オジサンになった僕は、車いすで何でもこなせるプロ車いすマン!それは、これまで患った病気の「おかげさん」だった。(今の僕が、考えるようになった・行動するようになったことを紹介!
🎯本作について
僕は学生のころに開頭手術を受けてから、車いすに乗ってなんでも挑戦できるプロ車いすマンになるまでの間、さまざまな病気とお付き合いしてきたのですが、そのために?そのせいで?自分が好きなことや興味があることに、時間やマンパワーを費やすことがなかなかできなかったので、以前はそんな自分をとても不幸な人間なんだと思っていたんです。
「自分の思うように動けたら、どんなに幸せなんだろう…」
ところが、年齢を重ねてオジサンになってくると、そんなに自分は不幸ではないんだと思うようになってきました。なぜならば、病気と関わる中で、多くの教訓を得ることができ、自分が成長できていると気が付いたからです。
ですから、考え方や行動の仕方に大きく影響している「病気」は、僕にとって「宝」!
傍から見ればどう映るのかはわかりませんが、僕は自分がとても恵まれた運が良い人間なんだと思い、前を向いています!
本作では、そんな今の僕が、考えるようになった・行動するようになったことを紹介しています!(全18項目)
何か一つでも、目を通してもらえた誰かのプラスになれたら…とても光栄です!
それではよろしくお願いします。
あっ!
🙇お願いがあります…
📗①明日に残さない姿勢を大事にしたいです
いろんな病気を続けて体験していると、「僕に明日はあるのかな…」「あったとしても元気はあるのかな…」「どうせ早死にするんだろうな…」そんな感じで自分に自信がなくなっていきます。(笑)
ただ、良い面もあります!
それは、「今日が最後かもしれない…」と思って、明日に用事を繰り越すことなく、出来るだけ今日やってしまおうと思えるようになったところです。
「よだき〜(面倒だ)な~ またいつかやればいいや…」
以前の僕は、そんなことを思って何事も後回しにしてしまいがちでした。その多くは、結局やることなく忘れていってしまい…
今は多少の無理をしているのかもしれませんが、後回しにすることが少なくなりました。だからといって無茶はしていません。体調面や自分のキャパをあまりにも超えている場合は臨機応変に対応しています。
📕②「病気・障がい」だけに全責任を負わせるのは間違っていると思っています
最近は、若い頃のように俊敏な動きができなくなってしまい…見栄えが悪かったり、時間がかかったり、理想の順番通りにできないことが多くなりました。
以前は、それを全て病気や障がいのせいにしていました。
あのとき開頭手術を受けなければ…
放射線を浴びなければ…
車いすなんて乗っていなければ…
・・・
今は少し考え方が変わっています。
確かに、それは完全に間違いではないと思います。
放射線治療の遅発性障害(放射線障害)もあるでしょう!
長い車いす生活からくる拘縮などもあるでしょう!
ただ、全ての原因がそうなんだとは思わないようにしないといけないぞ!と肝に銘じています。
僕の考え方
勉強不足(知識のなさ)
生活の仕方
精神的もろさ
中でも…
僕はすでに立派なオジサン…
僕自身の老化現象だって視野に入れるべきですよね!
それらすべてが合わさっての今です。
病気や障がいはその中の一つにすぎません。
僕はそれを受け入れて、前を向いていけばいいんだと思っています!
📒③創造力を働かせて、物事を膨らませることが出来たらいいなと思います!
