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指圧と身体観


斑鳩神社の秋祭り

日本人の肚と腰

農耕民族のからだ

昨日は、法隆寺の境内で斑鳩神社の秋祭りがありました。
コロナで中止が続いたため、去年はおそるおそる、今年は全面解禁の3年ぶりの晴れ姿です。

夫の実家近くの自宅に引っ越して4年目なので、私は斑鳩の新住民となって、はじめてのお祭り経験です。

私は兵庫県の新興住宅地で育ち、20代からほぼ30年は京都のマンション暮らしでしたから、このようなお祭りは初めてでした。

夫も大学時代に斑鳩を離れてからは永らく都市暮らしでしたから、同じようなものです。

由来などを書いていると、聖徳太子の郷のこと、うんちくは山ほどあるのですが、今回はそれは飛ばして、お祭りでかつぐ太鼓台を支える身体をみて思ったことです。

このあたりは大阪への通勤圏ということで、戦後は農村から住宅地へとかわっていった土地です。

広くひろがる田園地帯のたんぼが一枚売りに出されると、6軒ぐらいの分譲住宅が建つような感覚の場所です。

専業の農家さんは、私がみた感じではもうほとんどなくて、どこかにお勤めされていて、土日だけ農業をされている、それも先祖由来の土地があってこそで、新規就農は少なく、定年後、つまり60代70代の方が主要な担い手という印象です。

このお祭りのハイライトは、法隆寺の境内を5台の太鼓台をそれぞれの町内の男性がかつぐ、練りあわせるというものなのですが、その太鼓台の重さは町によって違うけれど、2トンから3トンといわれる重さです。

それを50人から100人で声をあわせて、かつぐ。

当日朝まで、どうしようかなぁ、やっぱり行かないといけないかなぁ・・とこわごわと参加した夫は、一発で腰と足をやってしまいました。

本人は肉離れと思ったようですが、歩けないというのでズボンをめくりあげると象のように腫れあがり、色も青黒く変色しています。

膝下が硬直して、動かない状態です。

離脱して、よぼよぼと自宅に連れて帰り、1時間ぐらいお風呂に入っていましたが、足がいっこうに温まらない。

こういう時こそ指圧の出番です。

久しぶりに2時間ぐらいかけて、ゆっくりと施術したのですが、なにをしたのか?と問われると、びっくりした身体をなだめた・・という感じです。

昔、整形外科の東洋医学センターで数多く出会ってきた、むちうちの患者さんみたいな感じです。

身体がなにも準備できていないところに、不意打ちをうけて、フローズンしてしまっているのです。

股関節も、膝関節も、足首も、危険を察知して緊急停止をかけたような感じで、ロックがかかってしまっている。

こわかったね、びっくりしたね、無茶してごめんね…と撫でさすっているうちに、ゆっくりと足は体温を取り戻し、青黒く変色していた肌もピンク色にもどってきて、足底にたまっていた水もはけていきました。

ショック症状はそれでとれたものの、まだ筋肉はすぐに収縮しようとし、硬くかたまろうとするので、何度も足底と膝裏と鼠径部を掌圧しながら、氣血水が通常運行にもどるのをまちます。

当然、下半身の緊張をうけて、上半身も過緊張ですから、それもほどいていかなければなりません。

ふるさとの祭礼を守ろうとしたという動機が善であるので、しょうがないですが、せっかくの三連休は安静となりました。

そしておもったことは、日本人の身体は、こんな風にこの30年ほどで劇的に変わってしまったのだろうなぁということ。

夫の父は83歳ですが、幼いときから農作業を手伝っており、今も現役バリバリの農家です。中肉中背というよりやや小柄ですが、今でも30㎏の米袋を軽々と軽トラに積み上げます。

昔の米俵は60㎏だったそうですが、若いときは米俵2俵ぐらいは平気で担げていたそうです。

2俵といったら120㎏です。私は30㎏の米袋を持ち上げることはできても、担ぎ上げることができないので、それを4倍と考えると、どう考えても持ち上がる気がしません。

でもそれを軽々と担ぐ日常が、ほんの30年前にはあったんだと思います。
農業は、まだ機械化されておらず、夫が小学生の頃は手作業だったといいますから、ぬかるんだ田に入り、中腰で田植えをしたり、稲刈りをしていた。

