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きらそね(高埜夕)
2021年6月26日 16:17
どうか嘲笑(わら)わないでほしいのだけれど、私には、妖精が見えている。 妖精といっても絵本に出てくるような人のかたちをしたものではなく、ひかりのかたまりみたいなもの。手のひらサイズでまるっこい。人間の肩のあたりが好きらしくて、まとわりつくようにふぉんふぉん飛んでる。ひとりにひとつ、色はいろいろ。オーラのかたまりのようなもの、と表現すれば、すこしはイメージしやすいだろうか。 いつから見える
2021年7月27日 09:08
#1へ 前ページへ 海に行きたい、とれなが言った。 春休みに入る直前で、奈美が姿を消してから二か月が経とうとしていた。「メッセージボトルって、しってる?」 その日、仕事から帰宅した僕を玄関まで出迎えてくれたれなは、おかえりなさいもそこそこに目を輝かせて訊いてきた。胸に抱いた日記帳。奈美によく似合いそうな深緑色のシックなもので、あの日以来、れなは毎日、母親に宛てたメッセージをしたた
2021年7月26日 09:07
#1へ 前ページへ すっかり疲れてしまったのか、れなは僕の腕のなかでよく眠った。 タクシーに乗っても、電車に乗っても、ときどき身じろぎをするくらいで起きる気配はまったくなかった。それでいて座席におろそうとすると、熟睡しているはずの小さな手が僕の服をぎゅっと掴む。コートの襟を握りしめ、離れまいとする。 貧弱な僕の腕は早くから悲鳴をあげていたけれど、もう聞こえないふりをするしかなった。来
2021年7月25日 09:32
#1へ 前ページへ 結局、江崎舞子はなにも訊いてこなかった。僕も結局なにも話せずに終わってしまった。このときほど自分が脆弱な卑怯ものだと痛感したことはない。 彼女と別れたあと、タクシーを拾って警察署へ行った。捜索願――正式には行方不明者届というらしい――を出すためであったけれど、コートのポケットに財布と携帯しか入れていなかった僕は、印鑑だの写真だのと届出をするのに必要なものをなにひとつ
2021年7月24日 10:40
#1へ 前ページへ 僕が目を覚ましたとき、奈美はどこにもいなかった。 うちじゅうのドアを開けはなっても、何度名前を呼んでみても、彼女の姿はどこにもなかった。声もなく、呼吸の気配さえ見つからない。電話をかけても、聞こえるのは規則的な呼出音と、静まり返った家のどこかでむなしく鳴り続ける着信音だけ。音をたどると、リビングのすみに投げだされていた奈美のカバンのなかからだった。探ってみると、スマ
2021年7月24日 10:34
#1へ 前ページへ せかいはこんなにもうつくしい。 ほんのり明るい雪の夜。まっしろな道路にまっしろな屋根。夜にのまれてとじこめられても、雪の白さは穢れをしらず、淡いひかりをきらきらはなって、足元から、黒い世界を照らしてくれる。 いとしいれな。 あなたの生きるこのせかいは、こんなにもうつくしい。 あなたのパパは、心のやさしい、いいひとだ。 肩にちらつく黒い影さえ、かすんで消え
2021年7月23日 13:52
#1へ 前ページへ 翌朝、いつもの携帯アラームで目を覚ました僕は、あいかわらず時間が止まったままみたいな奈美の寝姿をしばらく眺め、それからようやくのそのそと動きだした。 昨日、リビングで座ったまま眠りこけてしまったせいでしわくちゃになったスーツを脱ぎ、クローゼットのなかを引っかきまわして部屋着を見つけ、風呂に入って軽い朝食をとり、それから会社に電話をかけて休む旨を伝えた。 体調不良と
2021年7月22日 11:50
#1へ 前ページへ 奈美はソファで眠ってしまった。泣きはらした顔はひどいもの、髪はぼさぼさ、普段の彼女からは想像もつかない姿なのに、その寝顔は、れなに本当によく似ている。 ベッドから引っぱりだしてきた毛布で奈美をくるみ、義母の携帯に電話をかけた。呼出音を聞きながら寝室に入り、声がもれないようきっちりと扉を閉める。 奈美からは、れなをたたいた、という一言しか聞いていない。結局なにが起
2021年7月21日 06:28
#1へ 前ページへ インターフォンを二度押しても、奈美の声は返ってこなかった。 僕は仕方なくカバンの内ポケットから自宅の鍵を取りだして、エントランスのドアをあけた。ひっそりと静まり返った階段をのぼる。 ここに住み始めた当初、奈美にはよく、鍵を持ってるんだから、とぼやかれた。わざわざインターフォンを鳴らさないで自分であけて入ってきたら、と。確かにそのとおりではある。この鍵でエントラン
2021年7月20日 09:56
#1へ 前ページへ ぎしぎしとおとがする。みみのおくでたえまなく。 おおきくなったりちいさくなったりするこのおとのしょうたいが、わたしにはまるでわからない。 れなの担任の鈴原先生から電話があったのは、舞子と会い、朱色の妖精をもつ青年の来訪を受けた翌日のことだった。 最近、れなが授業中によく居眠りをしているという。元気がなくて、休み時間もひとりで席に座ってぼうっとしているのだという
2021年7月19日 12:08
#1へ 前ページへ 帰ってすぐ、シャワーを浴びた。 頭のてっぺんを熱いお湯にうたせるとなにもかもがすっきりする。トマトの湯むきみたいに余分なものがずるりとむけて、ごく自然に、なんの力みも必要なく、フラットな私に返ることができるのだ。 舞子に見せる顔かられなに見せる顔へ、よその世界の私から、私たちの世界にいる私へ――その準備を整えることができる。 バスルームを出て、洗いたてのタオル
2021年7月18日 15:37
#1へ 前ページへ 舞子から電話がきたのは、クリスマスが通りすぎ、新年を迎えてすぐのことだった。 おめでとう今年もよろしく、と新年のあいさつを交わしたあと、舞子は、さっそくだけど近々会えないかしらと楽しそうに言ってきた。いつでもいいわ、明日でも、と。 舞子を取りまく状況が好転したのかと思ってすぐにでも会いに行きたかったのだけれど、れなの冬休みが終わってからのほうが私としては出やすか
2021年7月15日 15:48
#1へ 前ページへ「ただいま」「おかえりなさい」「れなは?」「ねむってる」「そう」「ごはんは?」「食べる」 帰宅して、いつもどおりの会話をいつもどおりに繰り返す。 不思議なことに、昨日も今日も、一昨日の荒れた姿がまぼろしだったのではと疑いたくなるほど、僕の目に映る奈美はちゃんとしていた。悠との遭遇も作り話じゃないかと思えるほどに僕に対する態度も変わらない。 だから僕
2021年7月14日 08:54
#1へ 前ページへ 悠とは、あれから一度も会っていなかった。 いまの時代は他人同士がつながりやすく、また、切りやすくもある。僕から連絡をしなければ、悠と僕の関係はあっというまに立ち消える。 彼女は僕を知っているようでなにも知らない。どの辺に住んでいるかは知っているが、住所は知らない。勤め先が店から近いのは知っているが、会社名や詳しい位置は知らない。妻一人こども一人あるのは知っている