学生のころに受けた初めての開頭手術後、左半身が麻痺し声を思うように出せなくなっていた僕は、ベッド上で身動きがほとんどできずクリーム色の天井ばかり眺めていました。
そこには無数の黒っぽい模様(短いちぢれ麺のようでした)が散らばっていたのですが、天井全体をキャンパスにして黒っぽい模様を繋ぎ合わせてイラストを描いていた記憶があります。
今振り返ると、一番の理由は「とてつもなく暇だったから」なのですが、ただ闇雲に天井をボ~と眺めることなく、夜空に散らばる星々を繋ぎ合わせて星座を創った古代人のような行動が出来た自分は評価したいなと思います。
だって、考えようによっては「与えられたものに満足せず、新しい何かを創り出そうと動いてた」と言えそうな気がしますから…
ま~それは大げさなのでしょうが、「1のことを2にも3にも膨らませることが出来たらいいな」とは思っています。
これからも、何事にも創造力を働かせて頑張りたいです!
📘④ルーティーンに組み込むと、無理せず続けられる気がします!
「辛島さん、今から2本点滴があって、終了まで4時間程度です。」
「明日は●時から採血が3本、●時からは胸のX線(レントゲン)、そして●時からはCT検査も入っています」
こんな感じで、一時は四六時中医療行為におつきあいしていた僕・・・
「あ~あ、今日は好きな漫画の発売日なのに…一番に読みたかった…」
「あの番組、今日は生特番か~リアルで見たかったな…」
当時、やってみたかったことが思うようにできなかったことは仕方がないことですが、当時の僕には辛いことばかりだったのを覚えています。
ただ…
そんな苦い思い出は、今に活かされています!
それは~
僕は、毎回トイレに行ったとき、手すりを掴んで下半身のストレッチをしています。トイレに行った時は、乗り移るために必ず手すりを掴みますから、負担を感じることなく継続してストレッチができます。
これは下半身の筋力維持や関節の拘縮をこれ以上悪化させないためにしてい流のですが、実際のところ本当に効果があるのかはわかりません…(あってほしい)
このストレッチなんですが、やってみようと思い立った時「それじゃ~いつやればいいの」って悩んだんです。
なぜなら、僕の性格上「やるんだ!」と意気込んで「それ用の時間」を設けるまでは良いのですが、「それ用の時間」に何か別のことをしないといけなかったり、してみたくなった場合、結局やることはなく、大半は3日坊主に終わってしまっていたから…
そこで、生活動作中であまり負担なくできる瞬間を探して、そこに入れ込んでしまうことで、やらないで逃げてしまうことが少なくなりました!
この考え方で、他のこともルーティーンに組み込んで継続していけたらいいなと思います。
📙⑤良くないことばかりに意識が向いてしまいがちですが、きっと僕にとってプラスになっている面があるんだと思えるようになりました!
僕は聴力低下で両耳に補聴器をつけていて、4台の補聴器を持っています。
4台というのは左右のスペアを必要とするからです。
ある程度しっかりした補聴器はそれなりの値段がするのですが、聴覚障害者として国に認められていませんので、購入に補助が受けられません。(僕は肢体不自由者としては国に認められているため、車いすなどの補助を受けることができます)
ということは4台の補聴器は全額自腹…
正直かなり懐事情を圧迫しています…
「できることなら、こんなところに出費を重ねたくはない…」
ところが、補聴器は自家用車のように代車があってないようなものです。僕くらい聴力が低下すれば、万が一修理や点検で預ける必要に迫られたとき、一気に生活が回らくなってしまいます。
ですから…
さて、この聴力低下というのは、これまで多くの放射線を浴びてきた遅発性の症状(放射線障害)だろうと言われています。
放射線は諸刃の剣といいますが、医学的には有効な治療法で幅広い分野で使われているのですが、人体にとっては必ずしも良いことばかりではありません。
聴力低下のほかにも、排尿障害や関節の拘縮など、放射線の影響からくる症状なのかもしれないものがいくつかあります。それは嬉しいことではなく出来れば体験したくない…
(あ~あ、放射線なんて浴びなきゃよかった。そうすれば、こんな今の状態にはなっていないんだから…)
おそらく、若いころの僕ならそう思ったはずです。
ですが、オジサンになった今は違います。
放射線(治療)のおかげで貴重な今があるのですから、敵視するなんてもってのほか!
