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【年齢のうた】尾崎豊 その3 ●10代の最後を刻んだアルバム『壊れた扉から』、そしてライヴツアー「LAST TEENAGE APPEARANCE」

これは、まい泉黒豚しぐれ塩かつ重。先週、巨人-阪神を東京ドームで観戦した際に食したものです。
いやぁ、おいしかったなー。まい泉のお弁当食べたのがひさびさ。ソースじゃなく塩って大人な感じがするけど、そんなことないか? 単に自分が子供の頃はなかっただけかな。
ちなみに1600円しましたが、アプリの企画で1000円引き。球場弁当も値上がってますね。
試合はタイガースがなんとか勝った夜でした。

私事では、ようやくPCを買いました。未着ですけど。自分になじむといいなー。仕事は普通にこなしていますけれど。連休前の慌ただしさもありでね。
そうだ、わが家はGWの予定を決めていないのでした。この数年間で、連休にどこかに出かけるという旧来の過ごし方を忘れてしまった。
うーん、どうするかな~。


では尾崎の3回目です。

先日から息子の尾崎裕哉がテレビでよく唄ってますね。なるほど、「I LOVE YOU」と「OH MY LITTLE GIRL」をカバーしたEPをリリースしたと。

彼は現在33歳。父親が亡くなった年齢をとうに越えているんですね。

10代最後の日にリリースされた『壊れた扉から』


ここまで書いてきたように、尾崎はデビュー当初から年齢についての歌をいくつか書いている。それにあたってはプロデューサーの須藤晃氏の存在が大きく、その上、尾崎本人も日本文学に関心があったことが関係しているようで……そうして「15の夜」や「十七歳の地図」が生み出されていった。

やがて尾崎は19才になり、ヒットした「卒業」を含む2作目のアルバム『回帰線』で大ブレイク。これが1985年の春のことだ。僕は当時、このアーティストを気にかけていたわけでも、また近くに尾崎ファンがいたわけでもないので、詳細は記憶していない。しかしこのへんから彼を取り巻く喧騒がすさまじくなっていった印象は確実にある。

ブームというには、その渦はあまりにも加速の上に加熱を続け、ファンの中にはまるで信者のように彼に心酔する人たちも現れはじめた覚えがある。身近にいなくても、その騒ぎはメディアや噂など、あらゆるものを通して伝わってきていた。
気がついた時には、尾崎は「10代のカリスマ」「若者の代弁者」のように言われるようになっていた。あの頃のその熱は、社会現象だったと言っていい。もっとも、それだけ若い世代の感情に訴えるだけの歌であることは事実だったのだろう。

そして同じ1985年の秋、短いインターバルで発表されたのが、3作目『壊れた扉から』だった。このアルバムのリリースは尾崎の10代最後の日、つまり11月28日に設定されていた。スタッフが一体となり、彼が10代のうちに3枚目のアルバムまでを発表しようという動きが結実したとのことである。

難航したレコーディングではあったが、それを終えると、尾崎はこのアルバムのリリースにちょっとだけ先駆けて、全国を巡る大規模なライヴツアーに出ている。11月から翌1986年元旦まで行われたそのツアーのタイトルは、「LAST TEENAGE APPEARANCE TOUR」といった。つまり彼はこのツアーのうちに10代の日々を終えて、アルバムを出し、20代に突入したことになる。
本当に怒涛のようである。デビューした1983年からわずか2年ほどという時間が。

と、こうして振り返ってみると、当時の尾崎については何かと「10代」というテーマが掲げられ、それがついて回っていた。おそらく彼もそれを受け入れていただろう。
とはいえ、それは最初からこだわったものではなかったはずだ。曲作り、創作については、あくまで彼の世界を最大限に表現する音楽が目指されただけで、そんな中で、たとえば15歳、17歳、そして10代というモチーフが引き出され、大きな支持と共感を得ていった。そんな流れではないだろうか。
その過程で尾崎はカリスマのような存在となり、巨大な数のファンを獲得していった。

