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世界は優しくない

私たちは生きているのだから、いろいろな人と出会う。

そのほとんどは優しい人たち。学校、職場、駅のホーム、ショッピングセンター、近所の公園、よく通る道、アパート…など知らない人と会話することだってある。バスでおばあちゃんに席を譲る人を見ると温かい気持ちになるし、学校から帰ってくると近所の人が「おかえり」と言ってくれる地元が好きだった。

でも少しだけ、世界の汚いところが垣間見えることがある。悪口も、いじめも、パワハラも、誹謗中傷もなくならない。汚い心は誰だって持っているからしょうがないことなのか。人を傷つけてもいい理由があるのだろうか。

少し前、芸能人への誹謗中傷が大きく問題になった。木村花さんの自殺によって多くの人が声を上げたからだ。芸能人はたくさんの人に注目を浴びる職業なだけに、誹謗中傷の的になりやすい。私たちは、どこかでそのことをしょうがないことだとしてしまう風潮がなかっただろうか。職業が違うだけで芸能人だって私たちと同じ人間で、同じように傷つくし、同じようにプライバシーが守られるべきなのだ。けれども人は簡単に悪意の塊を投げてしまう。SNSでは顔も見えない、名前もわからない、芸能人の多くは反論をしない。

今日は「音楽の日」という8時間生放送の番組を見た。その中で、氷川きよしさんのパフォーマンスが強く印象に残っている。「限界突破×サバイバー」という曲をご存じだろうか。数年前の紅白歌合戦でも披露しており、私は紅白で見たときも、今回もまた感動した。

今の氷川さんは私が小さい頃のイメージとは全く変わっていると思う。ずっと人気の演歌歌手のイメージがあったが、近年は演歌だけでなくJ-popも歌って新たな一面を見せている。そして何より印象的なのはその風貌だ。衣装も、メイクも女性的で髪も一般男性と比べたら長いほうだと思う。細身で抜群のスタイルで、艶やかな唇にはリップグロスが光る。女の私から見ても綺麗だと感じる。そんな綺麗な人がこぶしの利いた声でJ-popを歌うから本当にかっこいい。

私は紅白を見たときに氷川さんのインタビュー記事を読んだことがある。女性的な風貌について、「これまで好きだけど我慢していた。曲名に『限界突破』とあるように自分も限界突破しようと思った。」という趣旨のことを話されていたと思う。ありのままの自分を見せるということは簡単ではないし、それが受け入れられるとは限らない。それでも決意をした氷川さんはすっごくかっこよくて、素敵で、前よりもずっとずっと楽しそうに見えた。今回のパフォーマンスも、背景の花火に負けないぐらい氷川さんがかっこよかった。進行の安住さんと中居くんも絶賛していた。だから私は、いろんな人の「褒め言葉」を見たくなってしまった。

SNSでエゴサしたら、当たり前だけれど褒め言葉だけではなかった。むしろあざ笑うかのような、軽蔑して馬鹿にしているかのような、そんな言葉ばかりが目についてしまって。そんな言葉に「いいね」がたくさんついていたのも嫌だった。褒め言葉だってもちろんたくさんあった。でも10個の褒め言葉よりも、1個の悪口が心に残ってしまうのはなんでだろう。「そんなの気にしなくていいよ」ってみんなは言うんだろうな。でも気にしちゃうんだよ。忘れたいことほど何年も何十年も心に残り続けることってあると思うんだ。

私は氷川さんが好きだけど、そうじゃない人もいる。好みが違うのは当たり前だし強要するべきことではない。お互いを理解し合うためには自分と異なる部分を持つ人も認めなければならない。誹謗中傷に見える言葉だって言論の自由と言われたらそれまでだ。

自分には何もできることがないと思ってしまうから余計に悲しくなってしまう。勝手に期待していただけなのに勝手に傷ついてしまう。世界は優しくないのかな。優しい世界ってどうしたら作れるの?そんなの夢物語なのだろうか。

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