僕は放射線に感謝しています。
いわば、放射線は命の恩人。
上記したような症状に対しても、逃げることなく真正面から向き合っていくことも恩返しの一つになるんだと思っています!
こんな考え方は、放射線以外にも活かされています。
🍣⑥ピンチを乗り越えてきたこれまでの実績?経験?は、弱気になる今の自分を前向きな姿勢にさせてくれます!
「残念ながら、脳腫瘍(髄芽腫)が播種しました…」
「ヨダレや食べこぼし・しゃべりにくさがあるとのこと、瞼も若干下がっているね…どうやら顔面神経麻痺が出てきたようです」
「後頭部に皮膚癌が見つかりました…」
「お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかりました…」
「便潜血検査が陽性でしたよ…」
「脳内嚢胞を解放しないと今の生活が困難になるでしょう…」
…
ま~そんな感じで、これまで大なり小なり僕にとってのピンチがありました。
特に「大きな(厄介な)ピンチ」は、時間もかかりましたし、体(身体面や精神面)への負担も大きかったです。
出来ることなら2度と経験したくないことばかりなんですが、「僕はあのピンチを乗り越えてきたんだ!」という実績?自信?は、積み上げられて今に役立てられているんです!
これは病気に限ったことではなくいのですが、ピンチを乗り越えてきたこれまでの実績?経験?は、弱気になる今の自分を前向きな姿勢にさせてくれます!
ですから、僕は塞ぎ込むことなく真正面から向き合える気がするんです。
🍓⑦経験は無駄にならないと信じています!
みなさんは、MRI検査(撮影)の経験はありますか?
おそらく、僕くらいの年齢なら、そもそも撮影された経験がない人の方が多そうですし、あったとしても職場などの健康診断や、交通事故などの際に撮影されたくらいではないでしょうか?
僕はこれまで、わかっているだけでも50回以上検査(撮影)を受けています。それはわかっている数ですから、実際のところは3桁の大台を超えているのかもしれません。どちらにしても尋常ではないですよね…
このほとんどは、僕の意志ではなくて、お医者さんの指示によるもの
言い換えたら、健康診断のような意味合いで調べておこうかなと思い立ったからではなく、すでに脳内に問題があるか、医学的に疑わしい所見があるから受けなければならなかったということになると思うんです。
それは喜ばしいことではありませんが、それだけの回数受けた経験は無駄になっていません。
僕が難聴なのは書いてきた通りですが、検査時は補聴器を外さなければなりません。そうするとスタッフとの意思疎通がとても困難になるのですが、一連の流れ・所要時間がわかっている僕に不安材料は多くありません。どの医療機関で検査を受けるにしても、どっしりと構えて向き合える自信があります。
🍡⑧ゴールは一つじゃないと思っています
世の中には、いろんな病気がありますね〜
薬を飲んで寝ていたらケロっと良くなっちゃう病気もあれば、何をしても治らない厄介なのも…
そんな病気に対して、僕はある意味白旗をあげています!
あっ、だからと言って~治らないんだと諦めているわけではないですよ。
「どうあがいても?完全にはクリアできない病気(問題)少なからずあると思っていると、少し楽に向き合える気がする」んです。
今も昔も、病気に対して完治できるよう最善を尽くすのには変わりはありません。
ですが、若いころのように、病気そのものが完全に消えてなくなった(完治した)時こそがゴールなんだ(それしかゴールはないんだ)と思っていません。
それって、ゴールに対する考え方?というものが、昔と大きく変わったのかな?
