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多様な「日常」をオンラインが映し出す

出演者と鑑賞者の距離が近い

オンラインの取り組みが増えて、これまでのテレビ収録やインターネット番組の在り方に工夫がこらされている。ついには、ドラマや映画の収録までオンラインでできないか、試みられている。

このような番組やコンテンツを観ていて思うのが、出演者と鑑賞者との距離が近く感じられるということだ。出演者が、直に鑑賞者をイメージしているのが伝わってくる。インターネット媒体だと、鑑賞者からのフィードバックを得やすいということもあるだろう。

「日常」を求める時代

テレビの良さとしては、非日常感の演出がある。日常では味わえないような刺激を得られる。例えば、見たこともないリゾートで豪華な食事をしていたり、車が爆発していたり。バラエティやドラマの魅力はそういうところにあった。

それが、最近は日常に近くなってきたような気がする。最近流行っているのは、誰でも答えるチャンスのあるクイズ番組や、日常で役立つ知識教養を伝える番組、暮らしに密着したドキュメンタリーが多いような気がする。「ドキュメント72時間」や「家、ついて行ってイイですか?」といった、市井の人々の生活を切り取った番組も人気だ。もしかしたら、非日常的な興奮よりも、日常を求めているのかもしれない。

「日常」の作るボーダーライン

一方で、この「日常」は、ボーダーラインでもある。これくらいの知識教養を持っているのが中流だ、これがわからないと小学生以下の知識だ、これくらいの家に住んでいるのがセレブだ、というボーダーラインをイメージさせる。人々は、なんらかのボーダーラインを意識しながら、「日常」の中にいたいと思うのだろう。

そんな中にあって、様々な人が発信できる今の状況は、様々な「日常」を感じさせてくれる。テレビの向こう側の華やかに見える世界に暮らす人が、生活感のある家での暮らしを伝えてくれることもある。シングルマザーの暮らしや、ゲイカップルの日常、十匹以上猫を飼う人の生活、昼夜逆転して働く人のプライベート、といった、様々な家族や仕事を教えてくれる。世の中に多くの「日常」があることをダイレクトに伝えてくれる。ボーダーラインが、一本ではなく、一本のモノサシでは測れないことを教えてくれる。

多様な「日常」が心地いい

今、オンラインに対する抵抗が急速に薄れ、多くの人が発信側に回ろうとしている。その結果、より多様な「日常」がインターネット上に映し出されている。それは、外の世界から孤立しがちな今、心地よさを感じさせてくれる。

それでも、この時期をのりこえたら、また、ステレオタイプな「日常」が戻ってくるのだろうか。テレビやインターネットに一様な「日常」が溢れるのだろうか。そうでなければいいな、と期待している。




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