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伊勢神宮の麓で生まれ育った、一般社団法人ISD個性心理学協会マスターインストラクターの坂口芳美です。


ISD個性心理学とは

ISDとは、「INSTITUTE OF DISCOVERY」の略で、「自己発見研究所」という意味です。

ISD個性心理学では、生まれ持った本質を知って認めることで、“唯一無二の自分らしさ”に気づき、生きやすくなる思考や行動指針を手に入れることができます。

個性タイプ別の接客方法や組織のマネジメント、教育の現場、家族とのコミュニケーションに活用できます。

看護師、保育士、保険マネージャー、教育関係者、接客業、カウンセラー、主婦の方など、幅広い分野の方が、講座を受講してくださっています。

私の人生ストーリー

現在に至るまでの、私の人生ストーリーについてお話します。

私は、1967年三姉妹の長女として生まれました。
亭主関白の父親と家事を完璧にこなす専業主婦の母親のもとで不自由なく育ちました。

そんな穏やかで幸せな家庭が一瞬にして崩れたのが高校一年の夏のことです。
1か月ほどの出張から帰宅した父親が、夜中に脳溢血で倒れました。意識が戻らないまま、明け方には帰らぬ人になってしまいました。

当時の私はピアノを弾くのが大好きで、音大に進学したいとの夢を持っていました。
かつては元気だった母親も寝込むようになり、家計のこともあって進学を断念し、就職することにしました。

高校卒業後、金融機関に入社

1985年に地元の商業高校卒業後、金融機関に入社しました。
営業店に配属され、内部事務・営業・システム移行責任者を経験しました。

音大への夢をあきらめた私でしたが、社会人になってからは毎日が刺激的でした。
仕事を覚えるのも楽しく、ルーティンの作業も得意だと実感していました。

入庫4年目でシステム移行担当者に選任されるなど、責任ある立場に選ばれるようになり、自信もついていきました。

そんな中、37歳でセクションの係長へ昇格します。当時は女性の役職がごくわずかな時代でしたので、嬉しくあると同時に、プレッシャーでもありました。

この頃から残業も増え、食生活も乱れ、ストレス過多に陥っていきました。

結婚と離婚

私は、21歳で結婚しました。長男長女を授かったものの、こども達の学校行事にはほとんど参加したこともないほど、鬼のように働いていました。

自分なりに働きがいや責任を感じていたのと、実の母親と同居だったので、子育ては母親に任せっきりだったのです。

そんな生活を続ける中、家族を大切にしたいと考えていた夫との価値観の違いが浮き彫りになり、30歳で離婚しました。

それから1年も経たないうちに、元夫は自ら命を断ってしまったのです。

それからさらに仕事に没頭するようになり、早朝から夜遅くまで働き続けました。生活は乱れ、ストレスとプレッシャーで押しつぶされそうになっていきました。

入社8年目に営業店の支店係長、その後次長として内部統制や人材育成に従事してきました。

2度の乳がん

そんなハードな生活を送っていた私に、悲劇が襲ったのは係長になって2年目のことです。

初めて受けた乳がん健診で悪性腫瘍が見つかりました。

幸いにも早期発見だったので部分切除ですみ、1か月後には職場復帰しました。

その1年後に管理職に昇格したのですが、さらにプレッシャーは増すばかりでした。

業務の段取りが頭から離れず、家に居ても緊張から解放されることはありませんでした。

そんな毎日が続いていましたが、さらに人生を変える出来事が起こりました。

乳がんから6年経って少しホッとしていた時期に、新たな腫瘍が見つかったのです。

なぜ私が2回も・・と愕然としました。

退職を決断

治療して職場復帰したものの、このような働き方を続けていくことが私にとって心から幸せな人生なのか?