開頭手術を受けた学生のころまでは、思っていたんですけどね〜
老けた証拠です…
今は以下のように思っています。
先ほど書きましたように、今も完全クリア(完治)できるよう最善はつくしますが、自分なりに精一杯向き合っての結果であれば、それが叶わなかったとしても納得がいきますから、必要以上に落ち込んだり悩んだり自分を責めたりはしません。
僕が後悔なく満足できる地点…
それこそが僕にとってのゴールです。
あっ、この考え方は、僕にとって病気だけではないんですよ~
☕️⑨信じるだけ・押し付け?はダメだと思っています
僕は、宗教を信仰しながら病気と向き合い続ける人と、何度か
同じ時間を過ごしたことがあります。
宗教というと〜
気持ちが悪い
勧誘されそうで怖い
怪しい
変な仲間意識がありそう
お金を貢がないといけない
世間体が気になる
負け組
精神が病んでいる
暗い人が多そう
何かに取り憑かれている
そんなマイナスなイメージを抱く人が多そうな気がしますが、どうですか?
僕は、人ってそんなに強い生き物じゃないと思っています。
ですから…
病気と向き合い続けるということは、簡単ではないと僕は思っています。
何も行動せずに「どうしよう…もうダメだ」と思って塞ぎ込んでいるような人よりも、宗教を信仰して頑張っていこうとする彼らの方が、よっぽど輝いて見えました。
ただ、以下のような人は…
「あっ!辛島さん、この前、肩が痛くてなかなか治らないって言ってたけど、最近どう?」
「ええ、おかげさまでずいぶん良くなってきています!」
「でしょ〜〜〜〜〜!私が毎朝代わりに●●先生先生にお祈りしてあげたからね!」
「●●先生…ですか?」
「そう!もう安心して大丈夫よ〜●●先生が治してくれるから!」
「は〜…そうですか…(リハビリに通っているんだけど、それならもう必要ないのかな?)」
彼女は遠く離れた場所に住むという●●先生が念を込めたお守りのようなものを神棚に飾って、毎朝お祈りをしているようなのですが、それだけで願い事が叶う(毎日お祈りをしていたら、●●先生の力でどこからかご利益が舞い降りてくる)とは思えません。※これは僕が彼女の発言の受け止め方でそう感じただけなのかもしれませんし、遠く離れた場所に住むという●●先生は本当にそのような特殊能力の持ち主なのかもしれません…
僕は今、「ある言葉」を信じて毎日を送っています。だからと言って、ただそれだけで良いことがあるとは思っていません。それを胸に秘めて、きっといつか道は開けると信じて…いろんなことに挑戦しています!
あとですね~
自分が信仰する教えを他人へ強要したり、活動に無理やり参加させたり、高い関連商品?を購入させたり、半ば無理やり入会を迫ったり…「私は救われているからきっとあなたも救われる!」というような理念?の元に、誰かを困らせるような状態はどうなのかなと思うんです。
📓⑩自分なりに精一杯調べるようになりました!
経験する病気の中には、医学知識の乏しい僕にはチンプンカンプンなことが多くあります。
若いころは、医者任せというのでしょうか…面倒くさかったですし、どうせ僕が調べたってわからないんだからと諦めていたところもありました。
今は180度変わりました!
若いころと同じで、調べてもわからないことばかりです。そのくせ、要領が悪いのか?とても時間がかかりますし、何とか探し出せたことの多くは間違いであったり…
それでも、無意味とは思っていません。その全てがたとえ間違いであったとしても、調べて得た知識で無駄になったものはこれまで1つもありませんし、医者に丸投げしてしまえば、それはそれは楽なのかもしれませんが、「わからないことを自分なりに精一杯調べる」という姿勢から生まれる行動です。そこから得られるパワーのようなもので、若干は治療が怖いものではなくなります。
更に、それは病気以外でも活かされるようになっていて、社会人としてのスキルアップにも繋がっています。
🎃⑪失敗した経験は今後のプラスになってくれると信じています
病気に対して、自分が納得するまで精一杯調べるようになったと前回書きました。
ですから、何も動かないよりは知識は増えているはずなのですが…
治療が目前に迫ると毎回のようにドキドキと緊張しますし、あれほどが時間や労力をかけた割には何も活かせていない証拠で、「ヒヤリとさせられる・失敗してしまう」ことが多くて情けないです。
もっと、要領よく?病気と向き合えないのかなと自分のことながら情けなく思ってしまいます。
ただ、後になって振り返ってみた時、余裕で乗り越えられた時よりも、「ヒヤリとさせられた・失敗してしまった」時のほうが、今に活かされているような気がするんです。
たぶん、「成功体験よりも、失敗した経験のほうが脳裏に刻まれやすい」のかもしれませんね!
