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近代麻雀掲載「東大を出たけれど」有料版

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近代麻雀で連載していたコラム「東大を出たけれど」です。 漫画化と実写化もされました。 東大を出て麻雀店従業員になった著者の、 当時の麻雀店での出来事、出会った牌姿などについて書い… もっと読む
漫画化したものもそうでないものもあります。 単行本に掲載されたのも40話くらいでしたので、 ここで… もっと詳しく
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2019年2月の記事一覧

東大を出たけれど66「招かれざる客」

東大を出たけれど66「招かれざる客」

 その甲高い声の中年は、不遜な態度でこう言った。
「安い店だな。メンバー、差し馬しようや、差し馬!」
 近所にある競合店の常連なのである。10年前の当時は珍しくもなかったが、そちらは200円の台を謳っていたため、半分のレートのうちでは物足りなかったのだろう。この客が河岸を変えてみたのは、全くの気紛れだったのだと思う。
「メンバーの誰でもいいから!ほら!」
「じゃあ――、彼がやりますわ」
 その面倒

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東大を出たけれど67「花」

東大を出たけれど67「花」

 その客がいつものように荷箱を抱えて訪れると、同僚の彼女の表情は、ぱっと明るくなった。 荷箱には、色鮮やかな赤い花鉢が、所狭しとひしめき合っている。
「今日はゼラニウムだよ」
 花屋の彼が店の余りをこうして振舞ってくれるのは、特に彼女目当ての奸計というわけではなかっただろう。
 花屋はいつも、ガーデニング好きのオバさん連中にはもちろん、普段家で煙たがられているであろうオジさんたちにも、家族への手

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東大を出たけれど68「レートと矜持」

東大を出たけれど68「レートと矜持」

 オーラスの親番で、こんな牌姿になってしまったのである。
一一一12345赤568889 ドラ北

 通常なら、こんなものは※5を切ってリーチだ。当然迷うことなどはない。それが、このときばかりはやや微妙な状況だったのである。

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東大を出たけれど69「リャンシャンテン戻し」

東大を出たけれど69「リャンシャンテン戻し」

 先日こんな手牌が来て、しばし迷ったことがあった。
二三六七七八八九③⑦⑦⑧⑨3 ドラ⑦

 このときは、※③と※3のどっちにくっつきやすいかな、などと考えて、直感的に③を放した。
 次巡に※④を引いて、一瞬勘の悪さを呪ったものの――、すぐに、※⑧※⑨を落とすべきだったかな、と気付いた。
 場況に差がない状態で※③と※3のくっつきなど選択しようがないのだから、ここはドラ※⑦を雀頭に固定して、リャン

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東大を出たけれど70「親」

東大を出たけれど70「親」

 いちメンバーの私事など赤裸々に告白するべきではないのだろうけれども――、個人的には大きな生活の変化があったので、思うところを少し綴らせて頂きたい。
 先日結婚をした。そして年内には、人の親になる。
 特に公にする話でもないのだが、私の自堕落な生き方を揺さぶるには十分過ぎる出来事だ。
 連れ合いと広い間取りの部屋へ移り住むことになり、日中時間のある私がひとり不動産屋を回った。そうして改めて意識した

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東大を出たけれど71「不慮」

東大を出たけれど71「不慮」

 不慮の事態の想定というのは、なかなか困難である。
 先日実家の母から連絡があり、どこか病院に行って検査をしなさい、と妙なことを言われた。
 何かと思えば、ずっと昔に私が手術をした病院で使用していた薬品に対し、薬害の恐れがあると発表されたのだという。
 まったく寝耳に水である。
 当然今のところ健康状態に異常は無く、病院など億劫なことこの上ないのだが、何が起こるか分からないのであるから一応行ってお

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東大を出たけれど72「フリテンの店」

東大を出たけれど72「フリテンの店」

 夕刻の小滝橋通りを、新宿から歩いて店に向かう。深夜に出勤していた頃には気がつかなかったが、仕事が夕方からになって、町並みの表情に敏感になってくると、通りに並ぶ飲食店の変貌ぶりが否応にも目につくようになる。
 競合店の多いこの界隈では、毎年新しい店が出来ては潰れ、容赦なく社会に淘汰されていく。
 先月までうらぶれた弁当屋であったその場所に、何食わぬ顔をして見慣れぬ定食屋が居座っていた。
 仕事まで

