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失われた飯を求めて③同志社大学・同志社女子大学編

こんにちは。
本編もいよいよ京都市内に入ってきましたが、大学銀座ともいうべき今出川通り界隈を語るとなると、避けて通れない話題があります。
そう、閉店してしまったお店についてです。
「あそこによく通った」「あの店の食事で自分はできている」というくらい、卒業生の方々が強い思い入れを抱くお店。そうしたお店の存在は非常に貴重ですが、残念ながら時代を経て閉店してしまっているところも多いのが実情です。
それは、今まで見てきた慶應・早稲田の学生街も同じ。

大きな私立大学のそばに、学生街あり。
それは関東・関西ともにそうなのでしょう。
それぞれの地域で文化もあり、どちらが合うか、人によっても好みはあるでしょうが、実は早稲田と同志社には、交換留学の制度があります!

何となく、同志社というと関東でいうと慶應カラーなのかな?と最初は思っていましたが、交流があるのは早稲田。慶應は関西学院に近いのでしょうか?ともあれ、関東と関西、どちらの生活も体験できるというのは、とても面白そうです!
では、早稲田に続いて、同志社大学・同志社女子大学の失われた名店を紹介してまいります!


わびすけ

やはり、多くの方が名残惜しむのは、こちら。
地下鉄の今出川駅を出てすぐ、1階にアパマンショップが入っているビルの隣にあったわびすけ。
名物の「いもねぎ」はまさに同志社のソウルフードだったのではないでしょうか。じゃがいもとひき肉とタマネギを炒めて卵でとじる、元祖オムレツのようなメニューですが、シンプルゆえに心に残る料理で、多くの卒業生の方が思い出として語り、自宅で再現されている方も多いようです。

畏友・古山雅之氏による再現

卵の固まり方にも個性が出そうですね!

ニュー北京

わびすけのちょっと北にあった町中華、ニュー北京。
隣にあったゲーセンとともにノスタルジックな学生のための店、という感じでした。回鍋肉丼などが人気で、ゼミの飲み会は必ずこの店、というところも多かったようです。
恐らく慶應でいうところの「つるの屋」に近いポジションの店だったのではないでしょうか。
学生時代から入り浸っていた先生方、職員さんたちがその後も使い続けたのでしょう。

馬馬虎虎

新町校舎のすぐそばにあった定食屋さん。
とにかくメニューの数、ボリュームともに多かったお店です。
お隣の伴海さんは現在も営業されていて、天ぷらのテイクアウトなどができるようです。

うさぎ屋

こちらは2010年~2016年までなので、期間としては短かったですが、打ち上げ花火のようにインパクトのあったお店だと思います。


ヤサイ少なめニンニクカラメ@烏丸寺之内時代

「ラーメン荘 夢を語れ」出身の店長が営んでいたお店。
最初は大宮上立売を上がった住宅街の中にありましたが、烏丸寺之内に移転、再びもとの場所に戻って、その後閉店されたようです。
要は二郎系ですが、京都を出る前、最後の食べた二郎インスパイアがこちらでした。
初めてお邪魔した時は大宮、最後に食べたのは烏丸寺之内でした。京都を去ってしばらくしてから、閉店を知ったという次第です。
こちらがソウルフードだったという方も一定数いらっしゃるのでは…などと思ったりしますが、どうなのでしょう。

ほんやら洞

今出川通を東に行くとあった「ほんやら洞」。私もよくお邪魔していました。
政治や社会、文化に対して一家言ある人が集まっていて、そこに行くとなかなか濃い繋がりができる。まさに学生街の象徴のようなお店でしたが、2015年に火事で焼失してしまいました。

店主の甲斐扶佐義さんは有名な写真家。写真集を多く出版されていますが、甲斐さんの写真には惹きつけられます。
木屋町のバー、八文字屋の店主としての顔も持つ甲斐さん。学生時代、どちらかのお店に一度はお邪魔した方も多いのではないでしょうか。

餃子の王将 出町店

最後はこちら。知る人ぞ知る、「皿洗いで食事代タダ」というお店です。
私も京都勤務の時に何度も伺いましたが、流石に「皿洗いします!」と言い出す勇気もなく、普通に注文してお金を払って帰りました(笑)。
1982年からこのサービスを始めていて、話題性も手伝って地元の学生に愛されたお店でしたが、2020年、惜しまれつつ閉店しました。

…が、それで終わりではなかったのです!!

というわけで、升形商店街の中で復活を果たしました!

こちらの新店にも、是非お邪魔したいですね!!

閉店は寂しいもの。でも、その後にでてくるお店があったり、時には蘇ったりするお店もあります。
街の新たな物語を追い続けていきたいですね。


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