映画『ドライブ・マイ・カー』評論 蘇生と自己分析

映画『ドライブ・マイ・カー』のを評論する前に、作中で重要な役割を担うチェーホフの『ワーニャ伯父さん』とその時代背景をおさらいしたい。年表にするとこのようになる。

1897年『ワーニャ伯父さん』(1897年秋に出版)

1904年『桜の園』初演 (1月17日、モスクワ芸術座)

1904年 チェーホフ没 (7月15日)

1905年 ロシア第一革命

1914年 第一次世界大戦

1917年 ロシア第二革命 (社会主義国家樹立)

『ワーニャ伯父さん』は田園生活4大戯曲の一つであり、演劇の名作と評価されている。基本は没落貴族のドラマであり、いずれの話もその家族の妻、娘たちが運命に翻弄される様を描いている。その中でも『ワーニャ伯父さん』のヒロインのソーニャが、運命に立ち向かう決意を主人公ワーニャに語りかける幕切れのセリフはこの戯曲の核ともいえる部分であり、チェーホフ劇の中でも最も美しいセリフとして親しまれている。

歴史を振りかえれば、特権階級(地主)がロシア革命により、それまで農奴から搾取した利益を手放なす事に対する愚痴と恨みつらみが描かれてる戯曲である。ロシア革命前夜の物語であり、動乱の予兆が伝わってくる。(チェホフの父方の祖父エゴールは農奴だった)

チェーホフの名言:幸福な人間が良い気分でいられるのは、不幸な人々が自己の重荷を黙々と担ってくれているからに過ぎない。

The happy man only feels at ease because the unhappy bear their burden in silence.

没落貴族の物語は世界中で小説として戯曲として語られ、太宰治の『斜陽』(1947)はアントン・チェーホフ大きな影響を受けている。

(Wiki)

太宰は妻子を連れて津軽の生家、津島家に疎開、終戦を迎えた。GHQの農地改革が発表され、大地主だった津島家も人や物の出入りがなくなり、がらんとした様子を見た太宰は「『桜の園』だ。『桜の園』そのままではないか。」と繰り返し言っていた。太宰は長兄・文治の書棚からアントン・チェーホフの戯曲集を借りて読み、生家を帝政ロシアの没落貴族になぞらえていた。

映画『ドライブ・マイ・カー』の主人公の家福(カフク)は役者であり、演出家で、『ワーニャ伯父さん』の演出を行うために広島市を訪れてる。多国籍言語の演劇を得意とし、出演者の半数は外国語で『ワーニャ伯父さん』を演じる。

作中で家福(カフク)は「チェーホフは怖い」と言うセリフを吐く、がその意味は語られない。

チェーホフの演劇の特徴として登場人物の饒舌さが特徴としてある。チェーホフの演劇は日常会話を基本としており、会話劇なのだから饒舌な登場人物が出てきても不思議ではないが、自分の思ってもいないことまでもしゃべってしまう。言わなければいいことも口に出してしまう。どこに本意があるか分からない程に登場人物は饒舌になる。

ワーニャ: 一生を棒に振っちまったんだ。おれだって、腕もあれば頭もある、男らしい人間なんだ。……もしおれがまともに暮してきたら、ショーペンハウエルにも、ドストエーフスキイにも、なれたかもしれないんだ。……ちえっ、なにをくだらん! ああ、気がちがいそうだ。……お母さん、僕はもう駄目です! ねえ、お母さん!

主人公のワーニャは一種の農奴であり、ショーペンハウエルにも、ドストエーフスキイにもなれる可能性はワーニャにはないが、言わずにいられない。もちろん当時の農奴がこのような愚痴を吐くとは考え難い。

「チェーホフは怖い」の意図する所は、自分の吐いた言葉が主人公自身を傷つけてしまう、それだけではない、セリフ自体も虚無に吸い込まれることをチェーホフは示唆している。だからチェホフはこの演劇を悲劇ではなく、喜劇とよんだ。

チェーホフのセリフは劇場の空を舞い、悲劇を追い抜き喜劇へ吸い込まれる。

しかし、『ワーニャ伯父さん』に笑いを誘うセリスはない。

『ワーニャおじさん』最後の感動的なヒロイン・ソーニャのセリフもロシア革命の多難な前途を考えると、素直に受け止めることは出来ない。

ソーニャ: でも、仕方がないわ、生きていかなければ! (間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。

チェーホフは恐ろしいほど演劇のセリフの虚しさを知っていた作家と言ってよい。話せば話すほど、希望を語れば語るほど、役者のセリフは虚無の中にすり抜けていく。

ここで映画『ドライブ・マイ・カー』のセリフを検証してみよう。

妻の浮気相手の高槻(家福の主宰する劇団の役者、ワーニャ役を演じる)が主人公の家福に話しかける。家福は妻(音・おと)が複数の男性と不倫していた理由が分からないと高槻に話す。高槻がそれに答える。

