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未来を紡ぐひみつきち #7(最終話)


 邑へ帰る途中、サクを調達した。ゲンランが以前使っていた傷薬のもととなる蔓草である。どうすれば傷に好いのかわからなかったから、とりあえず数枚の葉っぱを重ねて、蔓でぐるぐる手に巻きつけた。


 邑に着く頃には、陽がずいぶん傾いていた。

 家の裏手にひっそり降りたにもかかわらず、父が飛んできた。今か今かと待ち構えていたらしい。空の茜色を受けているのに一目でそれとわかるほど父は顔面蒼白だった。心なしか厳めしい顔がやつれて見える。

 レゼルから聞いたのだろう。灰狼(イーニィ)族の嗣子と揉めたのか――と訊いてきた。

 リディオはとっさに短剣と怪我を負った手を懐に隠した。

「……口喧嘩のようなものは」

 答えに窮した結果、なんとも間の抜けた返答となった。
 案の定父も、くちげんか、と反芻してきょとんとした。あまり詳しく訊かれても余計な心労を掛けるだろうと思い、リディオは早々に話を打ち切り、ヤンたちの居場所を問うた。

 家に寝かせているという。

 表にまわってみて驚いた。
 家の戸口や窓のあたりを中心に、邑の者たちが集まっていた。

 皆、異種を見たことがないのである。考えてみれば変な話だ。広いといえどひとつの森に棲んでいるのに――。

 戸口から部屋は見えぬ。窓から見えるのも居間や廊下だけである。
 興奮した子供たちは、小さな翼をぱたぱたと羽ばたかせながら、どこどこ見たい、と飛び跳ねている。二階の窓へ翔ぼうとする子もいたが、大人たちが止めていた。止めながら、ひそひそとなにか囁きあっている。

 二階には家族の寝室がある。ヤンたちはそこに居るのだろう。

 さすがに、邑長一家の寝室を覗く者はいなかった。

 リディオが近づくと、人垣は勝手に割れた。
 人々のさざめきもぴたりとやんだ。

 リディオは――無言で、家の中に入った。二階に向かう。

 弟レゼルの部屋のまえに、弟本人が立っていた。まるで締め出されてでもいるかのように、頼りなく、所在なく。リディオの姿を認めると、刹那的な安堵と瞬間的な緊張を綯い交ぜにしたような複雑な表情を浮かべて、兄上、と小さく発した。

「……迷惑、かけたな」

 リディオが言うと、レゼルはきゅ、と唇を噛んで首を振る。

「そんなことより、お怪我は」
「手を――少し。平気だ。大したことねぇよ」

 懐に隠したまま、答える。
 レゼルは不安そうに眉を下げた。

「灰狼族にやられたのですか」
「いや」
「なら――」

 弟の声を遮って、

「大丈夫だ、レゼル。手は出してねぇし、出されてもない。少し揉めたけど――それも、……口喧嘩みてぇなものだから」
「口喧嘩、ですか……?」

 弟にまできょとんとされる。しかし他に言いようがなかった。
 リディオは逃げるように間口を抜け、室内へと足を踏み入れる。

 窓から夕陽が差し込んでいる。

 ヤンは寝台に寝かされていた。掛布から出した両腕、顔――見えるところには綿紗(ガーゼ)や繃帯があてられている。素人目にもしっかりとした手当てが施されているのがわかる。
 ゲンランが懸命に処置を行ってくれたのだろう、そばの小卓にはその痕跡が散乱していた。本人は寝台につっぷして、どうやら眠っているようである。背中が穏やかに、規則正しく上下している。

 二歩ばかり足を進めたところだった。

「――おまえ。口喧嘩できんのかよ」

 唐突にヤンが声を発した。寝ているものと思っていたがどうやらすでに起きていたらしく、ゆっくりとまぶたを上げた。

「いっつも『うるせぇ』しか言わねぇくせに」
「……うるせぇよ」

 ヤンが笑い、首をめぐらせた。こちらを向く。
 それとほとんど同時に――いったい何に反応したものか、ゲンランがぴくっと肩を跳ねさせて顔を起こした。あッと声をあげる。

「ヤン、目さめたの」
「とっくにさめてる。ずっと寝てたの、おまえだろ」

 可笑しそうに、ヤンが言う。

「ごめん、なんか――急に眠くなっちゃって」
「一気に疲れが来たのでしょうね」

 間口に立ったまま、フォローするように弟が言った。その口調は柔らかく、親しげにも聞こえるもので――リディオは少し安心する。

 そうみたい、とあくびをかみ殺しながら振り返ったゲンランはようやくリディオに気づいたらしく、またあッと声をあげて腰を浮かせた。

「リディオ、大丈夫だった? 怪我は?」

 弟の手前もある。
 リディオは無言のままゲンランの隣にしゃがんで、懐から手を出した。診せる前に、持っていた短剣をヤンに握らせるように手に乗せる。

 頭をもたげ確認したヤンが目をみはる。それから、力が抜けたようにぼすりと枕に頭を沈めた。感触を確かめるように柄をゆっくり握り締めると――もう片方の手の甲を額に押し当てた。

「失くしたと――思ってた」
「マグィが持ってた」
「……素直に返してくれたのかよ」
「……まあ」

 うん、とリディオは小さく頷く。ゲンランのほうへ、怪我をした手を差し出した。

 ゲンランは、サクの葉と蔓でぐるぐる巻きにされた手を見て唖然とし、「すごく……斬新だね」と呟いた。うるせぇな、とリディオは返す。わからなかったのだから仕方がない。

 念のため、間口に立っている弟を目で示し、指を唇に持っていった。傷は深い。弟にはあまり知られたくなかった。

 ゲンランはこくこくと頷いてから、蔓に指を掛けた。

 ――不思議なものだ。
 今になって、傷がじくじくと痛みだす。

「悪かったな。俺のせいで」

 呟くように、ヤンが言った。

「おまえのせいじゃねぇよ。――あいつが生意気なのが、悪い」

 いつしかヤンが言っていた言葉である。笑ってくれるかと思ったが、ヤンからの反応はなかった。沈黙して、腕を目に押し当てる。そして微かに首を振った。

「俺のせい――だよ」
「ヤン」
「違うんだよリディオ」

 遮られた。ヤンが悔しげに、唇を噛む。
 違うんだ、と繰り返した。

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