ですから、今後も事前に納得いくまで調べることに変わりはありませんが、それですべて成功するんだと過信せず、たとえ失敗しても後々プラスになることがきっとあるんだと信じたいです。
🎎⑫苦しいときこそ笑顔で明るくいたいと思っています!
今振り返ると、学生のころに受けた放射線治療中が苦しいと感じた時間が最も長かったのかなと思っています。
そのときは、目も開けられないほど苦しくて、ほぼ寝たきりのような状態が続いたのですが、ある人の一言が叱咤激励となって僕を一念発起させます。
彼は、当時まだ高校生だった僕が、家庭の環境や進路・部活動などの問題に悩んでいるのを知っていました。それでも、人前では常に明るく笑顔でいる僕に、大したものだと言われていたんです。
そんな僕が、治療の苦しみから笑顔が消えて「もぬけの殻」のようになってしまっている…
そんな状況では、本来なら治るような症状であっても、命に関わるような一大事になりかねない。彼はそう思って、僕に活を入れたのかもしれません。
最近はそういうのをマイナス要素と捉える人も多いみたいですが、ギリギリで昭和生まれのせいなのか?僕は意外と好きなのかもしれません。
これは病気に対しての向き合い方だけではない気もしますが…
苦しい
辛い…
痛い…
きつい…
厳しい…
悲しい…
そんな自分にとってマイナスになりそうな時こそ、笑顔で明るくいることが大切だと思っています。そうすれば、きっと未来は見えてくるんだと信じていまから(と言っても必ず良い未来とは限りませんけどね)
笑顔を心がけるようになって数年後、ある人にこんなことを言われたのは忘れられません。
🎻⑬まずは、やり遂げようという気持ちと姿勢が大事!それでもダメだった時は、誰かにお願いする勇気が必要だと思っています
オジサンになった今、身体的な理由で見栄えが悪かったり、時間がかかったり、理想の順番通りにできないことが多くなりました。
ま〜そこは、ある意味仕方がないですよね~?
さてさて…
そんな僕なんですが、にわか車いすマンのころは夢でもあった「僕が考える自立した生活(単身生活をしながら仕事をして車を運転すること)」は難なくこなせています。
どうしてだと思いますか?
それは、好きな言葉を胸に秘めて前を向いている点や、「健常だった若いころと、考え方や行動の仕方が大きく変わったから」ではないかと思っています。
考え方や行動の仕方が変わったというのは、行き当たりばったりだった若いころの生き方を、情報を入手した上で用意周到に動くようにしたと言えばいいのでしょうか?
今の僕は、まず「目標達成のためにはどうすればいいのか?」しっかりと情報を集めます。そして、その中で取り入れられそうなことを実践していくんです。
それでもですね〜最初からうまくいくことは正直多くないです…
ただ、(できるだけ)諦めないで継続します。
そうそう…
何度も繰り返し挑戦していくうちに、いつの間にか、できちゃっていることが、たまにあるんです!
それって、体が慣れて対応できるようになったり、知識や経験が増えていって、アイデアがモクモクと湧いてくるからなのかなと思っています。
ところが…
どんなに頑張っても、自分だけではクリアできないことがあります。(こっちの方が多いかも)
そこは割り切って無茶をせず、できるだけ相手がサポートしやすい方法を考えてお願いします。
サポートをお願いするにしても、どうサポートしてほしいのかを相手にきちんと伝えて、最後にきちんとお礼が言えたなら、それは、「自分でやり遂げたようなもの」
これまで、自分なりに精いっぱい向き合ってきての結果なのですから、何も恥ずかしくはありませんし後悔もないので、気分的にとても楽に相手へお願いすることができます!
