラマでも戦争中で皆拳銃を持って奮闘している光景とリンクしていて面白かった。

写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

劇団チョコレートケーキの舞台でお馴染みの役者の方も、他の舞台で拝見したことがあったり名前は知っていたけれど演技を観るのは初めてな役者の方もいたりで、とても満足度の高いキャスティングだった。そして皆演技が素晴らしかった。
とりわけ注目していた役者の方について記載していく。

まずは、主人公の井川信平役を演じた伊藤白馬さん。伊藤白馬さんの演技を拝見することは初めて。
情熱を持って脚本作りに取り組む若さを持った脚本家という感じで、彼の正義感の強い情熱に魅了された。とてもハマり役で、若いからこそ尖っている感じ、そしてそこから来る正義感からテレビ局に対して歯向かっていく感じが良かった。しかし、もう少し自分が若ければその情熱にもっと魅了されたのだと思うが、もう30歳を迎える歳になってしまうと、その正義感むき出しな態度に若干腹立たしさも感じられた(もちろん、良い意味で)。
特に印象的だったのは、終盤のテレビプロデューサーである桐谷に歯向かうシーン。あそこまで正義感をむき出しにして権力者に歯向かったら首が飛んでしまうよと非常にヒヤヒヤしながら観ていた。それと同時に、自分は桐谷側に感情移入して腹立たしさも感じられた。あのシーンが作り出す良い意味での緊迫感が、自分の感情をかき乱してくれて良かった。
そして、幼少期を回顧するモノローグで、自分だって昔は差別はしていたと在日や同和地区の話を取り上げるあたりも好きだった。もちろん伊藤さんの演技としても好きだったが、そこで井川という人物自体が凄く好きになれた。自分も、そうやって過去の過ちに対して素直に向き合える人間になりたいと思った。

次に、松村和也役を演じた劇団チョコレートケーキ所属の岡本篤さん。岡本さんの演技は、『帰還不能点』(2021年2月)、『一九一一年』(2021年7月)と劇団チョコレートケーキの舞台ではお馴染みの役者でお目にかかるのは3度目。
1990年というまだまだ昭和の色が抜けない時代の監督という感じがあって、あの喋り方が独特な感じが良かった。そして、最初は井川が書いてきた脚本についてNGを出すも、井川の情熱に負けてその脚本でGOを出して責任を取る感じがなんとも良かった。最近はそんな立場の人間に感情移入しやすい気がする。
そして井川との会話のやり取りがどのシーンも最高だった。大学時代の先輩後輩という間柄だからこそ成立する言葉のキャッチボールが凄く味を出していた。仕事なのだけれども、少し気楽に井川に接する感じが良かった。
そしてラストの実は男性と住んでいた(つまり同性愛者)というオチは個人的には意外だった。社会派作品が好きになれない人々ってどこか当事者だったりするからこそ好きになれないものなのだろうか。

テレビプロデューサー役の岸本次郎役を演じていた林竜三さんと、桐谷慶一郎役を演じた緒方晋さんも素晴らしかった。林竜三さんは『一九一一年』で、緒方晋さんの演技は『帰還不能点』で観劇している。
お二人のどっしりと構えた重鎮感は素晴らしかった。どうしてもテレビプロデューサーというのはお金のことを考えて番組制作しなければいけなかったり、視聴者の意見を聞かないといけなくなる。作りたいものを作れば良い環境ではないから、きっとその板挟みにずっと堪えてきた人々なのだろうなと思う。
桐谷を演じた緒方晋さんの、あの正義感むき出しの井川に対する仕打ちが本当に恐怖だった。自分の大学時代の恐れられていた教授を思い起こされるほど、その権力者としての圧と怖さがあった。それを見事に演じ切っていて素晴らしかった。

