表現し、形に残す事を学校教育へ②

 前回を軽く振り返ると

・「学び場」としての学校で得られたもの

・学校教育によって生徒が得るものは変化しなければいけない。そこで、筆者が考える新たな学びの3要素。

・その3要素を得るための、新たな学習法(教授法)としてのCBL(Challenge Based Leaning)の説明とその具体例。

 といった感じです。まだ読んでいない方は、ぜひ読んでみてください。おそらく、この記事をより深く理解していただくには、必読です。

 前回は、CBLについて詳しく触れていきました。

 だいたい簡単に述べると、「今までの暗記、板書型の学習からの脱却を図れる学習法」といった感じです。

 そこで今回は、その導入によってもたらされる、学習の3要素についてお話しします。

「課題解決能力とその実践力」

「チームの中で生きる力」

「世界を素直に見る力とクリエティビティ」

の三点を、前回の記事であげました。

 それらについて、どうCBLの仕組みの中で育成されるのかという事、そしてなぜこの3要素なのかという事についてお話しします。


1. リアルが生徒を成長させる。

 まず、前回取り上げた、社会科の例を取り上げ直してみます。

 トピックは、地方の産業、特産品などについて。学習のゴールとしては、「それらを、生徒それぞれが選ぶメディアを用いて(ビデオや冊子)、それらをPRし、実際にそれらをその当事者に使ってもらい、フィードバックをもらう。もしくは、実際に会社並みに販売促進してみる」

 というものでした。

 そのプロセスに、今回の話の全てが詰まっているといっても過言ではありません。

 先ほど挙げた3つの要素を一つずつ、挙げてみましょう。

1.1. 「課題解決能力とその実践力」

 これは、比較的わかりやすいかと思います。端的に述べれば、今までの学校教育では、「リアルさ」と、挫折や成功体験が足りていなかったと思います。

 例えば、もし、社会で産業について学んだり、英語で単語文法について学んでも、学外もしくは、学内でも何かしらの形で、その学びの「成果」を示すことはなかったと思います。成果としてあげるとしたら、「テストで良い点を取り、受験に有利になる」ということくらいでしょうか。

 それが、CBLの中で学習が進むと、学習した内容をもとに、「誰にでも起こりうる問題(健康、環境、労働、家計、異文化理解、男女格差、LGBTなど)」について、何かしらの形で、解決策だったり、それに近づくヒントなどを「遺す」ようになります。

 先ほどの社会の例だったら、「日本の衰退する産業を実際に再興するために、魅力を発信する」という課題に対して、何かしらの解決策を提示することがゴールとなります。そのツールとして、メディアや販促というメソッドが取られる。

 もちろん、前回も述べましたが、生徒はそれを自分が好きな形で残すことができます。「これをしろ!」とか教師が決めつけることはせず、常に生徒主体の教師はサポートという形は崩しません。

 そんななかで、生徒たちは先輩(教師)に意見も聞きながら、どうしていくかをそれぞれ考えていきます。もし、同じ内容を取り扱っていたら、協働で取り組むことも可能です。

 そうすると、「課題解決のためのロジックや実践の難しさ」などに突き当たる事になるでしょう。それをうまく突破出来れば、とてつもない「生きる力」が身につくでしょう。部活動などで大きな成果を挙げた時に、子どもたちが、それらの経験を通してどう成長していくかということを想像してもらえれば、同じ「成功を得る」という視点からして、明らかだと思います。

 

1.2.「チームの中で生きる力」

 部活でも、大学のサークルでも、会社やNPOなど、どこでもコミュニティがある限りは、人間は集団の中で生きる事になります。

 最近は、その属しているコミュニティの中で、やりがいを見つけられないとか、居場所がないなど、自分がやっている事に対して、かなり疑問を感じ、不平不満を言う人もいます。

 それは、僕から言わせてもらえば、それはかなり無責任で、本当に人生について考えた結果なのか、もう少し自分の限りある人生を大事にしようよと言いたくなります。

 でも、どうしても「そんなこと言われても、考える時間なんてなかったし」とか「考えても、自分のやりたいこと、社会における役割なんてわからない」と言う人は多いかと思います。

