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Dとは何か?柄谷行人の交換様式において。

柄谷行人が7月3日に東京大学で行った講演について論じたい。講義のテーマは要約すれば、交換様式においてD=Xとは何なのかと言ってよかろう。 柄谷行人が出したヒントは以下の3点だった。 1.Dは交換ではない。 2.交換が物神を産む。 3.世界はもっと酷い事になる。 しかし、Dの定義については、柄谷は口を濁す。 講演の後に見つけた下記のサイトに、柄谷の活舌の悪い講演より、分かりやすく交換様式が説明してある。 http://www.kojinkaratani.com/jp/pdf/2

    • 映画『ドライブ・マイ・カー』評論 蘇生と自己分析

      映画『ドライブ・マイ・カー』のを評論する前に、作中で重要な役割を担うチェーホフの『ワーニャ伯父さん』とその時代背景をおさらいしたい。年表にするとこのようになる。 1897年『ワーニャ伯父さん』(1897年秋に出版) 1904年『桜の園』初演 (1月17日、モスクワ芸術座) 1904年 チェーホフ没 (7月15日) 1905年 ロシア第一革命 1914年 第一次世界大戦 1917年 ロシア第二革命 (社会主義国家樹立) 『ワーニャ伯父さん』は田園生活4大戯曲の一

      • マトリックス・ レザレクションズの身体性

        映画「マトリックス レザレクションズ」への数々のレビューを見てみると、賛否がちょど半々な模様である。支持派はこれまでのマトリックス・シリーズの展開とウォシャウスキー姉妹の人生を不可分なく融合させた作品として賛辞を送っている。反対派は、アクション、画像に革新的なところが無く、三流のアクションSFを見させられて不快だというものだ。 両者とも批評として目新しい視点はない。支持派は主人公がネオ(男性:トーマス・アンダーソン=キアヌ・リーブス)からトリニティ(女性:キャリー=アン・モス

        • 成瀬巳喜男,シンエヴァンゲリオン

          シン・エヴァンゲリオンをアマゾン・プライム見て納得できない感情のまま、成瀬巳喜男の「稲妻」を見る。納得できない映画を見た後、私は成瀬の映画を見ることが多い。成瀬巳喜男は世界的に評価されてる映画監督で、うるさ方のシネフィルにもすこぶる人気が高い作家である。例を上げれば、蓮實重彦。 ここで成瀬は学校の校庭にある踏台の上に二人を座らせ、その距離を会話の進展につれて近づけたり遠ざけたりする動きとともに、その場面を二人の切り返し、そして最初と最後に簡潔なロングショットで二人の姿を収める

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          資本主義の親友は共産主義

          ここで書こうとしている事は、資本主義のAufheben (揚棄(ようき)=廃棄)でもなく、共産主義への賛美でもない。二つの対立する概念が余りにも酷似していることの驚きを記述するのが目的である。 まず資本主義から定義しよう。資本家と言えば富裕層であるが、富裕層はキリスト以前からも存在したが、ここでは近代の資本家の事を指す。具体的にはフランス革命後、国民国家と産業革命が成立した後の富の蓄積である。産業の近代化が起こる前に、大きな動きがあった。それはヨーロッパ諸国による植民地運動で

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          『草を刈る娘』プログラム・ピクチャーを読む

          『草を刈る娘』はプログラム・ピクチャーと呼ばれる企画ものの映画である。 話の筋は以下のようになる。(抜粋) 津軽平野に秋がくると、この地方では草刈り隊ができて二週間ほど馬草を刈る。近くには温泉もあり、若者たちには楽しい年中行事だ。十八才のモヨ子は草刈り隊のリーダーそで子婆さんに連れられて、初めてこの草原に来た。同じころ、近くの草原に富田集落の草刈り隊が来た。そのリーダーため子婆さんとそで子婆さんは大の仲よしで、毎年この草刈りで結婚話をまとめるのが楽しみ。こんどもそで子婆さんが

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          エイリアン: コヴェナント-無意味を創造するもの

          映画と言うのは無意識の産物だと思う。民族的にも社会的、経済的にも、映画はまさに人間に向かって投影する。エイリアン: コヴェナントはエイリアンシリーズで初代エイリアンを担当したリドリー・スコットがプロメテウス に続きメガフォンを取ってる。ここでエイリアンシリーズの映画批評もリドリー・スコット論を語る気はない。他の作品からの引用だの、監督のインタビューだの、哲学、民俗学、心理学だのと言った道具はこの映画を語る上で余り重要ではない、というか映画を語る上で映画史などなんの意味があるの

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          国民は不良債権である

          このエッセーはフランス革命から加速主義に至るエッセイである。 フランス革命の成立で明らかになったのは、戦争=フランス軍が国家(教育、選挙、民主主義)の誕生の起源であれば、人民は常にその暴力に向き合う事になる。国家の元に推奨された技術=科学=産業は人民をモデル化=鋳型=モダン=近代化し(『大衆とは平均人である』オルテガ)、同じ欲望を抱かせる。しかしそこには階級=根拠はない。 ハンナ・アーレント「大衆社会とは部分社会がない社会である」 ブルジョアはブルジョアの価値観を、労働者

          国民は不良債権である

          「早すぎて遅すぎて」を読む

          原題 Trop tôt, Trop tard (1980-81/101分/16mm) 監督:ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ 撮影:ウィリアム・ルプシャンスキ(第一部) 第一部:フランス革命 シトロエンが70年代のパリ市内を走行する。二人乗りのバイクが横切る。 日時も、正確な日付も分からないが、日の光から午後に近い時間のようだ。季節も初夏か、晩春か、定かではないが交通人の様子からほんのちょと肌寒いのかも知れない。その前に小鳥の鳴く音と教会の鐘の鳴る音が漆黒のタイ

          「早すぎて遅すぎて」を読む

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          原題 Trop tôt, Trop tard (1980-81/101分/16mm) 監督:ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ 撮影:ウィリアム・ルプシャンスキ(第一部) 第一部:フランス革命 シトロエンが70年代のパリ市内を走行する。二人乗りのバイクが横切る。 日時も、正確な日付も分からないが、日の光から午後に近い時間のようだ。季節も初夏か、晩春か、定かではないが交通人の様子からほんのちょと肌寒いのかも知れない。その前に小鳥の鳴く音と教会の鐘の鳴る音が漆黒のタイ

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          白鯨またはモービィデックを読む

          白鯨またはモービィデックを読む ハーマン・メルヴィル『白鯨 Moby-Dick or, The Whale』 田中西次郎訳 語源と文献(序文) はじめから読者は戸惑う、これは小説なのか?冒頭40ページに及ぶ鯨についての博物的教養が羅列する。 「白鯨」が出版された1851年の時代背景を知っていた方が、読書の手助けになるであろうから、ここに記する。 1760年 産業革命がイギリスで1760年代から1830年に起こる。 1843年 イギリスで世界最初のパッケージツアーが事業

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