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芥川賞の「首里の馬」を読んで・・・再度、読んでみて・・・私がひきつけられたところ

「首里の馬」はとても読みやすく、おもしろかった。読みやすかったのは登場人物が少なかったこと、さほどストーリーに大きな展開がなかったからかもしれない。でもおもしろかった。

少し不思議な感じすらする、小説だった(以下、ネタバレあり、気をつけて)。

なにかしら、
不得手といっていいのかどうか、わからないが、
主人公の未名子があまり人づきあいが得意でないところに
沖縄及島嶼資料館」の順(より)さんが
いろいろと未名子にその資料館にあるものについて
説明をしてくれた。ひとりの人間として。

きっと年配の順さんは
未名子が人づきあいが得意でないところを
見抜いていたのだと思う。

行くところもなく、この資料館に居ついたのだろうか。
居ついたといっても、住んでいたのではなく、
順さんが退館するころには未名子も帰宅していた。

この最初に資料館で未名子が資料の整理を始めるきっかけのシーンが
とても私には印象的だった。


この小さな塊がどういう理由で自分の手に渡ってきたかを
ていねいに話して聞かせてくれた
順さんはこの人骨のほかにも、今まで未名子が見たこともない
奇妙ななにかをいくつも見せてくれた

ただ、未名子は初めて資料館に来たとき、建物に詰まったものを
集めてきた順さんのことがとても好きになった
彼女の大切な宝物を、それが人の死を直接想起させるものだとしても
子どもでもある未名子自身にその物語ごときちんと開かれたものとして
見せてくれることが嬉しかった
未名子の通っていた学校ではすくなくとも、死んだ人間の一部どころか、
通学路にある犬の死でさえ子どもの目から誠実に隠しとおされていた


そして、順さんが亡くなる日がくる。


娘の途(みち)さんは母のことがあまり好きではなかったことを
未名子に話す。


そして未名子が学校にも行かず、資料館にずっといることについて
母の順さんといい合いになったことも未名子に話をする。
もちろん、未名子を責める気持ちは途にはない。

そして今度は未名子が途さんに、こころのうちを吐露する。

涙が出てきたのを、未名子は手のひらの、親指の付け根で
拭おうとして、眼鏡があることに気づいた
途さんのほうはその一連の未名子の様子をおかしいと思うふうでもなく、
食事をやめフォークを置いて、未名子が話をするのを聞いていた

未名子が途さんにどんな話を吐露したかは割愛するが、それはひとりの人間が生きていくうえで、時として窮屈に感じること、そして他の周りの人に責められることではないはずなのに、窮屈に感じることだったりすること、未名子はそんななか、自分の特性をよく理解して生きてきたことを吐露する。

その一説は読めば読むほど、深い悲しみに見舞われるほど。ぱっと読めばどうってこともないように感じる一説だが。

沖縄で起こった悲劇についてもこの小説では触れられているが、それは決して忘れてはいないこと。そして、馬に乗っている未名子のところも幻想的に感じる。

ふだん、一度読み終えた小説を、もう一度読むことはほとんどないが、この首里の馬は読み返してみるといろいろ見えてくるものがある小説だと思った。

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