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マトリックス・ レザレクションズの身体性

映画「マトリックス レザレクションズ」への数々のレビューを見てみると、賛否がちょど半々な模様である。支持派はこれまでのマトリックス・シリーズの展開とウォシャウスキー姉妹の人生を不可分なく融合させた作品として賛辞を送っている。反対派は、アクション、画像に革新的なところが無く、三流のアクションSFを見させられて不快だというものだ。
両者とも批評として目新しい視点はない。支持派は主人公がネオ(男性:トーマス・アンダーソン=キアヌ・リーブス)からトリニティ(女性:キャリー=アン・モス)に変化したことが、今作の監督であるラナ・ウォシャウスキーのトランスジェンダーとしての人生を正当化する物語としても秀逸だとしている。映像作家ラナ・ウォシャウスキーの誕生を祝福している。これは、マトリックス レザレクションズの最後に、ネオとトリニティは全人類(LGBTを含む)のためにマトリックス(男性社会)をより幸福な世界へと改変するべく旅に出るという結末にも符号している。そこでは映画体験は一旦無視される。整合性が大切なのであって、外連味のあるアクションは排除される。当然SFアクションを期待したファンにとっては屈辱的である。マトリックス・レザレクションズで重要なのはラナ・ウォシャウスキーをマトリックス(男性社会)からの解放であり、マッチョなカンフーが売り物だった一作めの男性性は封印されなくてはならない。今作品でもネオは防戦一方であるし、銃=ペニスの乱用はない。ある意味みごとにLGBT映画になっている。
しかし大いに疑問が浮かぶ。そもそもマトリックスとは何だったのかと言う疑問である。『アニマトリックス』(2003年)でマトリックスの歴史的背景が説明させる。シンギュラリティに達したロボット=マシーンが人類に対して反乱を起こしたのがその発端となる。ロボット=マシーンは奴隷のように酷使され、処刑される。イメージ的にはホロコーストのユダヤ人狩りと大量のロボット=マシーンの死骸をブルドーザーで処分する画像が挿入される。人類はロボット=マシーンのエネルギー元である太陽光を遮るために、原子爆弾を使用、地球を太陽光の当たらない世界に変えてしまう。第二次世界大戦の愚行を二度も繰り返す人類に、ロボット=マシーンは共存の道を閉ざす。人類に地球を任せってはいけない。そのあとの展開はファンには説明するまでもなく、人類を太陽エネルギーに変わるエネルギー元として、飼育するために必要な精神安定剤としてのマトリックス=仮想世界を創造することになる。ここで重要ななのはマトリックス=ゲーム(天才ゲーム・クリエーターのトーマス・アンダーソン=キアヌ・リーブスがプログラムしたゲーム名前)が現在の人類にとって不可欠だということである。現にゲームは単に娯楽の域を超え、人生に組み込まれている人間は多い。
No Game, No Life.
それゆえ、ネオとトリニティは今作品の最後でもマトリックス=ゲームを破壊する事はできない、出来る筈もない。マトリックス=ゲームのない人生など人生ではないからである。マトリックス=ゲーム=インターネットからの覚醒など既にありえない世界に我々は生きている。現実を見ろ、ゲームの外に出ろ、SNSの虜になるな、どれも陳腐な説教でしかなく、すでに我々はモービル・デバイスにプラグインした身体性を実装されている。外した瞬間に別世界に追放される存在である。
メタ・バースが包括的に我々をマトリックス=ゲームに取り込むであろう事は容易に想像できる。
次に反対派のアクション、画像に革新的なところが無いという批評である。まず一作目のマトリックスにはほとんどCGが使用させてない。そこには創意工夫があったと言ってよいだろう。しかしCGはプログラムのプラットホームであり、最近のポップ・ソングと同じく、ほとんど同じ機器、プログラムが使用さる。そこには革新的な画像や音源はない、スマホがあれば誰でも出来る画像、音源しか流通していない。
CGは身体性のみならず、新しさ=創意工夫を去勢したプログラムである。今日の映画に斬新的な画像やアクションを求めるべきではない。実際どれもこれも同じデーター・ベースのCGでありアクションの集積でしかない。唯一反対派を満足させるにはVR装置付きのマトリックス レザレクションズの鑑賞であろう、そこには少なくても身体性(=痛み)が組み込まれる。
この痛みの感覚はこれからの大きなトレンドになる可能性はある。その予言はデヴィッド・フィンチャーが「ファイト・クラブ(1999年)」で示唆している。痛みこそが、生の実感であり、それ以外はすべて幻想である。奇しくも、公開はマトリックスの一作目と同年である。
因みに私はマトリックス レザレクションズを見ていない。
映画体験を否定する映画を見る気はしないからである。
映画体験とは光源的体験である。その光=太陽を閉ざしてしまったマトリックスのプラットホームに興味はない。
そして私はゲームはしない。別な世界の住人である。


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