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紫原明子さんが40代でアルバイトを始めたら幸福度が上がったようなので話を聞いてみた


   2024年9月 表参道にて友人のエッセイスト・紫原明子ちゃんとランチ。数ヶ月に一度はみんなで集まるものの、2人でゆっくり話すのは久しぶり。カウンターで参鶏湯をいただけるお店にて、韓国ビールを飲みながら、まずは、近況報告。

 明子ちゃんは、最近、高校時代以来のバイトに夢中になっているという。

 才覚ある物書きとして順調なキャリアを歩みつつ、もぐら会の主宰としても多くの人に求められている。はたから見れば、きっと安定のポジション。
 だけど、世間から見た安定と、自分の内側にある安定は全くの別物であることは、友人としても理解しているし、25年以上、フリーランスで物書きをやっている当事者としても知っている。

 40過ぎにして、突然、バイトしてみようと思い立ったのは、ぐるぐると巡り続けて澱みがちな思考や新たな人生への突破口を探していたのだろうし、好奇心も大いにあったに違いない。

 実際、彼女はバイト生活を始めて数ヶ月、40過ぎてからの何となくの体調不良が解消、心のモヤも晴れて、スランプも乗り越えつつある。
 最高の映画を観たり、心震える本を読んだり、恋に溺れたり、仕事で評価を得ること以上に、バイトは迷える明子を救ったようだ。

 一体、どういうことなのだろう? 

 明子ちゃんとの対話から紐解いてみたい。

積み上げてきたキャリアにとらわなくていい

 彼女のバイト先は、都内某所のホステル。
 ホステルとは、個室のない宿泊施設のこと。ドミトリーフロアに二段ベッドがずらりと並んでいて、その一角が各自のスペースだ。インバウンドが盛んな今、世界中のバックパッカーが訪れるという。彼女はフロントスタッフとして英語で接客しながら、客室の掃除やシーツ替えなども行なっている。

「いつも使っている日本語から離れられて、肉体労働もできるところが良いなと思って選んだら大正解でした。英語でのカジュアルな接客も楽しいし、シーツ替えって大仕事ですけど、体を動かすほど体調が上向いていく感覚もあって」

「全く知らない世界へ飛び込む感覚は、想像をはるかに超えて楽しかった」と語る。そもそもバイト先に履歴書を提出するのも20年以上ぶりだった。

 誰も自分のことを知らないし、どんなキャリアを積み上げてきたかも意味をなさない場所で、ゼロから自由に自分を表現することができる。その面白さやありがたさは、日頃は経験を武器している大人だからこそ、感じ取れるものなのかも。

「今の時代、仕事もSNSも、積み上げることが大切だと言われていますよね。でも、積み上げたものが足かせや黒歴史になって、自分を不自由にしたり、可能性を狭めていることもあるじゃないですか」

 わかる。「何も持たないことの価値」はたしかにある。その軽さ、先入観のなさから生まれる出会いや気づきは美しいものだ。

 さらに明子ちゃんは、「何もしなくても価値が生まれる」ことにも気づいた。 

時給ってすごいです。お客さんが来なくて、何もしていない時間も賃金が発生するじゃないですか。フリーランスだと、自分が何かをしたことに対しての報酬しかもらえないから」

 「無」の時間も報酬になるという現実は、常に成果を求められるフリーランスにとっては意外と新鮮な体験だ。
 そして、無駄にも価値があると実感できたことで、彼女はサンクコストに縛られず、未来はもっと自由に変えられるものであるとも思えたという。 

超一軍女子たちのバイブスコミュニケーション

 さらに、最も大きかったのは、バイト仲間との出会いだった。
 明子さんより、およそ20歳年下の20代前半の彼女たちは、曰く、「高校時代には絶対に交わらなかったような超一軍女子たち」

 可愛くて遊び上手でコミュニケーション力も高く、男の子へのアピールもうまいけれど、女友達も大事にするーー彼女たちは、世知辛い現実社会においても、地位や名誉やお金など武装するものを持たずとも、自然体の自分を貫ける「強い」人々。

 バイトの仕事もアゲアゲで賢くこなしながら、テキーラショットと音楽と踊ること日常にして、旅人との一期一会の恋愛も楽しんでいる。

 そんな彼女たちのハッピーで自由度の高い生き方に、大いに影響を受けているのだという。

「フィジカル(身体的)に生きているところも魅力的だなと。物書きって、どうしても言葉に重きを置きがちだし、フィジカルな部分が置き去りになりがちじゃないですか? 
 SNSも含めて、そこら中に流れている、身体性を伴わない言葉の薄っぺらさや嘘っぽさにも辟易していたところ。今のバイトは、私がやっていることもフィジカルだし、女の子たちもフィジカル重視で生きているところが気持ちいいし、惹かれます」

「たとえば、バイト先ではみんな言葉よりもバイブスでコミュニケーションをとっていて、それもすごく心地良いんです

 バイブスでコミュニケーションとは?

