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【年齢のうた】米津玄師●もがいていた10代の頃を肯定する「TEENAGE RIOT」

洋食キムラのポークカツセット。食べごたえのあるお肉、それを包むサックリした衣、スッキリしたオリジナルのソース。それでもってボリューミー……ひとりで食べきれないんで、シェアしました。2250円也。はっ。前回に続いてのトンカツさん。
横浜の野毛に初めて行って、その時に食べたんです。噂に聞いた以上に飲み屋だらけ。ホルモンだらけ。焼き鳥だらけ。な街でした。あの広い範囲がにぎわいまくり、そのわりにカフェを探すのもひと苦労とは。なんという街!

しかし今日はThe Birthdayのチバユウスケについての報道に驚き、彼の身を案じています。どうか良くなってほしい。ミッシェル・ガン・エレファントのデビュー当時から自分が取材していた人です。
The Birthdayのことは、スラムダンクの映画のことを書いた回でちょっとだけ触れましたね。

また歌を聴きたいよ。また会いたいよ、チバくん。


今回の【年齢のうた】は、米津玄師について書きます。

行き場のない感情が爆発する、米津版「10代の暴動」


僕は今まで、米津玄師についての原稿はあまり書いていないのだが、実は最初のアルバム『diorama』は、発売日に渋谷のアニメイト(2012年当時は店舗が桜ヶ丘にあったと思う)まで買いに行ったほど気になっていた。その店で購入したのは、初回限定特典のイラストのブックレットを手に入れたかったからだ。それに掲載された絵は、彼自身がシャーペンで描いたものだった。

その数年後からは、ライヴも何回か観ている。もっとも、ここ何年かは観れていないのだが。

また、僕は毎年、サエキけんぞうさんが獨協大学で開いている講義「ロックとメディア社会」のゲスト講師に呼ばれているのだが、この中で、先ほどのデビューアルバムに入っている初期の楽曲「ゴーゴー幽霊船」について触れている。僕がこの講義に呼ばれた初回が2012年で、その頃から幾度もこの曲のことを話しているはずだ。サエキさんも「かなり(心に)来ますね、この曲は!」と興奮したことがあった。


それで先月、King Gnuの「Teenager Forever」について書いた時から、米津玄師の「TEENAGE RIOT」のことも触れるべきだろうと思っていた。そう、どちらも10代について書かれた曲である。

そういえばこの両者、米津と常田は去年秋にコラボをしていた。その「KICK BACK」は、本当にすさまじい曲だった。


さて、「TEENAGE RIOT」は、2018年10月にシングル「Flamingo」とのダブルA面シングルで発表された曲。翌年のアルバム『STRAY SHEEP』にも収録されている。
2018年は、すでにあの「Lemon」がメガヒット中だった。各方面の年間チャートで1位になるほどに。

僕はその次に出た「Flamingo」の、つかみどころのない、ルーズなファンク感がかなり好きで、リリース直後のTHE WEEKNDの幕張メッセ公演(2018年12月18日)のフロントアクトを米津が務めた時は、現地でかなり楽しんで聴いたものだ。


で、この「Flamingo」とともに世に放たれた「TEENAGE RIOT」は、直訳すれば「10代の暴動」となる。

自分がこのタイトルを知ってすぐに連想したのが。ソニック・ユースの同名曲だった。なお、そちらの表記は’Teen Age Riot’。インディー時代のあのバンドが出した代表的なアルバムにして大作の『デイドリーム・ネイション』(1988年)の1曲目である。僕はリアルタイムでこのアルバムを買って聴いていたので、とても思い出深い曲だ。

なお、ALLMUSICによれば、ソニック・ユースのこの曲は、ダイナソーJr.のJ・マスキスがアメリカの大統領であることを想像して描かれている、としている。80年代はソニック・ユースも、そしてその下の世代であるダイナソーも、アメリカのインディー・ロック・シーンの新興勢力だった。


ソニック・ユースが描く「10代の暴動」は、時代を変革していくような高揚感を発している。パンキッシュで、外に向けた破格のエネルギーがあって、常識をブッ飛ばすようなパワーに満ちたもの。この歌には、若い世代が掲げる反旗のようなイメージを抱く。
そうだ、思い出した。僕は90年代の後半にソニック・ユースにインタビューしているのだが、サーストン・ムーアに、まさにこの曲を書いた頃のバンドはとても充実していたという話を聞いたものだった。