最後になりますが、「目標達成のために、しっかりと情報を集めるようになった」のは、以前紹介したように、「医者任せにしないで、自分が納得するまで精一杯調べるようになった」からです。
ですから、やっぱりこれも「これまでに様々な病気を経験してこれたから」なんだと思っています。
✨⑭問題というのは誰にでも必ず一つはあるでしょ?だから僕は、今の境遇を幸せだな~って思っていてます!
学生のころに開頭手術を受けてからオジサンになる今まで、常に何かの検査や治療と向き合わなければならない日々続いてきた僕。(それは現在進行中…)
若いころは、そんな境遇?状態?をとても億劫に思っていました。
「僕はなんて悲惨な人生なんだ…」
ところが、オジサンになった今は違います。
「僕ななんて恵まれているんだ!」
…
なんだか180度考え方が変わっちゃっていますが、どうしてだと思いますか?
それはですね~「誰もが何かしらの問題を抱えながら生きているんだよな…」と思うようになったからです。
人間関係
成績
お金
仕事
家庭
社会
他人からの評価
そんな厄介な問題が、世間には山積みのような気がします。
それを踏まえたうえで、僕を見てみると…
次々襲ってくる病気(検査や治療)が問題で恵まれているじゃないかということになるんです!
だって、病気は運が悪いのかもしれませんが、生きていると自然発生するよなものじゃないですか~
不健康(健康でない証拠)だからと言って落ち込むことなく、僕が軽率な行動や悪だくみ?をしたからの問題ではないのですから、誰かを傷つけたり憎まれたりしないわけで…
割り切って逃げずに向き合えばいいだけのことだと思うんです。
🎵⑮僕は他人や病気のことを評価したり比べる暇があったら、自分の今ともっと向き合います!
失礼かもしれないのですが…
僕は、自分に降りかかってくる病気に向き合っていくのに精一杯で他人に気を配る余裕なんてありません。
必死に自分と戦う日々と言えばよろしいでしょうか…
ただ、これだけは…
そこから、他人が患っている病気に対して、僕なんかがいろいろ口出しするべきではない(できるわけがない)と思うんです。
どんな病気であっても、心地よいものだと感じる人はいないと思うのですが…
それ以上は…
…
ま〜そんな自分が情けなくなる時もあるんですが…
これはすぐには変えられないこと!
ひょっとして、一生変えることは難しいかもしれません…
…
いろいろ考えましたが…
ええじゃないか~い!(よいではないでしょうか!)
僕は僕です。
他人や病気を比べたり、評価したり決めつけるのは無理です!
僕は他人や病気のことを評価したり比べる暇があったら、自分の今ともっと向き合います!
⚡️⑯健康で五体満足に生まれてきたこと・生きていること…それは必ずしも当然ではないと思うんです!
僕は学生のころに開頭手術を受けてから、検査や治療に明け暮れる毎日です。そして、病気で苦しむ人をたくさん見てきました。
その上で質問したいことがあります。
・あなたは歩くことができますか?
・口いっぱいに水を含ませてブクブクうがいができますか?
・他人の声がしっかり聞こえますか?
・ご飯を食べていて口から食べ物をこぼすことがありますか?
・気がつかない間にヨダレが垂れることはありますか?
・トイレに行きたい!って感覚(尿意・便意)はありますか?
・トイレ行くのを我慢する(尿意・便意)ことはできますか?
・コップに注いだ水をこぼさずに飲むことが出来ますか?
・言いたい事を、しっかり声に出して相手に伝えることができますか?
どうですか?
これら全て、僕には満足にできないことです。
それでは…
以上を踏まえて、もう1つ質問をしてみますね!
みなさんは、自分の取柄って何だと思いますか?
