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体調不良とエッセイ

どうも微妙に

体調がよくない気がしている。

なんとなく毎日余力を残しているようで、ちゃんと疲労がたまっているような感覚。

症状としては、毎度恒例の歯痛と尻痛加えて、右下腹の鈍くふんわりとした痛み。どれもそれほど異常事態というほどではないけれども、万全でもないといった雰囲気。

結果、今日も仕事が終わってからどうしようかと思っていたのに、結局はすぐに帰宅して仮眠をとった。本屋さんに行こうか、行きつけの食事処に行こうか、散歩でもしようかと思っていたのに。

ふんわりとした体調不良

に対して敏感になったのは、相対的に健康になったからなのだと思う。常に疲労困憊で、風邪のような症状が抜けきらず、精神的にも余裕がなかったあのころと比べれば、軟弱になったというか、辛さを感じる余白ができた。

でもたぶん、これでもまだずいぶんと自分を痛めつけている気もするので、もっと軟弱にならねばと思っている。ちょっとのことで不調を感じ、すぐに休むようにしたい。なるべく仕事をしないで生きていきたい。その中で、ちょっとずつでも誰かのためになれたらうれしい。そんな日々を目指している。

理想としては、

毎日3時間くらい。週6日。だいたい月に80時間の労働時間でいきたい。週休1日なのは、休みすぎると逆に調子をくずしやすいという反省からだ。毎日少しでもいいから外出して、他者と接する機会を設けたい。同じことを長時間続けられないし、同じ場所に長時間居られないので、一度の労働は3時間以内にしたい。できれば、90分の仕事を二か所で一回ずつするくらいにしたい。

もちろんそれ以外の時間に収入につながることはするかもしれないけれど、他者と接する機会はそれくらいにしておきたい。多すぎても、少なすぎても体調に良くない。

収入は最低限でいいので、そんな暮らしをしたい。現段階では、理想よりも労働時間は長く、収入は少ない。

ほんのり体調がわるいとき

には、とにかく寝ていることが多いのだけれど、ある程度は起きていないと、どうも回復が遅い気がしている。だから、ふとしたタイミングで起き上がれたら、何かしら作業をするようにしている。

今日はとりあえずタンポポの根っこのハーブティーをがぶ飲みしていたら、若干回復してきたような気がする。タンポポの茶葉には葉っぱと根っこがあって、葉っぱは甘みがあって飲みやすいのだが、根っこはちょっと苦味がある。だが、久しぶりに飲むととても身体になじむので、多分欲していたのだと思う。身体はいつも、自分が求めているものを知っている。

吉田修一さんのエッセイ集

『泣きたくなるような青空』を読み終えた。なるべく本を買わないようにしたら、仕事関係の本の比重が多くなって、気分で読みたい本の割合が減ってしまった。結果的にどの本を読みたくなくて、積読(正確には段ボールの中に収まっていた)エリアから、このエッセイ集を取り出した。

このエッセイ集は結構前に入手して、三分の一くらいまで読んだままになっていた。吉田修一さんが大好きなので読み始めたのだったけれど、エッセイというのは時と場所を選ぶので、なんとなく読んでいなかった。

旅行を描いたものなのだけれど、それはそもそもが飛行機の機内誌『翼の王国』に連載されていたからだ。単行本が出たのが2017年ということで、コロナ禍の前の自由な時代の内容だ。それを2020年に文庫化したものが手元にあった。

ライトじゃないエッセイ

(その区別や基準は難しいけれど)を久しぶりに読んで、自分のエッセイのつまらなさを思った。もうちょっと同時代的な、生身の声を乗せたエッセイにしたいと思った。僕のエッセイは最初期はともかく、どこか意見文的なものが多いからだ。

そしてまた、先日は宇野千代の日記的エッセイを読んだ。huzkueに置いてあった。梶井基次郎と縁があったということで、その存在を知ったのは最近のことだった。その作風にも少なからず影響を受けた。

こうしてまた、エッセイを書こう。もう少し生身の、同時代的な、日常を描くおもしろさもあるのではないかと思い至った。

人生は長大な暇つぶし

と言ったのは誰だったか。エッセイも絵も、暇つぶし的側面は大きい。辛い暇の時間を少しでも紛らすために、やり過ごすために、動いている。そこには目的地や理想はおぼろげで、今に集中する方法の一つという側面が大きい。マインドフルネスのようなものだ。

苦しみの最中では、寝ていることも、動画を見たり音楽を聴いていることさえ苦痛なのだ。そこを乗り切るためには、積極的な動作が必要なときがある。それは決して昇華というような洗練されたものではない。その場を痛みから注意をそらす鎮静剤にすぎない。



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