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サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」

 私の好きな小説のジャンルの一つとして、童貞小説というものがある。
 これは私が勝手にカテゴライズしたもので、思春期特有の悶々とした感情や青っぽさを表現した作品のことを指す。
 作品例としては、二葉亭四迷の「浮き雲」や夏目漱石の「三四郎」などが挙げられる(性別の観点を除けば、太宰治の「女生徒」も含まれる)。

 これらの作品は、概して主人公は醜く、読み手が思ったようにはなかなか行動してくれない。
 しかし、そのようになかなかうまくいかないのが人間の摂理なのではないのだろうか。つまり、人間の本質、生き方を追求するのが純文学のテーマなのだとしたら、童貞小説こそその最たるものなのだ(と私は考える)。

 今回紹介するサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も、その童貞小説に含まれ、個人的にそのジャンルの最高傑作だと考えている。

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あらすじは

成績が悪いことから退学を言い渡された高校生のホールデン・コールフィールド。
彼は学生寮を出て、ニューヨークにある実家へと帰ることになる。
しかし、両親と会うことの気まずさから、ニューヨークに着いたものの、実家に戻れず、ホテルやお世話になった恩師の家に泊まらせてもらう生活を送る。
そんな生活に限界を感じた彼は、これからは森の小屋でひっそりと生きて行こう、と考える。
彼はお別れを言いに妹・フィービーと動物園へと出かける。しかし、そこのメリーゴーラウンドに妹が乗っている風景を見た彼は、強烈な幸せを感じ、実家に戻ることを決意する。



みたいな感じ。

 とにかくホールデンがどうしようもないやつ。さらに、彼の視点によって描かれているため、彼に降りかかるアクシデントは全て周りのせいのように描かれている。しかし、よく考えるとホールデン自身が招いている部分がほとんどだ。

 デートの準備をするルーム・メイトのストラドレイターの邪魔をし続け、殴られたり、バーで久しぶりに会った友人に下世話な話を振り続けた挙句、呆れられて帰られてしまったり。
 物語中で起こるこれらのトラブルは、彼の幼さも原因の一つとなっている。それも、相手は彼とほとんど同年代なので、より一層それが際立つ。
 また、彼が異性に対して興味を持っていながら、それをプライドで隠そうとする場面も散見される。
 しかしこの二点、男性の多くは思春期に経験したことがあるのではないだろうか。
 中学時代、今まで仲が良かった友達に彼女ができたことを聞かされた時の、あのもやもやした感じ。それでもなんとかして、その友達に自分が優っている部分を探そうとする、あの醜い感覚。
 
 そういった部分を晒け出す、理想化されすぎていない主人公の存在、それがこの作品の持つ価値だ。
 また、そんな人間臭さの中に時々、はっとさせられるような美しい描写が登場することも、この作品の価値を高めている。

 この作品の由来にもなった、ライ麦畑についての描写もその一つだ。

 妹と密会し、退学を告げた際、妹は心配でヒステリックになる。その際にホールデンは、自分がなりたいのはライ麦畑のキャッチャーのような人だ、と話し始める。ライ麦畑で子供が遊んでいる際に、間違って崖に落ちてしまわないようにその崖の淵に立っている人、落ちそうになった子供をキャッチしてあげる人になりたいのだと言う。
 
 それまで醜態を晒し続けた主人公が、妹に対し不意に優しく、童話的な話をする。今までとのギャップとも相まって、読者に強い印象を与える。また、そういった新しい一面を見ることで、彼から目が離せなくなってくる。

 物語の最後の描写も、この作品で最も美しい箇所の一つ。
 自分のせいとはいえ、それまで散々な目に会ってきた主人公が、ただ妹がメリーゴーラウンドに乗っている姿を見ただけで幸せを感じてしまう。個人的に、主人公にとっての妹は唯一の好意的な人物で、その妹が楽しそうなところを見ただけで、自分も楽しくなってしまう、彼も結局は一人の繊細な心を持つ少年だった、ということを物語っているのだと考えている。


*


 作中、ホールデンがフィービーにプレゼントしたレコードとして登場する「リトル・シャーリー・ビーンズ」、どんな曲か気になって調べてみたけど、実在しない曲っぽい。

 そういうとこ、なんかサリンジャーっぽいな、と思ってネットサーフィンしていくと、作品にインスパイアされた何組かのアーティストが「リトル・シャーリー・ビーンズ」という曲を作ってるらしい。中でも作品の年代とマッチしてるジャズ風のヴァージョンがあったので、良かったら見てみて。


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