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自費出版をやめることにした

コロナ禍の中で自費出版をすることになった。けれどやめることにした。そんな話。

2020年3月に退職した僕は、当初のもくろみは叶わなくなり、ただ欝々と毎日を過ごしていた。予定では、各地を巡り、多くの人と出会い、自分の事業を企てようとしていた。ただでさえ吹けば飛ぶような計画は、コロナ禍に見事に押し流され、ただ家の中に引きこもる日々だった。雇用保険と貯蓄を、税金と家賃に費やすだけだった。

しかし、10月末になってとうとう我慢できなくなり、行動することを決意した。まずは14年間過ごした地を離れ、東京へ移住することにした。このままコロナの収束を待っていたら、お金も気力も尽きてしまうと思った。

移住するときに決まっていたのは、さしあたりの仕事と住む場所だけだった。何かに挑戦したくても、できることは限られていた。

そんな中で思いついたのが、自費出版だった。ある程度手持ちがある中で、唯一やってみたいと思ったのが、本の出版だった。自費出版専門の出版社を調べると、たくさんあることがわかった。その中でも大手の出版社に魅力を感じ、話を聴くことにした。

東京都在住だったので、すぐに対面で話を聴くことができた。出版費用は高額だけれども、プロの編集者からの助言がもらえること、出版ルートが多いこと、出版社の名前が入ることは、とても魅力的だった。費用は、13年間務めた退職金を使い切れば、負担できないわけではなかった。身動きの取れない状態の中では、前に進めるようでうれしかった。

特に、編集者の仕事を知りたかった。もし選択肢があるのなら、編集者として自分も働いてみたいくらいだった。ただ、それは現状難しいので、お金を払ってでも、プロの編集者の仕事に触れられることは、メリットのあることだった。また、出版までのプロセスを体感してみたかった。テレビや書籍で多く紹介されるようにはなってきたが、その過程を自分で体験してみたかった。

そこで、契約を交わした。さしあたり、出版費用の1/3を納めた。これからの展望を考えると、惜しいとは思わなかった。

もともとnoteで書いていた内容をまとめたものにするつもりだったので、指定の期日には無事に原稿を送ることができた。ただ、書籍にする上で満足のいくものではなかった。いろいろと迷うところはあるけれども、経験豊かな編集者の目を信じることにした。僕がただ悩んでいても仕方がない、客観的な評価を知りたいと思った。

約一カ月後、原稿へのレビューが送られてきた。内容としては、僕が感じていた通りのものだった。つまり、特に新しい視点や深い追求はなかった。

まがりなりにも、13年間文章指導をしていると、文章指導にもいろいろな段階があることがわかってくる。例えば、入試直前に急に文章指導を求められる場合は、さしあたり乗り切れるだけの添削を行なう。もちろん、もっと良い文章を書けるようになってもらう方法はある。しかし、入試ではそこまでは求められないし、時間も足りない。

一方で、入試まで時間があるのであれば、信頼関係を築き、本人の人間性を探求する活動を丁寧に行なう。本人の書いた文章に深く向き合い、そこに表れなかった本人の内面を面談の中で探っていく。その中で、文章自体はもちろん、本人の文章能力を高めていく。

僕の受け取ったレビューは、前者のように僕には感じられた。最初は自分の文章がある程度の水準であるからかと嬉しい気持ちもあった。だが一方で、改善点がどうにも表面的すぎるように感じた。自分の見直しの段階でも十分わかる点であるし、文章の深い内容には触れていなかった。作文で言えば、「この漢字間違っていますよ」という程度のレベルのように、僕には思えた。

ただ、そんなものなのだろうとも思った。そもそも自費出版であるし、自社の利益にしたいと本気で思っているわけではないのかもしれない。一応、最初の打ち合わせの段階で、「厳しくてもいいので、なるべくプロの助言をいただきたい」とは伝えていたけれども、そうもできない事情があるのかもしれない。プロの作家でもないから、あまり助言しすぎてしまうのも、クレームが来てしまうのかもしれない。また逆に、あまりにも推敲していない文章を送ってしまったから、文章レベルの低さに、基本的な助言しかしてこなかったのかもしれない。

いずれにせよ、表面的な訂正にとどまることになったこともあり、書き直しは遅々として進まなかった。やろうと思えば、一週間もあれば十分にできてしまう気がした。どうにも心が動かなかった。