そして、そのころから急速にトイレは和式から洋式へと変わり、しゃがむということがなくなっています。

まだ私が中学生のころ…というと昭和50年代ですが、不良はしゃがんで煙草を吸って…というイメージがありました。

そしてそのスタイルはウンチングスタイルなどと言っていたものですが、今の若者はそんな言葉は聞いたことがないでしょうし、そもそも若者はしゃがめなくなっているのではないでしょうか。

ちゃぶ台で正座してごはんを食べるサザエさん一家のような風景は、いつまでが多数派だったのでしょう。

台所はダイニングキッチンとなり、ダイニングテーブルでダイニングチェアで食事をとるスタイル。

しゃがむことも、正座することも、日本の生活様式から消えてなくなりつつあります。

生活様式の和から洋への変化。

それは、姿勢にも色濃く影響します。

足袋に草履の文化もなくなってしまいました。

うちの患者さんのおからだを診ていても、たいていの人は外重心です。

小指側に重心が乗ってしまって、完全に中心軸がぶれてしまっているのです。そういう方に、私はいつも足袋ソックスをお勧めするのですが、足袋をはくと、親指と人差し指のあいだに氣が集まるので、中心軸が体幹に近く通るようになるんです。

書いてて思い出しましたが、夫はおそろしく外重心です。
靴も外側がすぐにすり減ります。

今回のお祭りは急遽の参加だったので、靴で参加していましたが、私があとで見に行って「あ、しまった…」と思ったのは、太鼓台を担いでいる人がみな地下足袋をはいていたことです。

せめて、揃いの装束と地下足袋で参加していたら、あんな急性の症状にはならなかったかもしれません。

外重心の姿勢で、いきなりの最重量がかかってしまったため、身体の胆経という一番外側を通る経絡が、硬直することでつっかい棒のようになって、身体を支えるしか術がなかったのでしょう。

粘り強いという言葉がありますが、弾力をもった脊柱、柔軟なからだのこなしでないと、硬直したつっかい棒ではからだはぽきんと折れてしまい、粘ることができないのです。

きっと昔は稲刈りが済み、その充実した体力気力でもって、村の力自慢たちが存分に力を発揮できるような、祝祭だったにちがいない祭礼ですが、頭と眼しか使っていないデスクワーカーには過酷な試練のようになってしまいました。

今の若い男の子を見ていると、もっと足が長く、腰の位置が高いので、更に過酷になるのではないでしょうか。

時代は、後戻りすることはありません。

それぞれの時代にあった身体観で生きていくことしかできません。

ストレッチや、体幹トレーニングをすればいいのか?というとそれも違うでしょう。

肚がすわる。

腰がきまる。

という言葉がありますが、どちらも農耕民族として、和の生活様式の中で獲得してきた身体性です。

それを私たちは加速度的に手放そうとしています。

東洋医学的には上虚下実が理想であるのに、現代人のからだはまず間違いなく上実下虚となり、氣が上ったまま、臍下丹田におりてこないのです。

でもそれに対する処方箋を、指圧師は示せるのではないかと私は希望を持っています。

まず氣づく。氣をつけることが大事ですが、あなたのお身体の状態はこうですよ…ということを、指圧師は身体を読み解いて伝えることができます。

指や手掌に触るものももちろんですが、目にみえないものも言葉にすることができます。

たとえば、今回の夫のことでいうと、身体だけでなく、こころも深く関係していたように思います。

彼は、故郷にかえってきたのだから、祭礼に参加せねばならない…という義侠心に近い気持ちだったのだと思うのですが、私がみた感じ、「逃げ腰」だったし、「及び腰」でした。

氣がひいてしまっていて、まったく乗り氣ではなかったのです。

それが祭礼の場において、まわりの氣にのまれてしまったまま、持ったこともない重量の太鼓台を「へっぴり腰」で担ぐことになってしまった。

『氣の持ちよう』というのは、おそろしいほど、身体を左右するのです。

そういうことを身体から読み解き、本人に伝える。

その説明が「腑におちる」ものであれば、それだけでも身体はゆるみます。

そして、「へっぴり腰」だった自分を思い出し、描いて、客観視して笑えるようになれば、そこで張りつめていた氣が抜けて、一気に楽になります。

きっと、本人は私がこんな高等なことを考えているとは夢にも思っていないでしょうが(笑)、指圧って、べつに指や手掌で圧していることだけではないのです…と蔭でえらそうにいっておきます(笑)




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