助監督の藤原ゆり役を演じた「うさぎストライプ」所属の清水緑さんも素晴らしかった。清水さんの演技は、青年団リンク「やしゃご」の『きゃんと、すたんどみー、なう。』(2022年7月)、うさぎストライプの『あたらしい朝』(2023年5月)で演技を拝見していて、丁度数日前にCoRich舞台芸術まつり!2023春で演技賞を受賞したばかりで、勢いのある清水さんの演技を今作でも堪能した。
今作での清水さんが演じる藤原という人物は、若くて熱い助監督。いつも井川の味方でいてくれて、井川の書く脚本に対しても凄く気に入ってくれて心強い存在。また、何かといつも熱い存在だから、ついつい魅入ってしまう。素晴らしい演技で印象に残った。
清水さんはますます演技の幅を広げていらっしゃってとても勢いのある小劇場の俳優さん、今後も引き続き応援したいし出演作品をまた観てみたい。

最後に、森田杏奈役を演じた橋本マナミさん。橋本さんは、テレビ出演でよく知っていたが、舞台で演技を観るのは初めて。
作品中に登場する森田という女優は、売れっ子女優の設定で機嫌を損ねられてしまうと厄介な存在。まさしくテレビ業界にありそうな設定だと感じた。また、そういったオーラをしっかりと持ったハマり役だと感じた。
怒らせるととても厳しそうな感じがあって、古田がちょっと差別に捉えかねない発言をするとそれを是正する。そして、最後は井川の脚本が良かったと言って帰る。目立ってはいないけれど重要な役をそつなく熟されている印象があって良かった。

写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

さすが今年の読売演劇大賞で最優秀作品賞を受賞した団体だと思うくらい、今回の「劇団チョコレートケーキ」の新作公演は素晴らしかった。今までで一番好きだったのは『一九一一年』だったが、今作の方が好きだったのでトップに躍り出た感じだ。
普段は、戦争といった日本の近代史を扱ってヒューマンドラマを描く劇団なので、今作が情報解禁されたタイミングで、1990年の特撮番組の制作会社が舞台と聞いて、随分と趣向を変えてくるんじゃないかと私はみていた。
最近、中堅の劇団や演劇ユニットは、作風を一気に変えて新作公演を打つ機会が多いように感じる。例えば、ロロだったら『ロマンティックコメディ』(2022年4月)で一気に作風を変えてきたし、玉田企画も『영(ヨン)』(2022年9月)で作風が大きく変わった。また今年に入ってゆうめいも『ハートランド』(2023年4月)で作風を大きく変えてきた。
そして今回の劇団チョコレートケーキもきっといつもの作風とは大きく変わってくるんだろうなというのをあらすじだけ見て感じていた。しかし、たしかに描く時代はいつもと違うかもしれないが、不思議と過去と全然違うとは思わず、すんなり受け入れて素晴らしさを堪能出来た。
それはきっと、正義感みなぎる主人公と、社会や組織に統制される周囲の環境、そして権力者たちの対立をヒューマンドラマとして描くという観点では全く同じだったからかもしれない。そこに劇団チョコレートケーキらしさがあって好きになれた。そしてむしろ、1990年という今と近い時代を描いているからこそ通じる部分や共感する部分も沢山感じられて好きになれたんじゃないかと思う。
ここでは、そんな劇団チョコレートケーキの新作公演で描いている特撮番組の脚本と、差別について考察していこうと思う。

