大人は正しいのか

子どもと大人の違いとは何であろうか。当然のことながら見た目は違う。大人の方が大きい。肌の艶はなくなる。幼い頃の活力はなくなる。

精神的には?感情をコントロールできる。人の気持ちを意識するようになる。現実を見れる。

年を重ねることは果たして成熟なのだろうか。成熟とは進化なのだろうか。

これに疑問を持つようになったのは。Twitterでとある投稿を見たことがきっかけだった。

言っちゃいけない事、言わなくていい事を、言わないのが大人。

うんうん、確かに。また、こんな投稿も見た。

人間関係で一番大切なことは、余計なひと言を言わないこと。余計なことさえ言わないようにしておけば、人間関係がこじれることはなくなる。

うんうん、確かに。よく言うよね。

これは事実としては間違いないのだろう。僕自身も余計なひと言で大切な関係を終わらせたこともある。振り返ると、自分は子どもだったな、と反省することがよくある。発言だけではなく、余計な行動をしないことも、現状を維持するためには間違いなく必要なことだ。

これらのツイートと同じタイミングで、成田悠輔さん、最近テレビによく出ている四角と丸の眼鏡の人、がこんなツイートをしていた。

言っちゃいけないことは大抵正しい。

うんうん、これは間違いない。


場を氷つかせる言葉、権力者に反旗を翻す言葉、時代を変える言葉。これらは正しい、ことが多い。

子どもは大抵本当のことを言う。嫌い・臭い・気持ち悪い。事実をそのまま口に出す。それが悪いことだと・誰かを傷つけることだとまだ知らないから。本当のことでも言ってはいけないことがあるのを知らないから。

世の中は大人がルールを作って、支配して、利益を受けている。だから、後から生まれてきた子どもたちは、そのルールに従うように育てられる。感情をコントロールしなさい、人の気持ちを考えなさい、現実を見なさい、と。

その方が大人が作った社会では生きていきやすいから。つまり、現状を維持するためには、大人であった方が良いのだ。現状のルールで罰せられないためには、間違いなく大人であった方が良いのだ。本音を隠した方が、感情を隠した方が、現実を見た方が。今を維持するためには良いのだ。

心の声を漏らした人間や感情を全開にした人間に対して世の中は冷たい。社会に対して許せない想いを、相手にむかついたことを、抑えられない怒りを、人々は許容しない。「大人になれよ」「いつまでガキみたいなこと言ってんだよ」「現実見ろよ」。身体だけ大人になってしまった子どもに、無慈悲な言葉が浴びせられる。

少し話は変わるが、サッカーはとにかくリスペクトが重視される。重視されるのはなぜか。それは、元来そこにリスペクトのかけらが一ミリもないから。ピュアな生き物たちが己の目的のために敵と戦う。だから、少しでもリスペクトという要素を外的に注入しなければ、サッカーが社会の一部として維持できないから。

今それぞれの国のために戦っている奴らが全員良い奴なわけがない。ここでいう大人なわけがない。ありえないほど物理的に相手を傷つけているだろうし、暴言なんか飛び交っているだろうし。そこに相手や審判に対するリスペクトなんて微塵もないと思う。リュディガーもバルベルデも成人君主ではないのよ。純粋なのよ。だって、相手に敬意を払ったところで、審判の言うことに従ったところで、勝てますか?何かを変えられますか?

試合中って本当にむかつくんですよ。だって、相手はこっちの目指す場所を邪魔してくる敵でしかないから。僕も指導者になって、リスペクトを払いなさい、とか言いますけどね、そんなん無理なんですよ。これは良くないことなんですけど。僕自身試合中むかついて、相手に暴言をはいて、東京のサッカー協会から怒られたこともあります。國學院久我山卒、早稲田大学の人間がですよ。良い感じに感情が言葉を追い越し始めてきました(笑)。

でも大人のままでいたら何かを変えられるのか。自分の気持ちを抑えたり、相手に気を使ったり、現実を見たり。何かを維持することはできる。守ることはできる。でも、怒りや憎しみ、苛立ちや嫉妬が生み出す莫大なエネルギーはそこにはない。現状に対しての素朴な不満や疑問を内に閉じ込めたままで何かが変わりますかね。

歴史の長い流れの中で、時代を変えてきた人は、皆童心を持ち続けていたのだろう。社会に対して素朴な疑問を抱き続け、それをぶつけてきたのだろう。「何で現実はこうなんだ。もっと良くなるはずだろう。」「何で馬鹿が社会を支配しているんだ。革命を起こそう。」「何でこんなにも不便なんだ。発明をしよう。」

現代で生まれるイノベーションの数々も、この子どもの心を抱いた人間たちが起こしてきたものであろう。現状維持は衰退だとはよく言ったものだが、衰退も決して悪い事ではないかもしれない。衰退しても困ることはない。衰退に合わせて死ねばいいからだ。

大人は正しいのだ。正しさって、何かを守ることでしょ。ルールを守ることでしょ。何かに従うことでしょ。でも、成長するには、前進するには、何かを変えなければならない。何かを変えるには純粋な感情を、感情に純粋な行動が、言葉が必要だ。子どもはいつだって純粋で正直だ。

何かを維持するのはいつも大人。何かを変えるのはいつも子ども。

子どもの心持ち続けたいね。


20歳になった体の小さな大きな子ども   
 御厨優

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