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人生における自分探しに、締切なんてないから


10代のころに考えてた、「自分って何になりたいんだろう」とか「どんな人生にしたいんだろう」っていうぼんやりとした悩み。


なんと、アラサーになっても解決していません!!ごめんね、過去のわたし。考えてること、ぜんぜん変わってないよ。

なんならさ、もっと切羽詰まってるかも。人生の残り時間が当時よりも減ってるからね。

なりたいものとか、目指す人生とか、正直まだよくわからない。



例えば、「月にこれくらい稼ぎたいな〜」とか「さっき見かけたマンションみたいな家に住んでみたいな〜」とか、そういうのはある。

でもこれって、目指す未来というよりは現実的な目標って感じ。自分っていうよりは、環境の話だよね。

そこじゃなくて、どんな自分でどんな人生を過ごしたいかって話。


いわゆる「自分探し」になると思うんだけど。これって「よし、探そう!」って言って見つかるものじゃないじゃん。

自分探しとしてよく聞くのは、旅に出てみたり、仕事や人間関係で新しい環境に飛び込んでみたりとか。

ぜんぶやってみたことがあるし、自分にとってなにが好きでなにが嫌いかを知る機会にはなった気がする。でも自分が見つかったのか?と聞かれると、よくわからない。



でも同世代で活躍している人を見ると、自分のことをうまく言語化できていて、目指す未来も決まっている人が多いように見えて。

「わたしはこうです!」って言葉にできているのが、うらやましいのかもしれない。そこには意思が見えるし、なんだかまぶしい。


一方でわたしは、なんか一生迷走してるんじゃないかなって。

いっそのこと自分探しの締切を決めてくれたら、もっと本気で考えて言葉にできたかもしれない。でもこれって締切もなければ正解もないし、やる義務だってないもんね。



こうして焦ってはすぐにネガティブに入っちゃうのが、わたしのクセなんだけど。

でも一方で、「締切がないならラッキーじゃん!」とか言う脳天気な自分もいて。探そうと思って見つかるものではないなら、目の前のことをがんばったり、楽しめばいいんじゃない?とか。

年齢を重ねてきて、こういう開き直りみたいな感覚が生まれつつある。これはこれで、いいことかもしれない。


わざわざ探さなくても、自分はここに存在しちゃってるわけだし。

現実を受けいれて生きつつも、なりたい自分や人生が見つかったときには、全力でお祝いしたいね。


またね。



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ゆうあん
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