シェア型書店と混沌
舌の付け根が痛い。
原因はおそらく新しい詰め物。これまでも何度かあったけれども、昨日から一日くらい痛い。嫌だ。
そのせいもあってなんとなく調子がわるく一日を過ごした。
今日のノルマとして、
吉祥寺の「スモールノジッケン」に行くということがあった。こちらは、ワンフロアの大部屋がオフィスとカフェとブースとして運用されている施設。吉祥寺のハモニカ横丁の活性化で知られるVIC(ビデオインフォメーションセンター)が運営し、そのオフィスもここにある。
こちらに伺いたかった理由は、シェア型書店への興味に話は戻る。
ここ最近シェア型書店に関心をもち、
いくつかの書店に伺ってみた。その中で感じたのが、自費出版の販売に向いているのではないかということだった。
シェア型書店は、棚貸し書店とも言われ、ひとつの正方形の棚スペースを一つの書店と銘打って販売スペースとし、好きな本を販売する仕組みの書店である。今まで行ったのは、その発祥とも言われる吉祥寺の「ブックマンション」、古書店の町神保町の「猫の本棚」、若者の街渋谷の「渋谷○○書店」の三つだ。それぞれ定員はほぼ満員で、様々な本がひしめいている。
様々な棚を見ている中で、基本的には古本が置かれているのだけれど、自費出版的なものもいくらか扱われていた。
みもふたもない話かもしれないけれど、
古本を扱うという点では、既存の書店と扱うものは被るし、客側としての魅力はまずまずという印象だった。もちろん、それぞれのセレクトがポイントにはなるのだけれど、奇書を扱っているわけでもないし、既存のよく知られた本を置いているところが多かった。コンセプトを明確にした書店は意外に少ない印象で、自分なりの基準で選んだものを自由に置いているという感じに思えた。
もしかしたら、そのセレクトをした人自身のパーソナリティー
がよくわかると、もう少し楽しみ方が変わる気もする。例えば料理人だとか、音楽家だとか、アパレルショップの店員だとか、理容師だとか、その人となりがわかって、その人がどんな本を選ぶのか、というとおもしろい気がする。
しかし、現存のものは、そこまで棚主のパーソナルな情報はわからず、「何者かが選んだいろんな本」という印象で、見ていて楽しくないわけではないんだけれども、なんとなくフリーマーケットの域を出ないような気がした。常設のフリーマーケットだと言えばそれまでなんだけれども。
ただその中でも、一般の新刊書店では並ばないような本
には心ひかれた。代表的なものが、自費出版の本である。
棚の中には、古本に加えて、自分の作った本を並べているものもあった。それはもちろん、ここだけで見られるものであったので、興味深く拝見した。
多くが、最近認知度の高まっているZIN(ジン)と呼ばれる、小型で薄いハンドメイド感あふれる小冊子の形式だった。そのビジュアルもあいまって、とてもおしゃれにも感じた。
そのような点から、僕はこのシェア型書店というのは、
自費出版にぴったりだと思ったのだ。自費出版の本は書店に流通することはほとんどなく、書店に並ぶことは難しい。それは書き手にとっても読み手にとっても不幸なことで、本としては成立しているのに読まれる機会を得られない状態がほとんどである。
しかし、シェア型書店というのは、そのスペースに自作の本を並べることで、せっかく作られた本に読まれる機会を与えてくれる。一方で読者にとっても、他では出会えないような本に接する機会を与えてくれる。
最初は読者としておもしろみを感じたものの、その後に自身も作家だったことに思い至り、出店する側になることを考えるようになったのである。
確かに、実店舗を持たない僕としては、
自分の本を手にとってもらえる場があるのはうれしい。ネット上では電子書籍版もあるので、読もうと思えばいくらでも読めるけれども、書店に置かれている本のようには出会えないのが、電子書籍の最大の弱点だ。
ただ、ブースを運営するにもお金がかかるし、販促になるほどの影響力を期待するのは難しい。新刊の書店と比べても、古本の書店と比べても、圧倒的にニッチな需要である。ウェブ媒体での販促の方が効果的なのが現状だと思う。そもそもがそういったマネタイズを目的としたものではないということで、商品を売ることにはあまり力を入れていない印象がある。
ビジネスとしては不動産業に近い。本の販売手数料というよりも、賃料で収入を得ている面が大きいのではないだろうか。安定した賃料が入るという点では、手堅いビジネスだと言える。だから、棚主としてはマネタイズしづらい設計だと感じた。
ただ、おもしろい試みだとは思っていたので、
そのあたりの情報に触れていたところ、新しく同人誌を専門としたシェア型書店がオープンするということを知った。それが、「スモールノジッケン」内のブースのひとつを用いて運営される予定の「招文堂(しょうぶんどう)」という書店だった。
