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宗教と主義 『ウーマン・トーキング 私たちの選択』

?点/100


点数制を始めて、3日目にして、壁にぶち当たった。

算数の正確さとポエムの美しさを同じ基準で、判定していいのかという問題だ。

スーパーヒーロー映画の『The FLASH』と今作『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を同基準で、判定出来そうにない。

そもそも、男性である自分が点数にかこつけて、判定できる映画じゃないと思った。

劇中で、登場する

『逃げる』と『出ていく』は、違うこと

とあるが、『逃げる』に近いかもしれない。


絶賛うつ状態


嫌なことが度重なり、絶賛うつ状態。

他の人にしたら、大したことない事だと思うし、理解してもらえない。

何もしてないのに、就職面接で、ストレス値を90点以上叩き出した人間だ。

自分の精神状態を考える時に、イメージする。

理科室で使うビーカーに使用済みのエンジンオイルが満杯になっている。
今にも、こぼれそうで、表面張力で、保っている。

だから、少しでも、嫌なことがあると、自分を守れそうにない。

だから、ADHDを免罪符にしないと立ってられない部分は、大いにある。

だけど、残酷に時は、進むので、何かにすがって生きるしかない。

今も、せめて、毎日投稿しようと思って、noteを書いている。

一種の主義だ。毎日投稿主義って、奴だ

主義と宗教は、同じ意味合いかもしれない。


あらすじ


キリスト教徒の農村で、男性から女性に対しての性的暴力が見つかるところから、話は、始まる。

それは、常態化しつつあり、男たちは、女たちに"夢か幻"と教える。

明確に見つかったことで、男は、捕まる。

村の男たちは、保釈金を払うため、町へ。

村に取り残された女たちは、ある岐路に立たされる。

1.キリスト教を信じ、"赦し"を与え、[村に男と共に残る]

2.キリスト教に背き、[村に残って、男と戦う]

3.[村から去る]

翌日には、帰ってくる男達。

選択の時間は、限られており、女たちは、納屋で、会議を開くことになる。


宗教 is for 誰がため


『西部戦線異状なし』が面白かったので、2023年のアカデミー賞 作品賞を観てみようと軽い気持ちで、観始めた。

今作は、会議もの映画といえる。

黒沢明の『羅生門』、リドリースコットの『最後の決闘裁判』のようなそれぞれの視点で、描かれる話と勝手に想定していた。

だが、回想シーンは、ほとんどなく、彼女達の語り部で、いかに許せない行為をされてきたか。これからどうするか。を話し合う内容となっている。

ある者は、残ることに頑なに執着し。
ある者は、憤りを隠せず、戦いを決起する。

ある者は、理論的に話をしようとするが、感情に逆らえず。
ある者は、神にすがり、平静を装う。


彼女達は、学問を与えられず、読み書きも出来ない。
だが、本質的な話をしようとつとめる。

何のために、戦うのか?
何を勝ち取りたいのか?

安全とは何か?
そもそも、事件は、本当にあったのかどうか?


そんな彼女たちを繋ぐものは、宗教である。

神は、赦してくれるのか?
天国に行けなくなるのではないか?

キリスト教圏で、育ってないので、客観的に見ると、洗脳のように映る。

しかし、それを超えて、彼女たちのゆずれない主義のようにも映る。


劇中通して、彼女たちは、笑っている。

単に、おかしい訳では、ないのだ。

"泣きたい気持ちをごまかすために笑っているのだ"


金〇とったろうかな


お笑いコンビのクワバタオハラ くわばたりえ氏がよく

"そんなもんがあるから、ダメやねん"

とおっしゃっている。


"男は、皆、性犯罪者予備軍"

とよく言われる。

自分もそれは、違うとは、言えない。

なんなら、罪を抱えている。業を抱えている。


劇中で、唯一、登場する男性 オーティス。

彼が身重のオーナに

”生まれてくる子供も、君も守る"

と宣言したのに、自害しようと銃を隠し持ってたことは、無責任かもしれない。

でも、自分は、共感してしまう。


オーティスの母は、告発しようとして、村から追い出された。

だが、彼も、女性をモノ以下のように扱ってしまうんじゃないかという恐怖と隣り合わせなのかもしれない。

男は、生物と道徳のはざまに立っている。

様々な事が変化する時代に、男が観るべき映画だと思う。


あと、フランシス・マクドーマンドが演じる女性が子供を見送るときの表情は、複雑で、もの悲しくて、よかった。


読んで頂き、ありがとうございます。
愛してるぜ!!

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