「超一軍女子たちの会話には、バイブスって言葉が頻発します。たとえば、好みじゃない曲がかかったら『バイブス死んでるー⤵︎』って言うし、1日に数回、Usherの『YEAH!』がかかるんですけど、それもバイブスが最高に上がる曲だから」

 「バイブス」は英語の「Vibration(バイブレーション)」の略で、本来は「振動」という意味。だけど、現代の若者用語としては、身体で感じとる「雰囲気」や「ノリ」のような意味合いで使われている。

使用例:「このカフェ、めっちゃいいバイブス!」「あの男の子、いいバイブス出してるよね」

フィジカルに生きることは、自らの欲望を感じることから始まる

 明子ちゃんと同様に、元来、かなり内気な少女だった私も、そんな平場に強い、フィジカル優位のクールな女子たちに憧れていた。いや、今も憧れている。

 超一軍女子たちは、自分の欲望や感情に正直だ。たとえば、その日に直感的に恋した相手に、即座に恋を仕掛けられる。しかも、頭でこねくり回した言葉や姑息なモテテクなんか使わない。もっとストレートに視線を投げかけたり、動物的に誘いかけたりできるのだ。(私的なイメージは山田詠美さんの小説に登場する女性たち)

「先日、バイト先でパーティーがあったんです。女子たちは、テキーラショットを飲んで、踊りまくっていて。タオルを投げて、それを受け取った人が中央でみんなの視線を浴びながら踊るっていうゲームをしていました。
 タオルを手にした女子たちはみんな『私を見て!』っていう感じで、おっぱいかお尻が見えている服装でセクシーに踊りまくる。すごく素敵だなって思いながらも、私自身はタオルを受け取らないように避けながら踊っていました」

 そんな自分に、少しがっかりしたという明子ちゃん。

「40歳過ぎてるのもあって、私は踊れなかったのかな?」というけれど、きっと、20代の明子ちゃんだって輪の真ん中では踊らなかったのではないか。そう問いかけると、うなづいた。
 私も子供の頃から夢中で大胆に踊れる人に憧れながらも、人前では、ましてやセンターでは恥ずかしくて踊れない人間だったから、その気持ちがよくわかる。

 明子ちゃんと私の共通点は、おそらく、かなりの恥ずかしがりであるところ、それでいて、恥ずかしさを捨てて踊れる自分になってみたいと願っているところ。

踊り続けて、自分を見失わないように。

 私はダンサーや役者など、肉体で自分を表現している人に強い憧れがある。それは、明子ちゃんがバイト先の女子たちに憧れるのと近い感情なのだと思う。

 ダンサーは、唯一無二の肉体を自在に使いこなして、自分自身を、人生を、この世界を表現している。その感動は理屈を超えているし、言語化できないワクワク感をもたらしてくれる。

 私がとりわけ好きなダンサーに、ピナ・バウシュと黒田育世さんがいる。2人は、踊ることを通じて、森羅万象すらも表現できる人たちだ。

 幸運なことに、黒田育世さんには1度、インタビューする機会に恵まれたのだが、好きな言葉は「無知の知」だと語っていて心打たれた。

「何かを知ったつもりになって、踊りたくないし、生きたくない」のだと。

 その言葉には、黒田さんの「今も未来もどこまでも自由に踊り続けられる」という人生観が現れているようにも感じられた。

 40歳だって、50歳だって、道半ば。
 生きていく最中で、何かを知ったつもりになることは傲慢であると同時に、不自由でつまらないことなのだ。世界は、まだまだ未知の可能性に満ちている。そこに子供のような期待と成熟した大人の謙虚さを持って挑んでいきたい。

 生きることの楽しさって、あらゆる恥ずかしさを超えること、予定調和を超えていくことなのだろうな。

「恥ずかしがらずに踊れる中年になりたい」という願いに帰結した、表参道ランチ。

 明子ちゃん、私たち、これからどこで踊ろうか?


 ちなみに、本日(9/26)は、紫原明子ちゃんのお誕生日です。生まれてきてくれてありがとう。今年はますます踊ろうね♡

 明子ちゃんのホステルバイト体験。日常的に起こってるあれやこれやのエピソードは、彼女自身がエッセイにしてくれるはずなので、とても楽しみにしております。


 そういえば、脚本家の三谷幸喜さんがYouTube番組で、素晴らしい俳優とは、理性を捨てられる人。俳優の素晴らしさとは、恥ずかしがらずに、タガをはずせることだと言っていて。これまた納得。 

🚩Voicyでは紫原明子ちゃんとともに、こちらのお話を高めの温度感でお話ししています。


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