私が幼少期だった頃によく観ていた特撮ものは「ウルトラマンコスモス」(2001年〜2002年)だった。主人公は杉浦太陽さんが演じていて、コスモスはどちらかというと、今までのウルトラマンシリーズよりも優しさに重きを置いたストーリーだったように思える。杉浦さん自身も逞しい男性というよりは優しい印象があるし、「コスモス」という名称にも力強さよりは優しさみたいなものを感じる。
「ウルトラマンコスモス」には、「カオスヘッダー」という宇宙に生息するウイルスがいて、そのウイルスが人間に害を与えない怪獣たちに感染することによって、その怪獣が凶暴化するという設定だった。もちろん、「カオスヘッダー」が出てこない単純に人間を攻撃してくる怪獣が登場する勧善懲悪なエピソードもあったが、「カオスヘッダー」が取り憑いた怪獣と戦うウルトラマンコスモスのエピソードの方が印象に残っている。
というのは、「カオスヘッダー」が取り憑いた怪獣というのは、元々は人間に害を与えない怪獣たちであるため、その怪獣を殺してしまうと人間に害を与えない罪のない怪獣を殺してしまうことになるから、だからこそコスモスは、凶暴化した怪獣から「カオスヘッダー」を追い払って保護しなければいけなかったのである。
これは、普通の人がイメージする勧善懲悪の特撮ものとは少し違って、ヒーローが倒す怪獣側にもストーリーがあるという複雑なものであるため、当時幼かった自分の脳裏にも焼きついているのだと思う。
それと同じように、今作の主人公である井川も、単純な勧善懲悪の特撮もののエピソードよりも、ちょっと不条理の混ざったエピソードの方が記憶に残りやすかったし、心に響きやすかったから、「老人と少年」という「ユーバーマン」のエピソードをオマージュとして、ただの勧善懲悪にはならないような脚本を書いて、子供たちに作品を届けたのだと思う。


こちらの記事でも、特撮ものの脚本を書く上での心構えとして、特撮脚本家の上原正三さんがコメントしている内容が興味深い。上原さんは特撮ヒーローを書くうえで心がけていることとして、「怪獣の目から見たウルトラマンはどう見えるのか、その視点をぼくは大事にする。やっつけに来る正義の味方に対して、おまえは本当に正義か、という問いかけを怪獣の目がしているのかもしれない。そのせめぎ合いを書くのが、特撮怪獣ものの面白さだ。」(記事より引用)と言っている。

差別というのは、本当に自分が差別をしているという自覚がない所で起こるものばかりであると私も思っている。差別をしたくて意図的に差別してくる人はもはや単なる悪人である。無自覚で差別することで人を傷つけることがあるからこそ、この世から差別はなくならないのである。
だからこそ、自分は絶対に悪人になり得ないということはなくて、自分のどんな発言や行動が誰かを傷つけるか分からない。劇中に出てきたように、古田の「日本人なら誰だって美味しいと思える」という何気ない発言が誰かを傷つけるかもしれない。
そしてそれは今作では脚本家自身の葛藤としても表現されている。井川は、「ワンダーマン」の第15話を通して人間が持つ愚かさと差別を描いた。人間同士が戦争で争っている様子を攻撃する宇宙人に対して、それを正義という名のもとワンダーマンが成敗することに対して疑問を投げかける形で不条理を描いた。それはまるで、先ほどの上原さんの「やっつけに来る正義の味方に対して、おまえは本当に正義か、という問いかけを怪獣の目がしているのかもしれない。」という言葉にも通じてくる。

そしてそのヒーローというのは、その特撮ものの脚本家自身の自己投影でもあるかもしれない。この脚本を放送することで、多くの視聴者に届けることによって、それは自分では正しいことだと思っていても、それによって誰かが傷つくのかもしれない。
差別はよくないという題材を取り扱うことによって、逆にそのテーマによって傷つき苦しむ人が出てしまうかもしれないという矛盾。そんな自己矛盾を抱えているのは、ワンダーマンというスーパーヒーローであり、特撮の脚本を務める井川であり、そして今作の脚本、演出を手がける劇団チョコレートケーキの古川さん、日澤さん自身かもしれない。もしかしたら、この作品を観劇して傷つく人ももしかしたらいるのかもしれない。

でも表現はしていかないといけない。そんな意味で、劇団チョコレートケーキはかなり踏み切って今作を上演しているに違いないと思った。差別を描く作品は、一歩間違えたら炎上することだってあり得る。
だからこそ、そんな勇気を絞って上演している今作の創作者たちには拍手喝采だし、こうやって創作をしていかないと届けたいものも届けられないので、凄く作品中に登場する内容が現実世界とも上手くリンクして素晴らしいと感じた。
さすがは、劇団チョコレートケーキ。今後も当劇団の作品を観ていきたいなと思う。

写真引用元:劇団チョコレートケーキ 公式Twitter



↓劇団チョコレートケーキ過去作品


↓清水緑さん過去出演作品


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