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エンディングノート 〜作業療法士が作業療法しながら生きた日〜

1.はじめに
今回、ここで書かせて頂いた人物は、私の大学時代の友人で、癌という病魔と闘いながら生きた友人のことを書かせて頂きます。

2.出会い
18歳の大学の入試で出会い、出席番号で近く仲良くなるまでは時間は掛からなかった。
これから長く濃い5年間が始まります。
大学、、、4年ですよね、僕らは5年でした。
遊んで、遊びすぎて、留年でした。

3.2人の関係
作業療法士になるには、実習といって実際の現場での仕事に触れ合いながら、レポートや勉強をしていく日々があります。
僕らは成績も悪く、14週間といった大学初(たぶん)の実習期間で頑張りました。
そこで出会った指導者、、、
こんな風になりたい、、、
目指すべきOTなのでは?
どうしたらなれるのか、、、?
そんな話ができる2人でした。

4.そもそも作業療法士とは

という定義がされています。
僕たち2人には、この文章よんでもよく分からず、どれが理想の姿か、、、正しい姿か、、、分からない日々を送りながら業務していました。

5.変わってきた内容
お互い資格を取り、離れた土地で仕事しながら、たまに作業療法とは?を話をする、、、刺激をしながら仕事をしてきましたが、昔は一緒に頑張って、誰かに認められたい。負けたくないという感情のみで動いていました。
話をしていく中で、誰でも良い!!
自分が担当している人やその周りが暮らしやすい状況になれば良いと。
リハビリは自己中心では駄目だと話もしました。
私たちは2人で、思い描いた作業療法士像を求め、そこに向かって走っていました。

6.そんな話をした中、、、
連絡は途絶え
お互い忙しいのだろうと思ってました。
私は、自分が思い、好きな働き方を目指していました。
その中で、私は様々ある学会で、自分の名前や職場の価値を高める為に、発表に主をおいてがむしゃらに動いてました。
負けたくない‼︎自分が1番と‼︎と働きました。

7.急な訃報
ある日、、、
彼の訃報が耳に入りました。
『他の人にも伝えて欲しい』
連絡を受け、他の友人にも訃報を伝えないといけない立場で、泣く時間がない。
友人への連絡行い、これから自分の時間、、、
明日は仕事、、、次の日も仕事、、、
コロナ禍で県外に出れない、、、

私は決めました‼︎

妻に子供に
2日間家を留守にする
職場に
休み欲しい
コロナ禍で、出勤停止でも良い!
出勤後に仕事がたくさん残っても良い!

最後の別れを言いに行きました。

8.知らなかったお願い
葬儀で知ったこと
闘病は長かったことを初めて知った。
彼は、友人の1人にも話をしていなかった。

僕の住んでる地区での全国大会
この時は病気を知らなかった
気軽に『発表しろよ』と言ってしまった。
その時、彼は闘病中だった。
私の性格や仕事への姿勢、2人で話し合った内容が、彼の中で残っていたのだろう…
普段のように発表していた。

何も感じさせなかった
本当に闘病中だったのか、、、

10.久しぶりに出会った日
たまたま地元での祭で
姿を見かけた!
久しぶりに会った姿は、痩せていた
『久しぶり!何か痩せたな!』
『そうかな?一生懸命働いてるからな』
そんな会話の中、、、私は
『何か病的な痩せ方や!ダイエットするなら、無理するなー!』笑いながら言ってしまった。
闘病中と知らずに、、、、、、

彼は闘病の中で、痩せていっていた

11.最後まで自分を貫き通した男‼︎
彼は家族に『誰にも病気のことを言わないで欲しい。』と伝えていた。
自分がしたいことに病気は必要ない!
これが作業療法士として、自分がしたいことの目標を立て、自分が実施してきた。
これが作業療法士なんだ!!

12.最後に
私の友人が作業療法士として、自身のエンディングを自身でプロデュースして、正直格好良かった!

あいつに、
頑張ってきた彼に、
支えてくれた家族に、
御冥福をお祈りします。

安らかに眠って下さい。
そして、私の働き方を見て下さい‼︎

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