ちょうど思い描いていたような企画であったので、費用面でかなり迷ったのだけれども、とりあえず申し込んでみることにした。どうやら店の予約はまだまだ埋まっていない印象だったが、ブース型の場合後から参入するのは難しくなるだろうと思われたので、早めに動いた方がいいと思った。
管理人と連絡を取り、
さしあたり契約の方向で動いた。ただ、実際の店舗に行ったことがなかったので、果たしてどのような場所なのか確認しておく必要があった。特に、果たしてそこに人がどれだけ訪れるのか、どのような人が訪れているのかを知りたかった。
そこで、まずは休日の夕方に訪れた。雰囲気を確認した上で、さらに平日の夕方に再度訪れた。
印象としては、あまり良くはなかった。
書店のスペース自体はこれから整備していくということだったし、フロア内の場所としてはわるくはないと思った。
ただ、なにぶんこの「スモールノジッケン」という空間自体が、あまり店舗として良いとは言えなかったのだ。
ネット上の情報だけだと、
2020年のオープン当初の情報や写真、コンセプト等を知ることができる。最近の情報は文字としても写真としても断片的なもので、総体としての店の空気がわからなかった。
案の定、実際の空間は雑然としていて、あまり居心地のいい空間ではなかった。
もちろん、コンセプトの一面として、
雑多な空間はあるのだとは思う。ただ、各ブースにモノがあふれ、おそらくは運営団体であるVICのものであろう物品が隅々まで積み上げられ、どう見ても物置きにしか見えなかった。
どうやら、契約者がいない部分は物置きになっているらしく、それらが明らかにスペースからはみ出し、通行も難しい様子だった。もしかしたら契約者が物置きにしているのかもしれない。どこもモノが高く積み上げられているため、景観にも影響を与えている。2020年の写真では、そんな様子はあまり感じられなかった。
その合間に明確に店舗とわかるスペースが紛れており、せっかくの店舗スペースも、雑多な空間の中に紛れてしまっていた。
もちろん、あえて雑多な中にいろいろなものを詰め込むという手法もある。ドン・キホーテなどはその代表格だろう。
おそらくは本来的にはこの空間はブースによってある程度の調和が志向されていたのだと思う。それが、仮になのかもしれないが物置きとして利用していることによって、全体を物置きとして認識させてしまっている。
あまりにも混沌としていたので、思わずまじまじと観察してしまった。
一方で、ブース利用されていると思われる場所にも問題がある
ことが伺えた。
ブース自体は明確に区切られているわけではなく、隈研吾ゼミの学生がデザインしたらしいが、開放的な仕切りによってかなりランダムに作られている。空間は概ね半円のスペースの中に収まるようになっている。
当初はそれが全体の雑多な雰囲気に馴染み、シームレスな空間、相互交流的な雰囲気を表していたのかもしれないが、その大部分に粗大ごみに見えるものが置かれていることもあって、混沌としている。
利用方法としてワークスペースも考慮に入れられているためか、ブースに机が置かれているところもあった。ただ、それだけで、人の気配はするものの、常時用いているとは考え難い。数年前まで使っていた廃墟に置かれた机を思わせた。
特に気になったのが、モノがブースを明らかにはみ出していることだ。
本来はブースは周回できるようになっており、人の動きを流動的にするように工夫されていたのだと思う。まるで文化祭のブースのように、各ブースを眺めて歩くことで楽しめるように志向されていたはずだ。
だが、実際にはブースの空間を明らかにはみ出してモノが置かれ、二つあるエリアのどちらも周回することは不可能だった。利用者に悪気はないと思うが、長い期間使っているうちに、そうなっていったのだろう。
そもそもが、各ブースがシームレスにつながっているデザインなので、ワークスペースのような独立した空間には不向きなのだ。にも関わらず、そこに机を置き、棚を置き、荷物を置けば、それはどう考えてもキャパオーバーだ。
イメージとしては、文化祭で使うような展示パネルのようなスペース
だと思えば良いのだと思う。その範囲でできることを想定された空間であることは明らかだ。その中にいくらかは独立したスペースは作れるけれども、大部分は壁一枚でできることプラスアルファというところだろう。
だからこそ、使用目的として小さな雑貨の展示販売、アート作品の展示、数着の服の販売が主な用途として想定されていたのだと思う。それ以外の用途で用いるには、工夫が必要である。
とはいっても、そのような場として成立する可能性はあったと思う。というか、成立していた時期もあったのかもしれない。
しかし、二年経った今では、そのほとんどが物置きとなり、ブースを効果的に用いている利用者はわずかだった。少なくとも、様々なブースを巡りたいと思わせる景観にはなっていない。そのため、せっかくのブースが魅力的に映らなくなってしまっている。