 だからこそ、なんとなく仕事に就き、家に帰ればグータラしてしまう人っていうのは一定数いるんだろうなと思います。自分が、「日本」とか「世界」と言うコミュニティの中で、どう振る舞えば良いかわからない人ばかりですから。

 しかし、その悩みに対し、問いに近づくヒントを与えるのが、CBLだと考えています。

 考えてみてください。自分のやりたいことって、やってみないとわからないじゃないですか。そしたら、生徒が学習した内容で、彼らのやりたいようにやらせてみる。

 例えば、絵を描くのが好きな子は、漫画やイラストで学んだことの表現を表現する。音楽が好きな子は、楽器演奏や、歌でその成果を表現する。etc...

 これだけでも、本当に彼らがそうすることで幸せなのかと言うことを、教科教育と同時進行で気づいてもらうきっかけになるわけです。その中で彼らが気づくこと、考えることをうまく受け止めて、彼らの次の一歩を押してあげるのは僕たち先輩の役目です。

 そうする中で、生徒は社会の中で居場所を見つける事が出来る。チームの規模にか関わらず、自分の居場所を見つけるのが上手になる。CBLの中で失敗も成功も体験する事になるからです。

 もちろん、それで挫折する子がいたり、自分の役割に悩む子がいるなど、色々な問題があるのは確かです。しかし、これまでのように、手がかりが少ない状態で個別面談や進路相談をするより、ずっと踏み込んで、具体的な話もできるくらいの生徒観察が可能になると思うんです。

 今までは、「絵がすきだから、芸術系の大学に行くのはどうか?」と言うアイデアを出すにとどまっていても、その子がどう言う絵が好きなのかを彼らの創作物から汲み取る事で、よりパーソナライズした話ができるかと思います。そうする事で、教師がサポートするチームの居場所探しもうまく行く事でしょう。

 このように、生徒にとっては、チームで生きる術を、教師にとっても生徒の進路についてより深いレベルで知り、相談できる事につながります。


1.3. 「世界を素直に見る力とクリエティビティ」

 最後の要素として、CBLの最大のポイントです。

 言葉のまんまで、世界を素直に、曇りのない目で見る事で、それをクリエティビティに繋げていくのです。

 例えば、僕たちって、どうしても世界を何かのフィルターにかけてみてると思います。しかも、何重にも重なったやつ。

 でも、生徒はまだそのフィルターが少ない。そこで、彼らが出来ることは、大人すら思いつかない事を発見し、それについての何かを創造する事です。

 みんなこれが出来たら、違いがもちろん生まれます。「私もそう思う」が通用しない世界なので、それぞれの作品を作り、「みんな違ってみんな良い」の世界が生まれます。

 そうすると、他者理解、異文化理解、体に不自由がある人に対しての理解など、なかなか理論的にわかっていても実際には出来ない事が、自然とできる生徒が増えるんじゃないかと思います。

 みなさんわかっているように、それらの能力は、グローバル社会となった現代で必須の能力です。

 そういった面で、素直に見れるうちに見てもらう。そして、それぞれの創造性を爆発させてもらう。これが上で挙げたような所で、生きていくんじゃないかと思います。

 

2. まとめ

 まだまだ書き足りないくらいですが、3000文字超えてたので、このくらいで。

 CBLと新たな生徒に求める能力についての持論でしたが、掲げている理想が少しでも実現していくように、自分もこう言う風に発信していきたいと思います。

 実は、僕の卒論テーマはCBLについてです。笑 随時、卒論の文献を読みつつ、ここでも発信していきますね。

 普段はこんな長くないです。笑日常のことをつらつらと書いているだけなので、よかったら別の記事も読んでみてください。

 長文お読みいただき、ありがとうございます。


それでは! 


 

 

 

 

 

 


 

 

エンジニアリングとコーヒーをこよなく愛する新米エンジニア 夢は、「世代を超えて、それぞれの幸せを追求できる社会を創造する」こと エンジニアだけどコーヒーを上手に淹れます。 頂いたサポートは、より良いnoteの記事を生み出すために使っていきます。