もっと女性として、一人の人間として輝いていたい!と思うようになり、最終的に退職を決断しました。

実は・・

退職を決断したのには、もうひとつ別の理由があります。

本当のところ、復帰したときは退職なんて微塵も考えていませんでした。

2度目の乳がんは放射線治療も行ったことから、復帰までに2ヵ月休暇をいただきました。

長期間迷惑をかけたことを申し訳なく思い、さらに仕事に専念する意気込みで復帰したのです。

しかしながら現実は、そう甘いものではありませんでした。

復帰して間もなく、「少しゆっくりされたらどうですか」と優しい言葉と同時に、渡されたのが辞令書でした。

管理職ではなくなるとの辞令で、私にとってはふがいない内容だったのです。

30年間懸命に培ってきたものが、一瞬にして崩れ落ちた感じがしました。

もう自分の居場所もなく、心にぽっかり穴が開いたような状態でした。

結局その穴を埋めるだけのモチベーションは残っていませんでした。

このような経緯から退職を決断した私ですが、再就職する気持ちは一ミリもありませんでした。

というのは、懸命に働いていた自分を認めながらも、組織に守られているという甘い考えの自分が存在しているのを、心のどこかで自覚していたのも事実です。

第二の人生は、「自分の手で感謝される働き方をしたい」と強く思うようになっていました。

リラクゼーションサロンを開業

退職後は、同世代女性の心とからだを癒せる場所と空間を創りたいとの思いからリラクゼーションサロンを開業しました。

在職中、私にとって唯一ストレスから解放される時間が、毎週通っていた
リンパトリートメントでした。

セラピストさんの手の温もりとゆったり流れる時間、アロマの香りに癒される空間。

その時間だけは別世界にいるような居心地の良さでした。

通っているうちに、「自分もいつかは人の心を癒せる女性になりたい」と施術ができるようになるための技術講習も受けるようになっていたのです。

ただ当時は趣味程度という気持ちでしたから、それが起業の一歩になるとは思いもよりませんでした。

今振り返ると、辛かった経験もすべて繋がっていたんだな、と運命を感じています。

でも開業への思いはあっても、起業ノウハウなんて全くありませんでした。

「とにかく私という存在を知ってもらいたい」と思い、アメブロを始めました。

個人経営のエステサロンは、アメブロで集客するのが王道だといわれていた時代でした。

2014年3月末で私は退職しました。私の誕生日である1年後の1月15日をオープン日と決めました。

どれだけの人が興味を持ってくれているかなんて、全くわかりませんでしたが、ひたすら毎日投稿を続けました。

その思いが通じていたのか、オープン初日に2名のご予約をいただきました。本当に感激したのを今でもはっきり覚えています。

それからもアメブロから安定して、ご予約が入るようになりました。

スキルやノウハウより、行動力が一番必要なんだと実感しました。

色彩心理学との出会い

起業のノウハウをもっと学びたいと思っていた折に、とあるエステの先生に出会いました。

その先生も、もともとは一人サロンのオーナーだったのですが、色彩心理学を学んでからスタッフを雇ってサロンもだんだん大きくなっていきました。

こういうふうに売上も上がって、サロンの運営に生かせたいいなと思って、色彩心理学を学ぶことにしました。

色彩心理学を用いて購買意欲をアップすることもできますし、お客様のサポートにも生かすことができます。

色が持つ力を使って、目標達成することもできたので、売上も伸びていきました。

初対面の人と打ち解けるまで時間がかかっていた私ですが、事前にお客様のタイプを知ることで、緊張せず穏やかな表情や会話で、接客できるように変化していきました。

お客様が持つ魅力や才能を12色のカラーで表現し、日常生活に取り入れるようアドバイスをして、コミュニケーションの幅も広がり喜ばれるようになりました。

もうひとつ、勉強して良かったと実感しているのが運気リズムです。

人間はどんな時も同じエネルギーでは行動できませんよね。

外に向けて積極的に行動していくとき、内面や体を整えるとき、広告を出すのは人気運があるとき、などリズムに合わせた行動計画を立てていくことで、年間を通して売上も安定していきました。

コロナ禍で予約減少

しかしながら、順調に思えた矢先に起こったのが、新型コロナウィルスのパンデミックでした。

誰もが経験した3年間のコロナ禍において、当然私のサロンでもお客様が遠のいていきました。

私は「コロナが落ち着くまでの辛抱」と軽い気持ちでいたのです。

世の中の価値観が大きく変わったことに、この時はまだ気づいていませんでした。

お客様が通ってくれるのを嬉しく有難く思いつつも、真のお客様のニーズを把握できていなかたのです。

コロナ禍で予約が減っていくなか、焦りながらもどうすれば良いのか分からずに悶々としていました。

時間だけが過ぎていくのはもったいないと思い、ライティングや
ダイエットなどあらゆるセミナーを受講していました。

個性心理学との出会い

そんな時間を過ごしている中で、個性心理学に出会ったのです。

面白そうだな、と軽い気持ちで個性分析を受けたのですが、「どうして私のこんな性格まで分かるの?!」と鳥肌が立つほどでした。

私は管理職時代に、頑張っても頑張っても、自信が持てずにいました。そうしたコンプレックスや心の奥底にあった気持ちまで、言語化してもらえたのです。

常に相手軸でしか物事を考えることができず、立場上意見を求められても
人に合わせてしまう自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。

