【世界教師デー】教育に関係のある全ての人が大事にしてほしいこと、3つ
【世界教師デー】教育に関係のある全ての人が大事にしてほしいこと、3つ
10月5日は「世界教師デー」です。この日をきっかけに、自分なりの理想の教育について改めて考えてみました。
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1966年10月5日に「教員の地位に関する勧告」が調印されたことを記念し、「世界教師デー」をユネスコが制定しました。
この「教員の地位に関する勧告」は、教師の権利と責任・働き方などについて定めています。
世界教師デーは、教員の才能や使命を十分に発揮するために必要なサポートについて考え、さらに教職という職業の未来を世界規模で再考する日であるとユネスコは言っています。
▼「世界教師デー」(ユネスコ 9/24)
Googleは「世界教師デー」にあたり、日本、ブラジル、イタリア、スペインの教育者のインタビュー記事を掲載しています。
▼世界教師デー 2024: 教師のみなさんのストーリーをご紹介(Google 10/5)
10月5日は、教師の仕事と働く環境、理想の教育の実現を考える日なのです。
💡研究員はこう考える
私は、34年間北海道の公立高校に勤め、昨年3月をもって定年退職しました。お陰様で、希望どおり現在も教育の仕事をしています。
個人事業主として、代々木ゼミナール教育総合研究所と札幌新陽高等学校と契約をしています。北海道天塩高等学校の地学協働コーディネーターも務めています。
日々、教育の多数多様な情報に触れ、教育雑誌や本を読み、教育の課題解決に貢献したいと思っています。
重たい教育課題が山積していて、一筋縄ではいきません。
私自身、自分の価値観や考え方はある程度定まっているのですが、具体的に打つ手となると、様々な人の立場や考えの間で揺れます。
色々な機会をいただき、講演や研修会の講師を務めます。経験を踏まえ「いいこと」はそれなりに言えますが、だからと言って、教育に係る問題がどんどん解決していくわけではありません。
多くの相談を受け、アドバイスをするとお礼を言われますが、相談者から全ての困難が雲散霧消することなどあり得ません。
真摯に考え、少しでも教育の質が高まるよう、自分にできることをやり続けるしかないと思っています。
教育に関係のある全ての人が大事にしてほしいこと
「世界教師デー」の記事を見て、あらためて、自分が大事にしたいこと、願わくば、教育に関係のある全ての人が大事にしてほしいことを三点挙げます。
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第一に、教育の本質に常に立ち返るということです。
英語のeducationは、ラテン語のeducatioから来ています。educatioには二つの派生語があり、一つはeducare(与える、養い育てる)、もう一つがeducere(引き出す)です。
語源を踏まえ、私は、教師の役割は「与えて引き出すこと」と考えます。与えて終わり、ではありません。
教育は、教育をする者と教育を受ける者がいて、成り立ちます。教師と生徒の関係があって、教育があります。
つまり、教育とは、関係性をどう創るかの問題なのです。
教育と呼べない関係は明らかです。
一方的ではいけません。
一方的に批判したり、裁いたりするものではありません。
教育者は、命じる者でも評論家でも裁判官でもありません。
私は、教師と生徒に限らず、全ての人間関係が「与え、引き出す」相互的な関わりとなれば世界はよくなるとイマジンします。
私自身、与えられ、引き出されるような関係に恵まれてきました。生徒とも同様です。
大学での私の専攻は哲学ですが、教師という仕事によって、多くの気づきを得、書物から得た知識も、地に足のついたものになりました。生徒から引き出してもらったのです。
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第二に、困っている現実から目を離さないということです。
私たちは、現実を生きている中で、何かに困り、こうなってほしいという願いを抱いています。
願いが強化・洗練されると、理想になります。
理想をどう実現しようかと苦心しているうちに、ついつい、願いが抽象化され、そもそもの現実から遠く離れ、困り事を傍によけてしまいます。
しかし、困っているという現実があります。
教育でも、他のことでも、まずは困り事を丁寧に聴き取る。「そんなことで悩むなんてくだらない」と否定しない。
困り事をどうすれば乗り越えることができるか、ともに考える。
困り事の本質を見抜き、問いを立て、答えを生み出していく。
遠回りのように見えて、ささやかな一つの願いを叶えた喜びが人生を支え、よりよい社会につながると思っています。
教師は、困っている人から目を離してはいけないと思います。
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第三に、社会の未来を強く考えることです。
白状しますと、私は学生時代、超個人主義で、「現在」のことしか頭にありませんでした。
文学、哲学、芸術、映画、恋愛、、、好きなことしかやりませんでした。
政治社会に対しては、批判的、攻撃的でしたが、変えることはできないと思っていました。
その上で「社会なんかに、不幸にされてたまるか」と思い、自分のやりたいことに突進していました。
他の人も、それぞれ、自分の人生を生きていけばよいと考えていました。
そんな私が忘れられないのは、好きだった教授が私の修士論文を読み、「それで、この論文は社会とどんなつながりがあるんだい?」と問いかけられたことです。
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教師になり、一人では手に負えない問題に直面しました。
教え、助けてもらわなければ、難局を乗り切ることはできませんでした。
生徒についても、それぞれ、高校を卒業し、好きなようにやっていけばよいと思っていましたが、バブルの崩壊や就職氷河期があり、「自分で何とかしなさい」では済まないと思いました。
私はブレない信念を持ち、危機に対し泰然とし、迅速かつ適切な判断をする校長に憧れて、管理職を目指すことにしました。教頭試験に3度落ちましたが、いつも笑顔で教育のロマンを語るもう一人の校長に背中を押され、合格し、管理職になりました。
校長になり、それまで以上に未来を考え、語ることが増えました。
「よりよい未来をつくってほしい」と。
アンケート調査等によれば、多くの若者たちは、日本の社会の未来が明るいとは思っていないようです。大人たちもそうかもしれません。
しかし、日本の未来が暗いと多くの国民が思っていることを放置してよいのでしょうか。
若者たちが明るい希望を抱けない国のままでよいでしょうか。
教育がめざすべきものは、今ここのことのみならず、未来をよくすることだと思います。
それは私たち大人の行動に掛かっているとともに、子どもたちが「未来の社会をよくできる」と考えるようにすることも、大切な責務ではないでしょうか。
10年後、30年後。あるいは、100年後、200年後の未来をよくするという観点から、教育と教師のことを考えるべきだと思います。
<参考>
▼ローマン・クルツナリック『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』(あすなろ 2021)
https://amzn.asia/d/3S1OqCW
三点、いかがでしたか。
教育者は、自問します。
私は、いまここで、何を与えているのだろうか、相手から何が引き出されているのだろうか。
私は、理想を押し付けているのではなく、困り事の解決にともに取り組んでいるのだろうか。
私は、自分が言いたいことを言い、自分がやりたいことをやるのではなく、未来の社会のために教育しているのだろうか。
そんな自問自答する教育者、教師を育てる国にしていきたいものです。
毎日、多くの教育ニュースが流れていきます。
流れに身を任せるのではなく、教育と教師について、能動的に考えるよう心がけたいと思います。
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