対して、米津による「TEENAGE RIOT」は、外へ向けてというよりも、エネルギーが内側へ向かっているような印象を受ける。狂おしくくり返されるギター、物憂げな音色の鍵盤、やはり執拗に反復するビートのくぐもったような熱量。そして彼自身のヴォーカルが、開放感の手前で高まっているかのようで、とても内省的だ。


米津は、この曲のサビのメロディーは、自身が中学生の頃に作った曲が元になっていると明かしている。それに思春期の自分を重ね合わせ、その頃のパッションについて肯定的に語っている。


初期衝動的な自分の感情をなんの枷もなく吐露することに対する恥ずかしさってあるじゃないですか。それが恥ずかしいことであるっていうことは間違いないんですけど、でも、今のSNSの時代って、そういうものにすぐツッコミが入っちゃうと思うんです。たとえばTwitterに自分の感情を吐露するようなことを書くと、やれポエムだ中二病だメンヘラだと言われてしまう。でもそれは当人にとっては、すごくシリアスな感情であって、吐き出さざるを得ないような言葉なんですよね。それがお手軽な言葉に全部回収されてしまって、相手にマウントをとられる材料になってしまう風潮に、個人的には「嫌だなあ」と思うところがあるんですよね。だからこそこういう、衝動的な……どこか稚拙であったとしても吐き出さざるを得ない感覚を大事にした曲を作りたいという思いはありました。

米津の「TEENAGE RIOT」には、中学生時代の彼が内側に持っていたような、行き場のない衝動がうごめいている。背伸びしようとしてて、煩わしい心を抱えてる……それは、やはりひたすら内側に溜めるようなエネルギーだったのではないか。何しろ、地獄の奥底で、独りでいるのだから。

ただそこには、間違いなく、10代特有の荒ぶる心や野放図なパワーがあったはずだ。

過去の自分に向き合うことは、大人になっていく過程のひとつではないだろうか


先ほど書いたように、この曲を出した頃の米津は「Lemon」の、まさしく国民的なレベルのビッグヒットによって、もはや超メジャーな存在になっていた。それに対する反動という部分もあったのではないかと思う。
そしてこれも最初に触れたのだが、1stアルバム『diorama』で僕が初めて知った頃の彼は、狂気と反発心、それに途方もない野心と、やけっぱちな感情が凝縮されたような音楽を鳴らしているように感じた。それこそ、中二病だと言われてしまいそうな。

しかしそれは米津にとって、真摯で、切実な叫びだった。

米津名義でデビューした2012年の時点で、彼は21歳。10代でバンド活動を経て、紆余曲折ののちに、ニコニコ動画にてボーカロイドのクリエイター・ハチの名義で活躍。

そこからの本名名義への転身、しかも自身のヴォーカルでのデビューは、まさに青春期の悪戦苦闘を経験しての到達だったのではと思う。

国民的なレベルで自分の存在が知られた米津は、「TEENAGE RIOT」の当時、27歳。しかしそこで彼は、自分自身の原点をちょっと振り返ったのではないだろうか。「TEENAGE RIOT」にはそれだけ、その若き日に抱え込んでしまった内なるパッションを肯定する思いがあふれている。何よりもこの曲は、今の自分とあの頃の自分は間違いなく地続きでいると言っているかのように感じるのだ。
そしてこれは、かつての……10代だった頃の彼と同じように、行き場に困った野望や自分の可能性を求めて苦闘する者たちに向かって、エールを送るような歌でもあると思う。

もっとも、これも4年半も前の曲なので、米津はその頃から、また変化しているかもしれないが。それでも僕はこの時、自分の出どころに向かい、メジャーになってもそれを忘れることなく、今の作品として発表する彼のスタンスにはとても潔いと感じたし、素敵だとも思った。
それに、そうして過去の自分に向き合えることは、大人になっていく過程のひとつではないか……と考えるのだ。


先日のWBCの優勝トロフィー、本物です。
そう、こないだドームでの観戦した日に展示があって、
本物を近くで見ることができました。
しかし、まるで上野動物園のパンダの観覧のように
次へ次へと進ませられる状況だったので
まるでじっくり見れず、選手たちの指紋も視認できず。
にしても、WBCって
マスコミ的によほどヒットコンテンツだったのか、
その後にシーズンが始まってもう1ヵ月近いのに
いまだにネタが各ニュースで上がってきますな~。
え? ここで書いてるのもそのひとつじゃないかって?
んなことないわ!

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