「強くならないといけない」「もっと自信を持たないとダメ」と自分に言い聞かせていたことが、実は生まれ持った「私らしさ」だったのです。

当時の思いがあふれ出して、ようやくプレッシャーから解放された気持ちでした。

行動や言動が理解できずにいた息子との関係性も、価値観の違いからくる
コミュニケーションのズレだったと知り、衝撃を受けました。

「同じように自信を持てずにもがいている人や親子や職場のコミュニケーションに悩んでいる人のお役に立ちたい!」と強く思うようになり、認定講師としての資格も取得しました。

生まれもった才能に気づく

私はいつからか、「人の気持ちを察する感性が強いのでは」と思うようになりました。

それは、分析シートにハッキリ書かれていた生まれ持った才能であることも分かりました。

今では私が感じるままにオリジナルの言葉でその人らしさを伝えています。

クライアント様の分析シートを見るだけで、生まれ持った本質や輝いているところに思考が巡りどんどんイメージが沸いてきます。

伝える私のワクワクな気持ちと、受け取るクライアントさんのワクワク感が
一体になったときが、私にとって一番心に響く瞬間でもあります。

さらに、分析シートが示してくれる事象と人生経験のヒアリングを重ね合わせながら、どこに現実とのギャップがあるのか瞬時に見極めて、心の負担を軽くしていきます。

その人が歩んで来た人生ストーリーと生まれ持った本質がどのように関わっているかを紐解きながら、その人だけに秘められた価値を見出すことが大好きで得意なのです。

魂が震えるほど感銘していただいた瞬間、その時間を共有できることが最高の幸せです。

個性分析を受けた方の感想

個性分析を受けた方からは、このような感想をいただいています。

「診断してもらって 自分の本質、強みがわかり、無理せず気をはらずに自分のままで強みを活かしていけばいいと背中を押して貰った感じがしました。診断は沢山の引き出しからわかり易く説明して下さり、本当に腑に落ちました。私を思いやってくれる気持ちがヒシヒシと伝わってきました」

「自分の変わらない本能の部分を、言葉で聞くことができて、過去に自分が起こした行動にとても納得できました。その人の性質に合った言い方や接し方ではないと、良かれと思ってとった行動も、逆効果にもなりうることもとても興味深かったです」

「自分のために、周りの人のために、どんどん進んでいきたいです!一人で考えていると気持ちが乗らないときもあり、進みにくいときもあるのですが、坂口さんに会うとまたやる気UPするので嬉しいです。私も誰かの味方になったり、背中を押せる存在でいたいです!」

私の夢

最後になりますが、私の夢を聞いてください。

私の父は、突然この世から去ってしまいました。離婚して1年以内に自ら命を断ってしまった元夫にも、何かできることはなかったのかと、考えてしまいます。

そうして私自身も、2度も乳がんになってしまうという経験がありました。

こうした人生経験を踏まえたからこそ、私と出会う全ての人には、「生き抜いてほしい」と思うのです。人生の最期の時に「本当に楽しかったな」と、思ってもらえるような生き方をしてほしいと願っています。

生きる喜びも苦しみもすべてを経験した一人ひとりの女性が、組織や家族の延長線上ではなくステージが変わっても働きがいや生きがいを持ち続けられる社会にすることです。

そのために、人と人の輪を繋げながら、夢を語り合い、共感し、応援しあえる未来に進んでいくような安心安全なコミュニティを作ることです。

大人がワクワクしながら夢を語る姿を、魂を、未来を担っていく子どもたちに繋げていきたいと強く思っています。

生きる喜びも苦しみも、すべてを経験した私たちだからこそ、その生きぬく力で!

周りの目を気にすることなく、一人の人間としての価値と可能性を最大限生かして、精一杯生きることに微力ながら、生涯寄り添い続けます。

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