こののちの尾崎……つまり20代になってからは、活動の休止やさまざまな事件があったりして、どうしても大きな太い線が引かれたイメージがある。その復帰後には、やがて家庭を持ち、子供が生まれたことがテーマになるなど、アーティストとしての成長と変化を見せていったことは間違いない。そしてそれらにも、その時々の彼のリアルな感覚が込められていたと思う。

ただ、僕個人が聴くに……10代の頃の尾崎の歌は、無鉄砲かつ無邪気なままで、本気で自由を求め、それでいて切実さでまっすぐなリアルさを抱えていたことを思ってしまう。

19歳の尾崎を記録したライヴ盤『LAST TEENAGE APPEARANCE』


1997年に発売されたライヴ・アルバムの『LAST TEENAGE APPEARANCE』は、1985年11月の東京・代々木オリンピックプール(その後、代々木競技場)での模様を収めている。

「卒業」で始まるこのセットリストは、現場で体感したら、さぞ鮮烈だったろうと思う。

また、「彼」や「Driving All Night」など、コンサートの時点ではまだ発売前の『壊れた扉から』の楽曲も演奏されている(これ以前からライヴでやっていた曲もあるようだが)。曲調などは、最初の頃のイメージから変化しつつあることもわかる。

そして「十七歳の地図」「15の夜」「I LOVE YOU」、それに「シェリー」といった曲たちももちろんパフォーマンスされている。それらはパワフルでワイルドだし、また、デリケートで、センシティヴでもある。

しかし後年の尾崎を思うと、このライヴ盤の熱気に包まれながらも、せつない、ホロ苦いような感情が自分の中に湧き上がるのも事実である。

当ライヴ・アルバムが出たのは、実際のツアーから2年が経った1987年の秋のこと。22歳になろうとしていたその時期の尾崎は、ステージ上で倒れたり、クスリに手を出したりと、混迷の道をたどろうとしていた(そのため、このアルバムの制作に尾崎本人は関わることができなかったようだ)。
あの当時、リアルタイムでこのアルバムを聴いたファンは、どんなことを感じ、どんなことを思ったのだろう。

前々回に紹介した記事で、当時のバンドメンバーが、こんな発言をしている。


尾崎さんのバックバンドでドラムを担当していた吉浦芳一さんは「19、20歳の年齢になって、『15の夜』をいつまでも歌うのは歌いづらいと言っていた」と言い、ギターを担当していた江口さんは「悩んでいる姿は俺たちには見せなかったけれど、それはヒシヒシと分かりますよね」と明かした。


今あらためて聴く尾崎の歌は、本当に素晴らしいと思う。映像を観ると、どこかナルシストな雰囲気も漂ってて、それがちょっと鼻につくところもあるのだが。そうした人間だからこそ、不満や葛藤を抱える中から自分自身のリアルを叫ぶことができたのだろうとも考える。そして須藤氏をはじめ、周囲のスタッフたちも最高の仕事をして、尾崎とともに作品たちを作り上げたのだと思う。

しかし、自分の目線では、若き日の尾崎は、自分が10代ということ……年齢というくくりに、やや蹂躙されてしまった感も残る。

尾崎豊による、あまりにも熱くてセンセーショナルな、若い季節の記録。それを聴き返す僕には、せつないとかホロ苦いといった感覚がどうしてもある。
ただ、そう感じるのは、あくまで僕の勝手な心情だという気もする。
なぜなら、彼の音楽は、30年以上も経った今でも新たなファンを獲得し続けているのだから。
それはアーティストにとって、きっと幸せなことだと思う。

家の前のツツジがきれいに咲いています。
ハチが受粉しにぶんぶん飛んでます。
この花のおかげで
プリンスの『LOVESEXY』のジャケットを思い出しました

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