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失われた飯を求めて②早稲田大学編


まずはお詫びから

こんにちは。
引き続き失われてしまったソウルフードについての記事です。

慶應を書いたので、次は全国…

…と、軽く考えていましたが、甘かったです。

書ききれません!(笑)
全国はちょっと先送りして、地域を絞ることにしました。

じゃあ、慶應の次は早稲田…

…もっと甘かった。
早稲田、多すぎです!(笑)

知人に聞いても、どんどん名前が出てきます。
しかしも、記事もどんどん見つかる。
流石早稲田、学生街としての規模も大きく、思い出の店も多い上に、
思い出を形として残そうとするメディア関係者も大勢いらっしゃるのでしょう。
大変失礼いたしました。勉強不足でした。
そのコンテンツの多さと思いの強さに土足で踏み込むのは不遜だと思いましたので、ご紹介をいただいたところは名前と参考になるリンクを載せて置くにとどめて、自分の思い出があるところについてのみ、詳しく書かせていただきます。

珍味

稲穂・ほづみ・西北亭

レッドピーマン

エルム

信州そば 立ち喰いはせ川

とんかつ フクちゃん

キッチンカナリア

ライフ

こ、この盛りは…。


というか、既に同じコンセプトで記事を書かれたパイオニアがいらっしゃいました…笑

ここと張り合っても仕方ないので笑、以下では、私が行ったことのあるお店について書いていきます。

シャノアール 早稲田店

えー、早稲田界隈で一番お世話になったお店です。
「ソウルフードかよ?」と突っ込まれると苦しいところはあるのですが、
学生街にとって喫茶店は欠かせません。
もちろん学生さんにとって、というのもあるのですが、
出版社の編集にとっても非常に欠かせないものなのです。

例えば、レトロな雰囲気を味わいたいなら、
多少テーブルや椅子に年季が入っていてガタついたりしても大丈夫なお店に入って、のんびりコーヒーを飲みながら、文庫本を読んだりするというのもよいかと思います。
ただ、こちらはチェーン店の強みか、テーブルも椅子もしっかりしていて、
広さもそこそこあったので、申し訳ないですが原稿やゲラを広げて読んだりしていました(笑)。

早稲田大学の先生に原稿をお願いすることも多かったので、打ち合わせの前の最後の確認をしたりするために早めに大学の近くに行き、コーヒーを飲みながら粘っていたのを思い出します。

だったら別に会社で確認してくればいいじゃん、というのはその通りなのですが、社会人になってから9年間、京都で働いていたため、東京は出張でくる街だったのです。
そのため、新幹線で終わらなかった仕事を、最後の悪あがきでここで片付けた、ということが何度もありました。

というわけで、本当の意味でお世話になったお店でした。

シャノアール 早稲田店の跡。お世話になりました…。

三朝庵

馬場下町の交差点の東南角、今はファミリーマートがあるところにあったお蕎麦屋さんです。

実は「カツ丼発祥の店」と言われており、カレーうどんやカレー南蛮もここが発祥だと言われている日本のソウルフード史上に輝く名店中の名店。
しかし、そんなことに関心のなかった10年前くらいの私は、普通に蕎麦を頼んだだけでした。
打ち合わせの流れで先生と一緒に入店し、「レトロな雰囲気ですね~」などと言いながらお蕎麦を食べていました。
ああ、今からタイムマシンに乗って「おい、カツ丼喰え!」とか言ってやりたいところですが、それもかないません。
失われて初めて気づくことって多いですね。
勿体ないことをしたと思います。

メーヤウ(文キャン前時代)

すいません、2020年に復活されたので、「失われた」かというと、ちょっと違うのですが、場所も変わっているので、昔の場所の思い出をちょっと書かせてください。

戸山キャンパスのそばにあったころ
チキンカリー。辛くて旨い!

学生時代、実は早稲田によく来ていました。
早稲田のサークルと提携していたということもあったのですが、
高校時代の友人は早稲田に進学した人が多く、それもあったので
早稲田に行くときに呼び出して一緒にご飯を食べにいっていたのです。
初めて教えてもらった店は、今も健在の「キッチンオトボケ」。そして次がこちら、メーヤウでした。

ただそれだけのことか、というと、そうではなく、
中に入ると、早稲田の女子学生さんがアルバイトをしていました。
すると…。

「あれ?東くん?」

バイトさんは、僕が高校生の時に通っていた予備校でTAをしていた方だったのです!
高校生の時、大学生の先輩ってすごく大先輩に見えたりするのですが、その方がまさかのバイトで入られていて、教育系の仕事とは違った顔を見ることができたのです。人はいくつもの所属先を持つということがすごく新鮮で、ちょっと気恥ずかしいような、でも何だか秘密を知れたような、不思議な気持ちでした。

そしてチキンカリーとラッシーを注文。
実は、ラッシーを始めて飲んだのがここ、メーヤウでした。
甘くて美味い!その後、インドカリーのセットといえばラッシーを頼むようになりました。

そんなわけで、味もさることながら、この、階段をちょっと上がって入る場所に、記憶が残っているんですよね。
最後に訪れたのは2016年。その翌年、一時閉店となりました。

学生街のソウルフードって、もちろん味への愛着もあると思うんですが、場所の持つ力も大きいような気がします。
特定の年代に見た景色が、その後も残っていても嬉しいし、失われてしまったとしても、心に止めておける。

とはいえ、場所を変えても、昔の大将が新たな場所でお店を始めたら、やっぱり応援したくなりやすよね!最後はやはり、人なのだと思います。

今回は少し短い記事になりましたが、その最大の理由は、早稲田でよく訪れた店の多くが、まだ現役で営業しているからです。
今度、早稲田の(現役)ソウルフードを書くときにまた、改めてご紹介したいと思います。
今の早稲田メーヤウさんも、訪れてみたいと思います!

次の「失われた飯を求めて」は同志社大学・同志社女子大学編です!


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