「あの人は可愛いしスタイルがいいのに…私はブサイクだし、何も取り柄なんてない!」
「あいつは成績優秀で一流大学も余裕で合格するレベルなのに…俺なんて何も…」
そんな感じで、他人の良いところだけを見て自分には何も取り柄がないと勘違いしていませんか?
一番最初にした質問のうち、1つでもできることあったなら、今の僕から見れば、あなたは尊敬に値する人!
「えっ…そんな事って当然できることだから…」
いやいやいやいや~
当然のようにできる人はそう感じているのかもしれませんが、できなくて苦しんでいる人は世の中にたくさんいますよ~
「そりゃ、じいさん・ばあさんだろ!」
確かに、高齢な人は機能低下をしてそうなりやすい傾向があるでしょうが、若い人も結構いるんですよ!
「そんな奴らは全体の少数だろ?だったら運が悪かったんだ!」
そういう考え方もできるかもしれませんね~
それなら、あなたは宝くじを当てた幸運の持ち主ってことでは?
当然のようにできるあなたは選ばれた人…
それって、「できない僕ら」から見たら「あなたの取柄」です!
健康で五体満足に生まれてきたこと・生きていること…
それは必ずしも当然ではないと思うんです。
あなたの立派な取り柄…大切にしてくださいね~
…
あっ!「できない僕」にも、探せばまだまだ取柄はきっとある!
そう信じて前を向いていますよ~…
✨⑰その時感じた思いや体験したことを、書き残していけたらいいなと思います!
僕は、自分に降りかかってくる病気が怖いです。以前、病気に対して自分が納得するまで精一杯調べるようになって若干は治療が怖いものではなくなったと書きましたが、
いやいやいやいや…
まだまだ怖~~~~い!
その証拠として、「わたくしごと」というマガジン内にあるような記事の元となるメモを、ずっとず〜〜〜と書き溜めては自分を奮い立たせてきました。(今現在も!)
それは、得意のネット検索では得られない、僕だけにしか残すことができない情報だと思うんです。
ひょっとしたら、僕にとって後々有益なものとなる可能性だってあると思いませんか?
ですから、これからも何かを感じたり体験したら、ササッとメモ書きして残していけたらいいなと思っています。
⭐️⑱毎日を、後悔のない最高の日にしたいと思っています!
以前、病気と向き会おうとする自分に対して、こんな疑問を抱くようになった時期がありました。
(今の僕って、ひょっとして無意味なことをしているのかな…)
その理由は、病気のことを知るためのネット検索中に、人は時間の違いはあれ100パーセント亡くなってしまうということを、今さらながら痛感したからです。
ですから、病気を乗り越えようと必死になって情報集めをしたり、気持ちを強く持って向き合っても、意味がないって言うのか…結局のところ無駄なあがきになるんじゃないかと…
そんな僕の考え方を変えてくれたのは、これまで「病気・障がいを抱える人たち」にたくさん出会うことができたからです!
と言っても、みなさんから助言を受けたわけではありません。その姿や生き方を見ていく中で、人はそれを受け止めた上で、生きている時間を自分なりに精一杯やっていくことが大切なんだろうと考えるようになったんです!
僕にも、いつか必ず命の灯火が消える日が来ます。
それは人として生まれてきたのであれば当然の事であり、変えることは決してできない…いわば、「人としての使命」
大切なのはそこまでの過程
僕はどう生きたのか…
「あれをやっておけばよかった…」というのをできる限り少なくしたい!
そのときに「後悔のない最高の時間だったな~」と満足したい…
それこそが、僕の生きる意味!
最後に一言だけ…
こんな考え方にさせてくれた君へ言いたいな
君のおかげで、ヨワヨワマンの僕でもここまでこれたよ。
たぶんこれからもいろんなことがありそうだけど、病気に限らず、どんなことにも負けないからね!
ありがとう!
ー 「僕とおかげさん」 おしまい ー
僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。