見出し画像

ようこの軌跡29~精神科退院後の留意点②~

・自分の考えでだけなく、他の人の生き方も習ってみよう。=観察してみよう。

K病院

私はなぜか0か100か思考のところがあって、とても生きづらかった。
(これが完璧主義ってことだ)
グレーゾンがないのは、選択肢が少ないということ。
極端に行きすぎたら、生きるか死ぬかみたいなことにもなってしまう。
世渡り上手な人や処世術を身につけているひとがうらやましかった。
単純に、視野が狭いということだ。
先生のいう通り、他の人の生き方を観察して、自分の視野を広げたい。
そして、自分にとって楽な道をえらべるようになりたい。

・初代産後うつ病の母。二代目産後うつ病の人。

K病院

母も産後うつ病だったことは、先生との面談中に知った。
私「母は私を産んだあと、季節の変わり目になると体調を崩して入院していたそうです」
先生「それは、産後うつ病の症状だよ。当時の精神科医なら診断できたはずだよ。内科医では産後うつ病とは診断できない時代だったかもしれないね」
私「!!!!!」「母も産後うつ病だったのですね」
先生「だから、あなたはヤングケアラーだったのだね」

この時、私の人生で起きた不具合の理由がわかった。
私の生きづらさは、ヤングケアラーになったことからはじまったのだ、という気づきが起きた。
無意識に相手のことを察するくせはこの頃からついたのかもしれない。

先生「あなたはいま、辛い思いをしているでしょう。だから、お母さんのことを責めたらいけないよ」
私「私は、病気になってから母に色々なことを言ってしまいました。(後悔)」

退院後に、母を責めるような話をしたことを謝った。
母も私と同じように産後うつ病だったことも伝えた。
母「そうなの?遺伝しちゃったのかな?ごめんね。よくないところは似てしまうのだね。」
私「そんなことないから、気にしないでね。」
母「気持ちを察することは難しいから、言葉で言ってくれないとわからないよ」
私はこれからは素直に母に甘えようと思った。

私「お母さん、もし私のことを案じてくれているのなら、元気に長生きしてね。私の味方が減ってしまうのは悲しいから」

こんな風に素直に弱さを表現して、助けを求めれるようになると思わなかった。
いままでは頼れるものは我が身だけ、という気持ちで生きてきた。
そんな私とやっとお別れできそうな気がした。

この記事が参加している募集

ありがとうございます💕 とてもうれしいです🤗