ただ、それでも出版社の力を信じる気持ちはまだ残っていた。もしかしたら、この後の段階で深く追求していくのかもしれない。ビシバシと助言してくれるのかもしれない。でも、その後は校閲だよな。大きく変えることなんてあるんだろうか。まあ、百歩譲って本のレベルが低くなっても、流通はしっかりしているじゃないか。それは大きい。

このレビューが来るまでの間に、僕は電子書籍で5冊の本を出版していた。Kindleで無料で出版できると知り、試しにやってみたのだ。その中で感じたのは、流通の難しさだ。自分の本の存在を知ってもらうことは難しい。また、どのようにすれば自分の本を求めている人にリーチできるのか、マーケティングの知識も足りなかった。だから、大手出版社の流通に乗れることは、一層魅力的に思えていた。

そんなことを考えながら、ふと今日思った。出版するのをやめようかと。

一つには、金銭的な負担だ。あれから半年が経ち、着実に経済的に余裕がなくなってきている。思っていたよりも生活を成り立たせるには貯蓄の力が必要だった。コロナ禍はまだまだ続き、生活に余裕ができるのは先だろう。そんな中で、残りの出版費用があることは、大きな負担になる。

ただ、これも解決できない問題ではない。親を頼るなり、借金するなり、クラウドファンディングするなり、方法がないわけではない。しかし、そこまでする価値があるのだろうか。

本の質という点においては、自分のできる限りの推敲を前提とすれば、電子書籍で十分である。むしろ、改定しやすく、即時性の高い本を出版できる点、印税が高い点では、kindleの方が良い。もし、多くの他者の目によって鍛えられる機会が多いのであれば別だが、そうでなければ、本の質は自分の掌中にとどまってしまう。そんな本をわざわざ資金を集めてまで出版すべきだろうか。

また、収益が見込めないこともネックにはなっていた。所定の部数を売るまでは印税は入らないし、例え版を重ねたとしても印税は微々たるものだ。少なくとも、金銭的なメリットはないと言っていい。

残るは、流通と認知のメリットだ。例え質の低い本であっても、大手出版社の流通に乗せればある程度人の目にとまることは見込めるだろう。また、そのことによって、広く認知してもらえる。その結果として、なんらかの形で僕の表現活動に辿りつく可能性は増えるだろう。

だが、これもどうなのだろうか。同社が手掛ける他の自費出版作品を検索できるけれども、少なくとも僕の認知に辿り着いた作品はなかった。それだけで判断はできないけれども、少なくとも積極的にその作品を売ってもらえるのかには不安があった。当然、年間何万何千と出版される本に出合えるかどうかは奇跡に近い。その中である作品を特に売り出すことは、戦略的に見込みがよっぽどあるときだろう。自分の本がそんな作品になる自信はなかった。

悩んでいてもしょうがないので、担当の編集者さんに相談してみることにした。同じようなケースは他にもあるかもしれないし、何か他の選択肢も与えてくれるかもしれない。

電話して、経済的な負担もあり出版の取りやめを検討していること、期限の延長等の他に選択肢があるのかどうか、について問い合わせた。折り返しメールで返答するとのことだったので、返事を待った。

少し経ってから、返事が来た。そこには、出版をキャンセルする場合の違約金の金額について詳しい説明があるだけだった。

そうか、そうだったか。詳しく事情を聴いたり、出版に向けて可能性を吟味したりするというプロセスはないのか。これが自費出版か、と納得した。僕の言葉足らずだった可能性もあるけれども、少なくともその確認の過程をはさむ価値は、僕にはなさそうだった。

個人的には、けっこうな費用を負担しているのだから、もう少し手厚い支援を想定していたのだが、甘かったようだ。もしかしたら何か事情があるのかもしれないし、行き違いがあるのかもしれない。また、僕の勘違いや対応の不足があるのかもしれない。ただ、結果的に僕は少し、がっかりしたのだ。

そんなこんながあって、僕は自費出版をやめることにした。僕の文章を丁寧に読んでいただいた編集者の方には感謝しているし、僕の文章のいいところを褒めていただいたのも、とても励みになった。また、自費出版、それも大手の出版社がどの程度の支援を行なってくれるのかを知ることができたのも、大きな学びとなった。より良い支援を受けるためには、僕が商業的にメリットのある文章を生み出す必要があるのだとわかった。

ただ、僕の資金力が十分でなかったのだから、仕方がない。本質的にはそれが理由だ。結果的には違約金として出版費用の半額を負担するということに収まって良かった。それにしたって、安い金額ではない。しかし、全額負担するよりは圧倒的にお得だと思う。

これでまた、粛々と働こうと思える。肩の荷が下りたような気もして、どこかまた動けるような気配を感じている。

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