もし、
未契約なところは完全に何もない空間になっていて、各ブースがスペース内に収まっていたとしたら、二つあるエリアをぐるりと周りながら楽しく過ごせたと思う。そして、空いている空間を自分だったら何に使おうかなどと夢想したかもしれない。けれども、どこを見ても大部分が物置きだった。仮に空きスペースを借りたとしても、周囲が物置きだというのは嫌だなあと思ってしまった。
繰り返すが、雑多な空間を楽しむという考えがこの世にあることは知っている。静岡の「まぼろし博覧会」にもぜひ一度は行ってみたいと思っている。「ヴィレッジヴァンガード」だっておしゃれだと思う。
だが、それらとは違う。現代美術とかインスタレーションの文脈で捉えようとしても、ちょっと難しかった。
さらには、カフェスペースにも問題があった。
カフェスペースにゴミが置かれているのである。正確にはゴミではなく、アート作品や「何か」に使うための資材である。だが、どう見ても一見しただけではゴミにしか見えない。
これもわかるのだ。魅力的な資材を置くことで、創作意欲が沸いたり、想像力を膨らませたりすることだってある。ワークショップに使ったことがあるのも知っている。
だが、全体の空間の中で唯一のゆとりとも思えるカフェスペースの大半を用いて常に置くべきものなのか。
もしこれが、いちスペースにこじんまりと置いてあるのだったら、楽しく眺められたかもしれない。だが、飲食スペースのすぐ隣に何本もほうきが置かれ、汚いナンバーボールが置かれているのは、やや不可解だった。
せめてカフェスペースだけでも落ち着くものであったら楽しめたのかもしれない。だが、気分は物置きの隅で食事を摂っている感覚だった。こちらはおそらく1年程前から置かれている様子であるが、これでいいという判断なのだろうか。
なんとか好意的に解釈しようとしたのだが、
ちょっと難しかった。2020年当初の写真を見ると、なんとなくやりたいことと実態が一致していた時期もあったことが伺える。
ちょっと見ただけだし、内情はわからないけれども、問題点は以下の三点。
まず、未契約スペース及びブース外スペースを物置きとして使用していること。次に、契約者の利用方法が適切でないこと。それに、これまでの蓄積を捨てることや改めることがないこと、を付け足したい。
「スモールの実験」という名前にもある通り、
ある種の実験ととらえれば理解できる部分もないわけではない。ある種の社会実験として、正解を持たないのも良いだろう。
ただ、結果的に今作り上げられた空間は、混沌としていながらも魅力の欠ける空間だ。混沌というものは基本的には魅力をはらむものなのだけれど、ある種の方向性を中途半端に守ることで、退廃的な空気を作り出すことになったのかもしれない。
もし、2020年の当初の段階であれば、このブースを活用することも考えられたとくやしく思っている。事実、実物を見るまではそのような期待があった。
このような中で、「招文堂」は開店しようとしている。
シェア型書店という試みでさえ、まだまだ発展途上であり、特に同人誌専門というのは未知の試みだ。
さらに、「スモールノジッケン」はその状況を後押しできるような状況にはないように見える。
そのあたりも心配になっているのが、現在の僕の心境である。だから、平日の今日も足を運んでみたのだ。やはり、印象は変わらず。オフィス利用者の様子なども踏まえて、不安は増している。
「招文堂」の試み自体はとても応援したいし、「スモールノジッケン」のコンセプトにも魅力を感じるだけに、実際の空気感には残念だと言わざるをえない。
もちろん、これが一過性のものであるかもしれないし、今後良くなっていくかもしれない。特に「招文堂」の試みは、「スモールノジッケン」にも影響を与えていくはずだ。
だが、そのために2万2550円
(初回費用+月3850円×最低3か月)を投資というのは、安い金額ではない。自分の創作活動と関連させることのデメリットも考えると、さらに不安は増す。
ということで、少々今は迷っている。とりあえず見送る方向では考えているけれど、「招文堂」を応援したい気持ちもある。「スモールノジッケン」が一時的に物置きと化しているという可能性も全くないわけではない。
ただ現状としては、ちょっと残念に感じたということである。もしかしたら、この場所を居心地よく感じている人もいるかもしれないし、僕には図りがたい感性があるのかもしれないことは想定しうる。だから、全面的に否定はしたくはない。けれど、僕としては残念に感じているのが今日の現状だ。
もしかしたら、全ては舌が痛いから
かもしれない。ここ数日天気が悪かったせいかもしれない。少し疲れていたのかもしれない。
だから、もうちょっとしたらまた行ってみるかもしれない。行かないかもしれない。
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