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「研究はいつか役に立つから大事。」 と濁してしまうなら、その研究をする意味はあるのだろうか 。前編1

まがりなりに日本の大学で基礎研究していた元学生として、どうしてもモヤモヤしていた部分があった。タイトルでは過激なことを言っている。確かに言っていることは間違っている。でも、紛れもない事実でもある。

科学者から見れば本タイトルは、「何を言ってるんだ、ふざけるな。」と思うでしょう。でも非科学者(一般人)の視線から見れば、「役に立つか分からないなら、その研究意味はあるの?」と言われるに違いない。

皆さんもお分かりのように、日本の研究市場は斜陽産業となりつつある。某議員がかつて「二位じゃダメなんですか。」と言っていたように、暴論をいえば、海外でどんどん研究が進めば、その恩恵にあやかることができなくもない。

これまでに私がみてきた本議論に関する記事のほとんどが、科学者目線で語られている。いずれも「研究は意味がある!」ことを主張した記事だ。決して一般人目線では語られていない。確かに一般人が科学の恩恵にあやかっていることを知りもしないで、ベラベラと語るのは滑稽だ。

しかし、一般人の意見を無視して科学を語るのは、単なる研究者よがりに終わる。永久に理解されなければ、金の無駄遣いと言われても仕方があるまい。それぞれの双方の立場からみて、語ることはできないのだろうか。

そこで本シリーズでは、曲がりなりにも科学者だった私があえて、述べさせていただく。先に私の結論を述べておくが、大事なことは科学者と一般人の間に共通認識を持たせること。いかに研究の大切さを相互理解しつつ、未来の技術革新の遺産として、そのバトンとなる、論文を残していくかがカギとなる。

前編では、科学者の立場で研究の重要性と打開策を書く。後編では、非科学者、一般人の立場として日本の研究に対する否定的な意見を述べて、打開策を書く。

一般人の立場の記事をオープンにした場合、有識者から総スカンを食らうことは間違いないだろう。従って、記事の過激な部分は、あえて有料記事にさせていただこうと思う。ここで保険を貼るわけではないが、科学リテラシーの度を超えた記事にするつもりだ。

科学にあまり慣れ親しんでいない人にもわかりやすいように、なるべく専門用語を使わないように書いていくことを心がける。それではまず、科学者の立場から、書いていく。

(1) 役に立つか分からない研究を見捨ててはいけない理由

最初になぜ、研究をおざなりにしてはいけないのかを簡単に説明してみよう。研究は主に基礎研究・応用研究・開発研究の三つに分類される。

基礎研究とは、その現象がどうやって生じるのかを詳細に調べて理解する研究だ。たとえば、ガン細胞がどうやって増殖するのか、原子がどのように振舞うかを調べる。一般的に、役に立たないと揶揄されている大部分は、ここに集約している。大学では主に理学部で研究されている。

応用研究とは、基礎研究の成果を応用し、実用化の可能性を模索する研究である。たとえば、ガン細胞の増殖を抑えるような化学物質を模索したり、原子の振る舞いを理解した上で、発電エネルギーをどうやって発生させるかを考える。大学で言えば、主に工学部や薬学部で研究されている。

開発研究とは、基礎研究と応用研究の成果を踏まえて、実際に実用化する研究だ。たとえば、ガン細胞を抑える薬品の開発、原子力を用いた発電所を開発がこれに当たる。大学で言えば、医学部や薬学部、工学部、収益化につながりやすいため、企業がこれを研究する。

以上が簡単な研究の概要となる。役に立たない研究、つまり基礎研究を見捨てると言うことは、基礎研究→応用研究の架け橋が困難となる。開発研究どころでは、たちまちなくなってしまうからだ。

(2) 役に立つかどうかはその時になってみないと分からない

エジソンのように直ぐに実用に直結するような(蓄音機、豆電球の改良etc.)研究もあれば、役に立つまでに幾千分もの時間がかかる研究もある。

そのわかりやすい例を挙げてみよう。2012年のノーベル生理学・医学賞受賞者の、ケンブリッジ大学の名誉教授、ジョン・バートランド・ガードン氏の研究だ。

ガートン氏はオックスフォード大学で古典文学を元々専攻していたが、欠員が出ていた生物学専攻に移籍した。15歳の時に、生物学に向いていないと言われていたガートン氏であったが、その才能を大いに開花させた。

2012年に、ノーベル賞を受賞した理由は、皮膚や血液、骨などの組織や器官を構成するよう、プログラムされた細胞の時計を巻き戻し,再びどんな細胞にでもなることができる「万能性」を取り戻せるのを示したからである(日経サイエンスより引用)。

実はこの発見、1962年にガートン氏が提唱していた。アフリカツメガエルのオタマジャクシの小腸上皮細胞から、遺伝物質が入った核を取り出し、あらかじめ核を取り去っておいた卵の中に移植した。するとその卵は分裂して正常な胚となり、無事にオタマジャクシになり、成体のカエルになったのだ。

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※画像は、https://skip.stemcellinformatics.org/knowledge/basic/04/より引用

体の細胞の中には、完全な個体を作るだけの遺伝情報が完全に保存されているということを最初に示した。

これが発見されたのが、受賞から50年前。ではどうして今頃になって受賞したのかその経緯を説明していこう。

ガートン氏の発見は随分長い間、疑いの目で見られていた。それまでの定説は、いったん腸や皮膚、骨などを構成するようにプログラムされた細胞が、個体を作るのに必要な遺伝子をすべて保持しているわけがないと思われていたからだ。

それから年月がたった2006年に、山中伸弥教授が4つの因子(いわゆる山中因子と呼ばれている、Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4)を組み込んで、細胞を初期化し、万能性を持たせることに成功した。これが、iPS細胞だ。

iPS細胞から、臓器や筋肉などを構成する分化誘導することができる。最終的な目標としては、再生医療への応用や、ALSなどの病理解明である。

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画像はhttp://www.imeg.kumamoto-u.ac.jp/kidney_ips_2/より引用

分化した細胞のプログラムを初期化する原理は、この研究の流れからお分かりになると思う。1962年のガートン教授の発見が、ES細胞やiPS細胞の発見につながった。

まだ実用化には至ってはいないが、世界中で急ピッチに研究がなされている。もしも、日本において、役に立つか分からない研究が切り捨てていたならば、ガートン氏の疑問は払拭されず、山中先生の大発見はなかったと言えよう。

本日はここまでにして、次回は「科学者の立場から前編2」を書いていく。



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