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『世間体第一主義の環境』、『言ってはいけないという思い込み』、『言っても無駄』の絶望を開放へ。

28歳の時、自ら両腕の内側を切った。

幼い頃から家では、我慢とバランスをとる役をしていた。
耐えて当たり前、人に合わせて当たり前で、自分の限界にも鈍くなっていた。
それは私のベースとなり、職場でも支配的な人、クセのある人を引き寄せた。
自己肯定感は根っこから失っていたので、嫌だと意思表示など出来るはずもなく、どんな理不尽なことをされても、扱いを受けても、自分が悪いんだ、ダメなんだと募るのは罪悪感だった。
どんな人に対しても、いいところを見ようとする心も持っていたので、そこも裏目に出て、更に耐えることが板についていた。

そして、28歳の時に、はい。

生きるためには、死ぬしかない。とでもいうか。
そうする以外ない。と。

が、結果死にきれず。
その姿を見た父親は泣き、絞り出した言葉は、「これはここだけの話しにしてくれ。」
母親はオキシドールを持ってきて、「消毒を。」と。父親も、「ああ、消毒。」

到底この2人には任せられない。
なかなか死ねるものじゃない。
生きていくなら、少しでもマシな状態でいたい。

私は、「病院に連れて行って。」と。
父親は少し考えてから、「やっぱり行こう。」と、近所の医院に電話をした。

医院での処置は、縫合と点滴のみ。
母親は、「口外しないで下さい。」らしきことを言って封筒を差し出し、医者はそれを受け取っていた。

抜糸まで、毎日通院することになる。
ある日の看護師は、面倒くさそうに消毒をし(するふりをして)、昨日替えた、その日着けてきたガーゼで再び傷口を覆った。
カーテン越しに看護師の声が聞こえた。
「あの子にはこれで十分でしょう。」

その後、その出来事を母親に話すと、「別におかしくないんじゃない?」といった反応しかなかった。

信じられるものなんか、あるの?

娘の命より世間体が大事な親。
そもそもその程度の命なら、死ぬしかないと思い詰めるほど悩まなくてよかったじゃないか。。

・・・・・・・・・・・・・

人生後半に入った今。
やっと自分を大切にするということに向き合えるようになってきた。
傷跡も勲章。

私、頑張ったねって、ちゃんと誉めてあげなくては。

自身の浄化と癒しと赦しを想い、ここに書き留めておきたくなりました。
傷ついた人達の痛みが、少しでも軽くなることも祈って。

読んでくださり、ありがとう。




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