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市場価値の正体。


その答えは『希少性』と言える。

大学生が就活をする際、もしくはビジネスマンが転職を考える際に出会う言葉なんじゃないだろうか。

社会生活を送るうえで欠かせないのが仕事。

仕事が欠かせない理由は、お金。

お金が欠かせない理由は「生きていく上で必要だから」じゃないだろうか。

この世には、天職を見つけて悔いのないビジネスライフを送る人もいる。

こういった人にとって、仕事はもはや仕事ではなくなっている。

遊びや娯楽の延長線として、仕事が存在している。

もちろん、あくまでも仕事なので社会的責任は存在しているだろう。

それでも、生きるたの仕事(ライスワーク)をしている人たちよりも、よっぽどストレスのない毎日が送れているだろうかと思われる。

では、なぜほとんどの人がライスワークになってしまっているのだろうか?

僕はこの疑問に対する仮設を「自分の本当の才能を出し切れていないから」としている。

「本当の才能?」
「自分の才能ってなんなの?」
「出し切れていないってどういうこと?」
「自分に才能なんてないよ...」

疑問に思うことは様々出てくるかもしれない。

だけど考えてみてほしい。

生まれた土地や季節や時代、生んでくれた親や先祖代々から繋がっている遺伝子、育った家や取り入れた知識 etc...

僕らは誰一人として、まったくの"同じ"は存在しない

これは双子だとしても当てはまること。

それぞれ環境が違う中、いろんなモノを見て、経験して、ここまで成長してきた。

そんな中、そもそも「何も持っていない」なんてことはあり得ないのである。

ただ眠っている才能に「気づいていない」か「活かせていない」だけ。

ここで前向きな話をしよう。

面白いことに、”才能は自然と溢れ出ているもの”とも僕は考えている。

使っていないように思っていても、実は知らないうちにその才能を使っていたりする。

クセや習慣のように出てしまっているものが才能

仕事でも、無意識に使っている才能を活かしている可能性が高い。

例えばそれは、人とのコミュニケーション力だったり、事務作業のスピードが人より早かったりと、些細なことで発揮しているかもしれない。

自分にとっては当たり前過ぎて気が付かない

だけど他人から見たら「すごい」と思えるような能力。

それが才能だったりする。

十人十色な才能も、いくつかに分類をすることができる。

しかし、分類した中でも、その能力を使える人が少ない...

能力を使える人が少ない = 希少性が高い
希少性が高い = 市場価値が高い

上記のような構図が生まれる。

10年前までは、プログラミングができる人なんてほとんどいなかった。

そのためエンジニアの希少性、市場価値はとても高かった。

今もまだ価値は高いが、義務教育にも導入されることが決定している中、扱える人が多くなると、もはや希少ではなくなる。

でもこれは、決して悲観的なことではない。

あくまでも「社会的な」市場価値の基準を、世の中のすべてと捉えないでほしい

陸上競技で50m走を6秒台で走る人がいたとする。

世界的に見れば、トップクラスの選手だと遅すぎるぐらいの速さかもしれない。

だけど小学生で、それぐらいの速さで走れる子がいたらどうだろう?

まず間違いなく、運動会ではスターになれるだろう。

これが希少性であり、市場価値である。

ライスワークになっている人は、自分の希少性、市場価値に気づいていないだけかもしれない。

自分の才能を活かせる場所...求められる環境に足を運んだら、驚くほど重宝される存在になるかもしれない。

自分が気づいていない才能が、まだ眠っているかもしれないね。

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