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東大を出たけれど73「貪欲」

東大を出たけれど73「貪欲」

 他店のフリーで時間を潰していたときのこと。隣の卓で恰幅のいい中年客が、店の若いメンバーを揶揄しているのが目についた。社長、と呼ばれるその客は、周囲を気にせず大きな声で軽口を続けている。――お前は麻雀も仕事もできねえな、うちの会社じゃ使えないな、と笑って話している様子は、特に嫌味がかった印象はなかったが、叩き上げらしい高圧的な態度が煩かった。
 ふと私の席から社長の手が目に入る。
一二三33445

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東大を出たけれど74「惰性」

東大を出たけれど74「惰性」

「店を出したんだ――」
 電話の声は、かつての同僚である。今は郷里に引っ込んでいたとは聞いていたが、まさか雀荘の店主になっているとは思いもよらなかった。
 ずっと、自分の故郷で雀荘をやりたかったんだそうだ。
 当時一緒に働いていた頃は、共に惰性の日々を送るばかりで、お互いに将来を語ることなんてなかった。もちろん私の方にも人に聞かせられるような夢なんてなかったし、それは彼も同じだろうと思っていたのだ

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東大を出たけれど75「授業」

東大を出たけれど75「授業」

「須田さん、また飛びですかぁ――」
 後ろで若い同僚がニヤニヤ笑っている。
 いやいや大丈夫、まあ見てなって。あ、はい飛び祝儀と赤々一発のチップですね――。
 2半荘連続の飛びでも、この道長い私は極めて冷静なものである。生意気な若僧の煽りなど、軽く流して大人の余裕だ。
 まあ確かにこの仕事をしていると、どうしても調子の悪い日は避けられない。そんなとき、やはり人は雑に打ったり、投げやりになってしまう

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東大を出たけれど76「赤跨ぎ」

東大を出たけれど76「赤跨ぎ」

 50円の店でメンバーを始めた知人がこんな話をしていた。
「一二三④⑤赤⑤22888 中中中(ポン) ドラ中

 満貫でトップですよ。赤※⑤切って聴牌取るじゃないですか」
 点5ということでご多分に漏れず赤牌の祝儀は100円である。なるほど確かに赤牌を放してその跨ぎで和了って、トップを決めた方が良いかもしれない。
「でもね、店長やお客さんに怒られちゃうんですよ。それがメンバーの麻雀か、って――。卑

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東大を出たけれど77「メッセージ」

東大を出たけれど77「メッセージ」

「お帰りなさい――」

 会社員のAさんが訪れると、私はからかい半分にこう言って迎えていた。
 Aさんは、夕方過ぎに店に現れて夜半過ぎまで打ち、店の奥で寝泊りをする生活をずっと続けていた。
 もともと週2、3回の来店だったのが、いつの間にか連日訪れる一番の常連客になっていたのである。
 麻雀の腕も達者なもので、こういう人は日々仕事に追われながらも牌の感触を忘れられないのだろうな、と共感を抱いていた

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東大を出たけれど78「放棄」

東大を出たけれど78「放棄」

 店の一角でセットに興じていたのは、最高位戦所属の麻雀プロたちだった。
 ルールは旧最高位戦の、一発裏ドラなし、ノーテン罰符なし、和了り連荘という非常にストイックなものだ。最近巷のインフレルールの台頭に反して、こうした競技志向の麻雀の良さが見直されつつある。こういう麻雀を知ることで、一手一手の重みや面白さを再認識することができるのだ。
 面子の一人に、田中巌という若いプロがいた。彼は歌舞伎町の雀荘

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東大を出たけれど79「地下鉄」

東大を出たけれど79「地下鉄」

 いつものように、自販機で買ったカップのコーヒーを手に地下鉄に乗る。
私の出勤するこの時間帯は特に空いているし、車両端の窓枠にはちょうど紙カップ一つ分置けるスペースがあって、職場へ着くまでの間の僅かなコーヒーブレイクを愉しむのが私の日課だった。
 車内で行儀は悪いかもしれないが、他に客もほとんどいないのだ。多少の図々しさは大人の常というものだろう。

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