イライラをできるだけロジカルに処理をする
腹が立つ
頭に来る
なぜ、「怒り」や「苛立ち」を感じるのか…
イライラしても良いことなんかない、と耳にする。その通りだと思う。
だったらなんで、怒りや苛立ちなんてものが存在するのだろう?
随分と根源的な問いになってしまったが、その答えを知っているわけではない。
きっと、多くの人が似たような問いを持っただろうから、答えは出ているように思う。
それでも、私を含めた多くの世の中の人に「イライラ」してる人が存在しているのは、その答えは知れ渡っていないからだろう。
そもそも、怒りってなんだ?
感情だ。
感情によって自己を発見する。
感情は、自分自身を知るためのアイテムであるわけだ。
イラっときたその瞬間、「自分はその出来事によって苛立つ人間なのだ」と知ることになる。
それがわかれば、「そういう出来事が起きないように」または「そういう出来事から逃げるように」予防線が張れる。
迷路を上から俯瞰して見ているような感覚だろう。
それに気づけない時は、迷路を平面で進んでいる。
だから、いきなり怒りに出くわしてしまう感覚になる。
実は、自分から怒りに向かっていたのに・・・
つまり、こういうことだ。
苛立っている人は、「自分で苛立ちを選んで自分から進んで苛立っている」ことに気付いていないのだ。
目を赤くして、怒りで我を忘れている王蟲のように。
誰か、何かのせいで、自分が苛立たせられていると感じている。
「私を怒らせないで」と、何かの再現VTRに出てきそうなその考え方は、平面の迷路から抜け出せない結末を迎える。。
誰かが、何かが「あなたを怒らせている」のではない。
「自分で怒りを選んでいる」のだ。
苛立つ出来事、頭に来る出来事は、突然あなたの前に現れるのではない。
怒りを使って自己を発見したいという願望があって、その願望を叶えるために怒りを感じる出来事を自ら選んで、その出来事を経験して、めでたく怒っている。
そんな順番らしい。
誰かや何かが自分を怒らせている、と感じている人は要注意だ。
どんなこととで怒るのかを学習するために、自分で選択して現実化しているのだろうにその学ぶチャンスを消してしまっているからだ。
何度も「怒り」を経験することになる。
ご存知の通り、「怒り」は心身に響く。きつい体験だ。
できることなら穏やかに過ごしたい、とみんな思ってるはずだ。(人類全ての願いかどうかはわからない)
なので、怒りを覚えたら
・あ、怒ってる
・何に怒ってるんだろう?
・何で怒ってるんだろう?
・自分は〇〇で怒るタイプか(自己の発見)
・よぉくわかりました、もう経験しなくていいや(自己との一致)
のプロセスを辿る。
発見→一致のプロセスがうまく進まないために、繰り返すパターンもあるけど、そもそも発見をしない人もよく見かける。
怒っている人に「そういう仕組みだよ」と伝えても理解されない場合が多い。
出口のない迷路を地図も持たずにウロウロしてたら、怒りっていうモンスターに出くわしてしまう。
俯瞰した見方をするのは仕組みを知るのと同義なのだ。
俯瞰できれば、出口を見つけられる。
そういう人たちにうまく説明できないのは、私の理解が足りないからなのかもしれない。
私自身の理解不足を自覚するのを願って、私が「理解してくれない人」を選んでいるのかもしれない。
もっと世の中の仕組み、人の仕組みを学習しなければならないようだ。。。
自分のために。
とりあえず、自分がわかっていないのを、人のせいにしない人になろうと思う。
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