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寂しさという感情

この1週間ほど、なんだかすごく「寂しさ」を感じている自分がいます。

僕がただ忘れているだけかもしれませんが、「寂しさ」という感情をここまで意識的に感じているのって、なんだかすごく久しぶりな気がします。

2年前に個人事業を畳んで再就職活動を始めた頃も、なかなか感情的になれていた記憶がありますが、その頃あったのは期待が叶わなかったことによる「落胆」だったような気がします。

「寂しさ」という感情なんて、なんだかすごく久しぶり。
そしてなんだか頭の中に湧いてくるのは、中学1年・13歳の時に感じていた気持ち。

中学の周囲と全然分かり合えない感覚、誰も自分の気持ちをわかってくれない孤独感、坊主必須の野球部への入部によって見た目の印象が大きく変わったこと。。

もう19年も前のことだし、感情自体すごくフワフワしてて捉えどころがないので、いまもただ当時について思い込んだ妄想を抱いているだけの可能性はもちろんあります。

ただ、わからないけど、なんだか当時すごく「寂しかった」のではないかなと、いま32歳で慣れない寂しさを感じている自分が思っています。

2004年・僕が13歳の7月、自分がクラスに馴染めず困っていることを自分から話す勇気が出なくて、手を差し伸べてほしくて母親の前でひたすらため息をついたこと、現実逃避として幼い頃の気持ちを思い出そうとジャングルジムに登ったこと。。

不思議と当時の光景を、今の僕は思い出してしまいます。

2004年・僕が13歳の7月、僕は本当に本当に寂しかったんだと思います。

■この寂しさ、対処する?味わう?

もうほんとに困ったことに、HMT・由佐美加子さんに出会いそれが面白くて特にここ半年ほど学んできた中で、ここ10年僕がやってきた「理性的に・前向きに・左脳的に」頭を使うことによって不快感情を解消していくアクションを、いまの自分はすぐに取ろうと思えません。
(こうやって気持ちを文字にして記事にすることは、好きでやめられない)

自分自身に対して言い聞かせたい気持ちから、以下書籍から気になった言葉を抜粋したいと思います。

人間が知的に感情の機能を理解し、内側の感じる世界で感情を扱えるようになれば、感情を通して命につながり、その命が求めていることを理解し、それを満たすために考えて行動し、自分の体験したいことを外側の世界でつくり出すことができる。

(中略)

さみしさを感じた時は、それをありのままに感じることで、目に見えないけれど確かに存在している繋がりに意識を向ける機会になる。

(中略)

さみしさを感じることで、私たちは表層的な分離の痛みの奥にある真のつながりの感覚を思い出そうと意識を拡げることができる。

ザメンタルモデルワークブックより

寂しさによる不快感は、当事者としてはなかなか抱えているのがしんどいものですが、そのしんどさも諸行無常で移ろいゆき変化していく。

しんどい時は自分が心地よい程度に「寂しさ」を薄めるために前向きな言葉を自分に投げかけたり、人と話をしたり、お酒を飲んで寂しさを紛らわせれば良い。
由佐さんの言葉を真に受けて「寂しさ」を味わいたいときは味わえば良い。

また自分で実際に時間を過ごしてみて、自分なりの感情への向き合い方や扱い方を見出していきたいと思いました。

あなた自身の感情の扱い方について、またぜひ言葉にできたら、コメントや公式LINEなどで僕へ教えてくれたら嬉しいです。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました!

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