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現代社会の幸せの定義について



マツコ様の哲学

 Twitterのタイムラインに興味深いリツイートがされていたので共有したい。誰もが知っている国民的芸能人マツコ・デラックスさんが、幸せに関して言語化している。
 幸せとは何か?幸せを考えた人が自問自答することによってたどり着いた仮説が現代の呪いを解く手助けになるはずだ。本人の口から発せられるコトバを聞いた方が納得するだろうから、リンクを貼っておく。その動画を見てくれたなら、この記事は読まなくてもいい。


 いかがだったでしょうか?ドキッとしませんでしたか?私は無意識に幸せの定義を他人に委ねてしまっていたことに気づきませんでした。そして表面の幸せ、誰もが共通認識できる幸せ(結婚・出産・お金・美)こんな分かりやすい幸せなはずがないと理解しながらも、それを求めてしまっているのは、ネットが普及してから加速した気がする。


幸せという正解のない欲求について考える

 人それぞれ何が幸せを感じるかは千差万別だろう。それは皆も知ってるはず!しかし、私達は何処かで幸せを感じることが出来なくなっているのではないか?千差万別を知りながら、他人との比較で幸せか幸せではないかを決めてしまってる。人は自分が持ってないものを羨ましがるor欲しがる傾向がある。そして、欲しいモノ・コトが出来ると、あたかも幸せになる!という幻想を生み出してしまう。私はこの仮説が今のところ有力候補だ。

手に入れたい何か


SNSが普及した世界での幸せ

 私が浪人していた頃2013年にInstagramが流行りだした。その頃は何も知らなかったが、大学の友人が教えてくれたのだろうか?よく自分でもキッカケが分かっていない。最初に投稿したのはペットボトルをノールックでゴミ箱に入れる動画をアップロードしたのをよく覚えている。しかし友人16,7名のフォロワーで、今考えるとかなり少ない。
 途中からインスタを使用しなくなった時期が何回かあった。精神が壊れてしまいそうなくらい他人と比較出来てしまうからだ。浪人ということもあり、大学受験を1年かけてするのである。無事、実力以上の大学に合格して、大学生活をスタートした。
 
 大学生活はまるでパラダイスだった。サークル活動、恋愛、ファッション、バイト、入学して自由さを手に入れた気がした。この2014年以降加速度が上がった気がする、キラキラした投稿が増えてきたのだ。最近だと芸能人のアカウント創設や企業・セレクトショップなど参入してきている。もはや生活の一部としてインスタがある。この世界では自分が楽しい時間を過ごしている一瞬を写真として切り取り、友人に見せびらかす行為を無意識に行っている。

 写真や動画で伝わりやすい例が「楽しいことをしている映像」「オシャレな投稿」「高級感・ブランド」「おいしそうな料理」があげられる。これが今の若い世代まで当たり前の幸せと思っているひとが多い。他人に見せる幸せ・自己承認欲求というのだろうか? そこから派生して、他人の生活が垣間見えるので、自分の現状と比較して幸せを測るのがスタンダードになりつつあり、結婚や娯楽(お金の存在が前提としてある)が幸せなんだと思い込んでしまうのがこのSNSの幸せになっている。いい面もあるが、悪い影響の方が大きくなってしまい、不幸になる人が増えていくだろう。そこに追い打ちをかけるようにTiktokやYoutubeがあり、この相乗効果は計り知れない。
 

最後に

 SNSの自己防衛は喫緊の課題であるし、SNSは一部に過ぎないという認識と幸せは一致しないことを頭に入れることはワクチン接種と同じくらい大切だと思う。そして、マツコデラックスの言う通り他人を介在させない幸せが本当の幸せだということを改めて納得できてしまう。
 自分の幸せは他人とは違うのは当たり前であって、そんな簡単に表現できるとは思えない。もし、お金や美貌・結婚が幸せだと思うならそれでいい。ただ、待ってるのはその幸せはフィクションだよ。と伝えたい。


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