見出し画像

自分を幸せにしてくれる人、不幸にしちゃう人①

<photo by Takayuki Wakai>

2023年1月。私は約6年ぶりに家族に会いました。母方の祖母が95歳で天国へ旅立ったため、彼女のお葬式に出席した際に。

家族と疎遠になった原因は母との確執です。彼女は俗に言う“毒親”。我々は父、母、私、弟2人の5人家族で父母は一緒に住んでいますが、お正月やお盆に家族が集まることはありません。

次に対面する時は、母か私のどちらかが棺桶に入った時だと思っていました。にも関わらず、今年の初めに母と対面するに至った経緯をお話ししようと思います。

家族やその他人間関係について、悩んでいる方のヘルプになれば幸いです。

#最強のメンヘラ

私が人生で出会った最強のメンヘラは母親です。親の小言はどんな時代にも家庭にもあって、それらは「愛ゆえに」なんだろうけれど、私は長らく母の言動から愛を感じることはできませんでした。

私が物心ついた頃から理由もなく怒鳴り散らしたり、癇癪を起こして泣き叫んだり。私に暴力を振るい暴言を吐いたのは、あのモラハラDV男と母親だけ。彼と彼女はとてもよく似ている。彼らは常に不安で、その表現方法を”感情に任せて怒ること”以外、知らないのだろう。

容姿について毎日の習慣みたいに罵られ、「整形した方がいいよ?お金出そうか?」「あんたの目が嫌いだからこっち見ないで」と言われ続けて辛かった。(今は「ダーマペンやりたい!」「ハイフとレーザーでこの金額です!」と言いたい笑)塾の成績が下がった時、「体を売って金返せ」って言われて悲しかった。何もなくても彼女が機嫌が悪い時に引っ叩かれた。ここでは言えないようなひどいことも散々言われたりされたりしましたが、私が最も引きずった言葉はこれ。

「お前は誰からも愛されない。親からも愛されない人間だから。みんなお前に嘘をついている。本当のことを言うのは母親である私だけだよ」

1度や2度ではなく洗脳のように何年にも渡って繰り返された呪文。大人になってからも時々リフレインするこの言葉に随分苦しめられました。恋人も友だちも私を大切にしてくれるのは頭で理解できても、心が苦しくなることが多々。

「母が言っていることは嘘」「目の前の友だちや恋人と母は違う人」と前向きに考えたい思考と平行して、「私は親にも愛されない人間」「そのうち裏切られるんだろう」「目の前の人の言うことは嘘なんだろうな...」っていう考えが常に頭の片隅にある。人を信じられないって、とってもとっても辛いこと。それでもなんとか折り合いをつけてきました。

パンチの効いた母親と、見て見ぬふりをする父親がいる家庭で育ちましたが、私の周りには親切な友だちや先生がたくさんいました。家庭のことを詳しく話したことはないけれど、担任の先生は気づいていたと思う。涙が止まらなくて授業に出られず、別室で先生が寄り添ってくれたこともありました。親以外の人間関係は本当に恵まれていたから、グレずにここまでやってこられたのだと思います。私を取り巻く人間関係には、子どもの頃から今に至るまで感謝しかないです。

#苦しいのは攻撃する側

高校を卒業して家を出ると母とは物理的に距離ができてマシにはなったものの、彼女の支配欲はおさまらず、びっくりするような言動は続きました。

母が癇癪を起こして私を攻撃するたびに距離をとる私。その後は反省したかのように忍びより、またストレスの吐口のように攻撃する....というのを繰り返すこと数年。ついに鬼切れした私。1時間以上も怒鳴り散らしたのは後にも先にもあれが最後(今のところ)。20年くらいの鬱憤を火山の如く吹き出した後、母との接触を断ちました。

その後も接触を試みる母。当時の彼氏の名前を調べ上げ(webリテラシー高い)、数千人のフォロワーがいた彼氏のTwitterにて公開スレッドで母が狂言を繰り広げたこともありました(探偵になった方がいいのでは)。

彼の実家(会社やってた)に電話をかけ彼のお母さんが対処してくれたこともあります。ある年の1月2日に警察署から「お母さんが来てます。どうしましょう...」と連絡が来たこともありました。(私の人生で経験した“警察沙汰”って、モラハラDV男と母親に関連することだけ。彼らは本当に似ている......)

母は「どうしても会って話したいことがある」とのこと。けれど、私は母と会うことを考えるだけで涙が止まらなくなったり、手が震えたりするレベルにまで至っていました。

親友Kが「一緒に会いに行くよ。お母さんの話も聞いてみよう?」と申し出てくれたため、母、私、親友Kの3人で会いましたが、母は「二人きりで会いたい」の一点張りで、具体的な内容を話してくれませんでした。

優しい親友Kは母の異常さを目の当たりにしてびっくりしていたと同時に、「お母さん、どうしてあんなに悲しそうなんだろう...」と言っていました。そう。母は可哀想なのです。人を攻撃することはよくないけれど、一番苦しいのはそれを止められない本人だから。

#母からの手紙

その後、母から手紙を受け取りました。彼女は私が生まれる前に一度結婚したことがあり、その相手が私の血の繋がった父親であること。私が生まれる頃に離婚が成立したこと。その後再婚したものの、再婚相手(戸籍上の私の父)とうまくいかず精神的に辛すぎたため、私を虐待してしまったのは申し訳ないが仕方がなかったとのこと。

母のおかげで家族や家庭になんの思い入れもない私は、本当の父親が他にいると聞いても、会いたいとは思いませんでした。家族はメンバーが増えるほど厄介です。幸せが増える場合もあるだろうが、それは安定したベースがあってこそ。健全な家庭で過ごしてきた人には想像できないほど、不健全な家庭は闇が深い。

母が私にした仕打ちを正当化していることには呆れましたが、彼女なりに勇気を出して告白してきたのでしょう。その翌年の私の誕生日、母と過ごしてみようと思いました。

母が私にしてきたことは親としても人としても信じ難いものですが、感謝している面もたくさんあります。彼女の見栄のためでもありましたが、私を大学まで進学させてくれたのは事実だし、それによって今の私があります。実家にいる間、食事だってほぼ毎日準備してくれました。

彼女がいなかったら、彼女が中絶していたら、私はこの世にいません。だから、彼女がお腹を痛めて私を産んでくれた自分の誕生日を彼女と過ごしてみようと思ったのです。


長くなるのでこの辺で。
続きはまた追って書きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?