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人から見える努力と自分の努力は見え方が違う

久々に記事を書いています。
下書きにメモで題名など頭に浮かんで考えている事を残しているのですが、
今日は「人から見える努力と自分の努力は見え方が違う」
という事を自分の経験からの思うことを書いて行きたいと思います。
今日も少しの時間ですがお付き合いください。

今日までバスケットボールの指導をしてきて、
いつも思うのは努力ってなんだろう?という事です。
努力の形は人それぞれで、
努力を評価する人の受け取り方もそれぞれです。

仕事で言えば、
結果が求められていても
サービスを提供する側が最高のサービスを提供したとしても
受け手がそれをどう感じるか?によって答えも点数も違います。
受け手が評価しないと努力してるとは見えない部分もあるし、
受け手がどこを評価するのかはわかりません。

バスケでも同じです。
指導者がどこを評価するのか?
例えば、
練習での取り組み方を評価するのか?
試合での結果を評価するのか?
細かな所に気がつく事を評価するのか?
みんなに見えない所で頑張ってる事を見つけて評価するのか?
様々な評価があると思います。

そして指導者側も評価されています。
試合の結果なのか?
1年後、2年後のプレイヤーの成長なのか?
進学先へどれくらいの生徒を入れられたか?
練習の指導が日々出来ているのか?
暴言暴力はないか?などがあります。

前に書いた記事で公立校、私立校の違いを書いたことがありますが、
公立校は教育委員会が管理や監視をする事が強く出来きますが
新しい事を簡単には受け入れられない部分も多くありますが、
私立校には、公立校のように監視を強くされず、
独自のルールで色々な意見を受け入れる事が
公立校に比べるとやりやすいという部分があります。

ただし、教員になるために学ぶ場所は公立、私立関係なく
大学の中でのものなので、
何十年も変わらないものも多くある中で
教員というある種閉鎖された中での常識は、
一般社会の常識とはかけ離れたものが多くあるように思うことがあります。
あくまで、私が今まで関わってきた方々の中の話ですが・・・
と話が変わって行くので戻しますが、

会社でも学校でも
自分はこれを頑張ってるんだよ!と思ってやっていても
それが違う場合は多くありますし、
それは自分1人では気づけない事が多いのは
社会人の方はわかると思いますが、
人がアドバイスするときには、
いきなり言ったり、強い口調では言わないと思いますし
大切な人に1回目からきつい言葉やきつい言い方はしないはずです。
初めに確認してから、自分の想いを伝えて様子を見て、
良い方向に進んでいるなら、それを伝えて上げる。
悪い方向に進んでいたら、話を聞いてみて、
それが何度も続いたら、然るべき対処をする!となるんじゃないか?と思っています。

家の子供達にも、指導してる子供達にも話しますが
「間違った努力は裏切るが、正しい努力は必ず報われる」
と話しています。
努力に間違ってるとか、正しいが明確にあるのかはわかりません。
正しい。間違い。って勉強の中では明確にありますが
今の時代は正しいから何を言っても良い!とか、
そういう時代ではなくなってるし、
多数が必ず正しいとは限らない世の中になっているからこそ、
自分1人で見てるものが純粋に私情抜きでの評価なのか?
自分の両目で見えてるものに思い込みがないのか?
それは自分の信じれる人と話してみてから考えてみてもいいと思います。

自分の脳も嘘をつくのは脳科学では有名な話なので!

人から見える努力も自分の思う努力も同じ努力ではありますが、
一度自分の努力、他人から見えている自分の乖離を
一度考えてみる日を作ってみてください。

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