5分でわかるギリシャ哲学! 魂の三分説 英仏独の違い
魂の三分説
ソクラテスは、人間の魂が、理知、気概、欲望に分かれていると述べた。
この、理知、気概、欲望を現代語でわかりやすく言い直すと、大体以下のようになる。
理知=人間的意思=文明=知的好奇心
気概=人間的感情=文化=敢闘精神
欲望=動物的本能=野蛮=快楽欲求
ソクラテスは、理知に優れた人間を金の人、気概に秀でた者を銀の人と呼び、王である金の人と戦士である銀の人だけが政治に関わるべきだと説いた。
動物的本能しか持たない存在が政治に関われば、必ず国家が私物化されて、全てが破綻することになるということが、彼の考えであった。
日本語で言うならば、理知は「もののあはれ」、気概は「あらみたま」となるだろう。
とはいえ、筆者は理知と気概を完全に分離できるとは考えていない。
これらのものは連動して関わっている。
意識的な観察にはそれを行うための志が必要なものであって、感性と理性を完全に分別することは不可能だ。
ヨーロッパ三分説
イギリスとドイツの対比
イギリス経験論 実体を観察して、工夫と応用を試みる 産業革命の起源
ドイツロマン主義 妄想を基に屁理屈をこねくり回す 現代に至るまでのドイツの政教一致の根底 己を甘やかすことにしか興味を持たないオタク
フランスとドイツの対比
フランスのサルトルのアンガージュマン 実体に能動的に関わる積極性
ドイツのナチス親衛隊のアイヒマン 権威に従順な保身 他者を犠牲にすることに恥を覚えない
これらのことを考えれば、
理知の国=イギリス
気概の国=フランス
欲望の国=ドイツ
と分類することが出来る。
ちなみに、無宗教的=ルネサンス的なのがイギリスや北欧(ノルマン)であり、カトリック的なのがフランスやスペイン(ラテン)であり、プロテスタント的なのがドイツやオランダ(ゲルマン)である。
実体に基づいた議論を重んじて国家公共のために判断を行うのが、民主主義というマインドである。だが、多数決の結果を絶対視するだけの民主制というシステムにそれが破壊され、その結果としてナチスが生まれた。
ナチスという政党は国家の私物化を行っただけの宗教団体でしかなかったが、ヒトラーの最終目標はゲルマン民族による世界の私物化であった。
余談
ニーチェはプロテスタントに汚染された権威主義者のことを畜群と呼んでいた。
仏教においてはこうした者は畜生道と呼ぶことが出来る。
金の人や銀の人とは異なって、畜群の彼等や畜生道の彼女等は公共性を持ちえない。
そもそも、プロテスタントは自らが選民として救われることや、蓄財に励むことを目指している宗教である。これは、徹底的に人間の強さを否定し、動物的な弱さだけを増長させるわけだが、小市民的な奴隷を造るには徹底的に都合がよい。
マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でカルヴァン派プロテスタントは、そうした奴隷を造るための労働教であると訴えていた。
「服従することに疑問を持たないことが優秀であるということだ。」とは、愚かさの神であるヒトラーの発言である。
優秀な奴隷だけを集めたナチスドイツは、優秀な指揮官が存在しないが故に、敗戦を迎えることになった。
動物的本能しか持たない畜生道を無理矢理に宗教で縛り上げて束ねて群れを造っても、それは人間の国家にはなり得ないのだ。
果たして、現代において、日本は理知の国なのだろうか? 気概の国なのだろうか? それとも…?
追記しておくが、現代のアメリカは、アングロサクソン(イギリス系白人)ではなくて、ドイツ系白人が、最大多数派である。
カルヴァン派プロテスタントのトランプ前大統領も、最大多数派に所属している。
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