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僕はスピーチができない

社会進出

大学を卒業してから2年の時を経て,私はついに社会進出を果たした。

とにかくセイシャインになれればなんでも良かったのでほとんど何も考えずにオフィス家具の営業になった。社員が7人くらいしかいない小さい会社だったから,寅さんのイメージで楽に生きていけるものと信じて疑わなかった。初出勤の日,期待と不安が混ぜこぜの胸を抱え,電車に乗った。早朝の満員電車。それまでは全員敵に見えていたスーツの塊たち。同志よ。これからは仲良くしよう。などと訳のわからない雑感を抱き足軽の如く会社に赴いたのだった。

コーラに蜂蜜を入れてくれ

期待は簡単に裏切られる。今まで小市民としてのささやかな期待すらも裏切ってきたのだから,いかなる運命が待ち受けていようと,戯言を言わず自ら毒杯をあおったソクラテスのごとく毅然とした態度を貫いてしかるべきである。しかしながら,妄想族にとっては膨らんだ妄想すなわち期待こそが生きる糧である。コーラだと思って飲んだ黒い液体がブラックコーヒーだった時のショックは計り知れない。

会社,つらかったなあ,つらかった。

その後約半年にわたって,私は会社の途中のお地蔵様に祈りを捧げることになる。「この支配からの卒業」という昔のカリスマが放ったパンチラインを唱え続けた。

朝礼

何が辛かったかってまずは朝礼。

毎日誰か一人10分間もスピーチをしなければいけなかったのである。人前で話すことを苦手としている私にとって,これは苦行以外の何物でもなかった。このスピーチの準備にかける時間がツルツルな女性の半身浴くらいに長かった。どうして営業活動の妨げになるような制度を用意しているのか。疑問が絶えなかったが時間は待ってくれない。なんと言っても7人の侍しかいないのであって約一週間に一回は話す順番が回ってくるのである。お地蔵様にその日をスキップして欲しいと祈っても急造の信仰心が届くはずもなかった。

人前で話すことに慣れてない私は「えー」とか「あー」とかを連発し,社長以下先輩方にボコボコに注意されまくった。自分が英国王だったらなんとかなったのにな,などと「私は貝になりたい」並の無理難題。想像力の三段跳び。

とにかく話をするのがあまり得意ではなかったのだ。話をする内容を考えるのも,話をするのもだんだんだんだんと嫌になってきた。帰り道にコンビニを見つけるとアイスを買って食べる。またコンビニを見つけてはアイス,という悪癖がついてしまい,絶望感に比例して体重が増え続けた。


とまあ言い訳を書き連ねてきた訳だけれど,結局,就職しても逃げ癖は治っていなかっただけだ。できないことをできるようにしないとダメだよね。当たり前だけど。


次回,幻のセイシャイン時代その②









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