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親孝行って何?って考える

でもそれを考えようとすることがもう
「親孝行」なのかもしれない。

こんばんは、ヨシモトです。

皆様はこの歌詞をご存知ですか?

この曲は「チキンライス」といいます。
作詞:松本人志
作曲:槇原敬之
唄 :浜田雅功&槇原敬之

僕の大好きな曲です。

今日はこの曲でも聴きながら「ゆるく」お付き合いください。

僕はだいたい週末にnoteを書いたり書かなかったりしているのですが、
今週はたまたま平日にnoteを書きました。

それがなんと、今までで一番反響があり、1日で「スキ」を”20”も頂きました!
とても驚き、嬉しい気持ちでいっぱいです!

ありがとうございます!!

「スキ」や「フォロー」してくださった皆様、
皆様のnoteも必ず読みに行きますので今しばらくお待ちください。巡回中です。僕はリアクションを下さった方のnoteは必ず読んでいます。
出来る限り「スキ」を返したり、「フォロー」し返したりしています。
※ただし、記事を書かれていない方や、あまり共感できないお考えの方に対してはその限りではありません。ご了承下さい。

それと同時に『親孝行』は永遠のテーマなんだなと感じました。

もちろん「タイムバケット」と言う考え方に共感された方
『両学長 リベラルアーツ大学』をご存知だった方

様々な考えをお持ちの方がいらっしゃると思いますが、
この記事に対して「スキ」を下さった方は、僕の「夢」を良いなと思って下さったのだと思っています。

30代のうちに父と二人で海外旅行に行く。

noteってあたたかいですね。

嬉しいです。

今日は、この曲にちなんで少し昔話をしたいと思います。

***

僕の家は比較的裕福な家庭でした。

特別贅沢をしたことはありませんが、特別苦労をしてきた覚えもありません。

当時はそのことに全然気がついていなかったのですが、今振り返るとそう思います。

両親と姉と僕と妹と弟がいました。

弟は僕が中学3年生の時に他界しています。病気でした。

元々両親はそんなに仲が良くなく、
(正確には仲が良いところをあまり見たことがなく)

父は自分の職場(事務所)に泊まり込み、家に居ない日が多くありました。

たまに家に帰ってくるとなんだか不機嫌そうで、近寄りがたい雰囲気がいつもありました。

僕は父が嫌いでした。

今思うと、家庭を支える為に本当に必死で働いてくれていたのだと思います。
子供4人と治療費を稼ぐのは並ではなかったと思います。

父は僕の私生活に対して口を出してきませんでした。

ただ、口酸っぱく言われたことは、『勉強しろ。』

そんな父にも可愛らしいところがありました。

皆さんはピーピーラムネをご存知ですか?

ドーナツ型のラムネで、縦てにして息を吹くと「ピー」と音が鳴ります。

ある日突然これを買ってきて、

「これ知ってるか?息吹いたら音が鳴るねん。」

と言って顔をクシャクシャにして笑顔で実演してくれました。

結果、僕よりもその音を鳴らし、僕よりもそのラムネを食べていました。

そんな堅物で不器用な父でしたが、本当にたまに外食に連れて行ってくれました。

それが、ベーカリーレストランサンマルクでした。

今となっては、そんなに高級なお店ではなかったことが分かりますが、
当時の僕にとって、そこは「高級ホテル」のような印象がありました。

お店に入った途端、香ばしい焼き立てのパンの香りが身を包み、
愛想のいいピシッとしたスタッフの方が、席まで案内してくれる。

僕は子供ながらに、こんなに良いお店で食事をして良いのだろうか?
お会計は大丈夫なのだろうか?
こんな日はもう二度と訪れないのではないのだろうか?

そんな事を考えていました。

結果、誰よりも長く注文に悩み、メニューとにらめっこした後、注文したのが、

「カレーライス」でした。

注文が終わった後、スタッフの方がテーブルをセットし、スプーンを置いてくれます。

ベーカリーレストランサンマルクは焼き立てのパンが食べ放題で、カレーを食べ終わった後はひたすらパンを食べていました。

カレーライスもパンもとても美味しかったです。

その後も何度かこのお店を訪れたのですが、
僕は決まって「カレーライス」を注文しました。

僕が中学生になってからはこのお店自体無くなってしまい、その後家族で外食をすることは無くなりました。

弟が他界してから父はさらに家に帰って来なくなり、中学校の三者面談で進路相談の話をしたのが最後の会話だった様な気がします。

その後、僕は大学生になり、社会人になりました。

父は僕が飲食店で働く事に反対でした。

「飲食店で働かせる為に、大学まで行かせたつもりではない。」

これが父の言い分でした。

もっと立派な稼げる職に就いて欲しかったのだと思います。
人一倍お金を稼ぐ苦労を知っていたから。

父の反対を押し切って僕は東京で就職しました。

東京で働いて2,3年経ったある日、父に事務所に呼び出されました。
 働く大変さが骨身に染みている時期でした。

父「最近どうや?飯は食えてんのか?」

僕「まあ、ボチボチやっとるよ。まかないもあるし飯は食えてる。」

父「そうか。そのままずっとそこで働くつもりか?」

僕「いや...そんなつもりはないよ。いつか親父みたいにちゃんと稼げるようになりたいと思ってるし...」

父「」

僕「...親父のこと...尊敬してる。」

当時の会話の記憶は曖昧ですが、この時初めて父に感謝の気持ちを述べました。

その後、徐々に父との会話は増えていきました。

いつもぶっきらぼうだった父は、仕事が忙しくて子に接する時間も少なく、父として子供とどう接して良いのか分からなかったのだと思います。

父は感情表現がヘタクソで、でも子供に対しての愛情はしっかりと持っている人だったのだと知りました。

子供が巣立ち、余裕ができてきたからかもしれませんが。

要所要所でかけてくれていた言葉の意味も、当時は理解できませんでしたが、
今となってやっと理解できる様になりました。

父の言う事をもっと聞いていれば、今の環境はもう少し違ったものになっていたかもしれません。

『親心子知らず』と言いますが、本当にその通りだなと思います。

学生の頃は「子の心親知らず」やろ!なんて言っていましたが。笑


そして、そんな両親に僕ができる恩返しは何か?

これが今の課題です。

残念ながら僕はそんなに稼ぎがないので、「家をリフォーム」してあげたりはできません。

僕が思うのは、「親孝行」正解なんてなくて、今感じている感謝の気持ちを伝える事が大切なのだと思います。

それぞれのご家庭で何かしら記憶に残っている出来事、言葉、困りごと等あると思います。

互いに会話して、自分にできる「これをしてあげたら喜ぶかな?」と思う事をしたら良いと思います。

僕の場合は「海外旅行」が好きな父と二人で旅行に行く事です。

母は温泉が好きなので、リラックスできる温泉や今まで子育てで忙しく行きたくても行けなかった場所へ旅行に連れて行って行けたら良いなと思っています。


以下『「タイムバケット」という考え方から抜粋。

『30代でやってみたい事。』
・海外に住んでみる。
・海外で働いてみる。
・父と二人で海外旅行に行く。
・母を温泉に連れて行く。
・家庭を持つ(結婚する)。
・子供を授かる。
・親戚付き合いをする。
・語学を堪能になる。
・働き方を変える。
・資産を増やす。年収を上げる。
自分:30歳〜40歳
父:69歳〜79歳
母:60歳〜70歳
〜〜〜
最後に、
僕の夢の一つに「父と二人で海外旅行に行く。」と書きました。
父・母・娘・息子
この中で最も会話の少ない間柄はどこかご存知ですか?
圧倒的に「父と息子」だそうです。
もちろんご家庭によると思いますが、僕の家庭ではこれが当てはまります。
僕はこの差を埋めたくて、死ぬまでに後悔したくなくて、この夢を書きました。
実は、この夢は父にも告げています。
ハニカミながら「後10年は元気でいてやる。」
と言っていました。
叶えたい。
その為にも、行動あるのみ!

ではまた。

*「フエラムネ」のことを僕の家庭では「ピーピーラムネ」と呼んでいました。


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