「他人の心の中を覗き込むことは難しい。本当に他人を見たいなら自分自身を深くまっすぐにみつめるしかないんです」と時折涙ぐみながら、家福に語りかける。

(家福と妻の音は4歳の娘を肺炎で亡くしている。その後、妻の音はSEX依存症になり、SEX中に巫女のようにドラマの話を思いつくシナリオ・ライターとなる。愛し合っている夫婦に見えるが、関係は既に崩壊している)

ラスト近く家福がドラバーのみさき(23歳、家福の娘が生きてれば同年代の、無口な女性。母親から虐待を受けており、自宅が地滑りで崩壊した時、母親を瓦礫の中に見捨てた過去がある)へ許しを請うように独白する。

「僕は正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。見ないふりを続けた。だから音を失ってしまった。永遠に。生き返ってほしい。もう一度話しかけたい」

感動的なセリフであり観客の涙腺が緩むシーンである。

小説『ドライブ・マイ・カー』と映画『ドライブ・マイ・カー』のラストには相違がある。小説『ドライブ・マイ・カー』のラストは妻の浮気の原因について、ドラバーのみさきが主人公の家福へ「女の人にはそいゆうところがあるんです」「そいうのって、病のようなものです」と、慰めるように語る。

家福は「そして僕らは皆演技する」と答える。

ある意味チェーホフ的な回答である。

そこには救いもなければ絶望もない。役者のように演じながら人生をやり過ごすしかない。そして我々は自分を演じる自分=アバターをある程度見つめることが出来るが、決して自分=存在を見つめることはできない。

妻の浮気相手の高槻「本当に他人を見たいなら自分自身を深くまっすぐにみつめるしかないんです」とは正反対の視点がある。

(映画『ドライブ・マイ・カー』の方が『ノルウェイの森』以降の村上春樹的蘇生の物語である。誠実な主人公が、いわれのない(不条理)な出来事=運命に遭遇し、それを乗り越え、蘇生する物語。)

<スラヴォイ・ジジェク>

自分自身を精神分析するという考えにはうんざりします。この点において、私はある種保守的なカトリック的悲観主義者と言えるでしょう。自身の深淵を覗くと、大量のクソが見つかると考えるのです。もっとも知るべからざることだと言えます。

自分自身を深くまっすぐにみつめるても見えるものは大量のクソである。

ニーチェ:「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

自分自身とは近代的な幻想でしかない、捏造された主体であるが、主体を否定すれば統合失調症になるざるを得ない、非常に不安定な存在である。

チェーホフの名言:神経病や神経病患者の数が増えたのではない。神経病に眼の肥えた医者が増えたのだ。

映画『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹以上に村上春樹を演じてしまっている。それではこの映画はつまらないのかとい言えばそうではない。手放しで評価できる映画ではないが、光るところがある。

映画『ドライブ・マイ・カー』には最後ちょっとた逆転がある。劇中劇である『ワーニャ伯父さん』の主役の高槻が殺人容疑で検挙されたため、家福がワーニャを演じることになる(そもそもワーニャ役は家福の十八番)。そのヒロインであるソーニャ役の韓国人女優は聾啞者である。彼女は手話で最後の「生きていきましょうよ」を言葉に出来ないセリフを手話で演技する。映画『ドライブ・マイ・カー』は『ワーニャ伯父さん』と同じく会話劇であり、役者のセリフと演技に乖離が生じれば、観客は興味を失ってしまう。

演劇のセリフが危ういことはチェーホフは熟知していた。ソーニャの「生きていきましょうよ」のセリフは劇中で最もも危ういセリフである。

セレブリャコーフ教授に25年間搾取され、自暴自棄のワーニャに生半可な慰めを言ってもむなしく言葉は散々するだけであろう。

チェーホフの名言:優しい言葉で説得できない人は、いかつい言葉でも説得できない。

手話により危ういセリフは空中で散々する事を辛うじて免れる。

しかし、その演出は成功もしてなければ失敗もしていない。ドラバーのみさきは観客として『ワーニャ伯父さん』を観劇している。みさきは家福にとってもう一人のソーニャであることは、映画を見ている観客には分かる。家福=ワーニャはこの二人のソーニャによって救われ、蘇生の物語は終わる。

「生きていきましょうよ」のセリフは二人のソーニャで支えるしかない程、危うい。

我々は、人生において何度も「生きていきましょうよ」と言わなければならない。蘇生しては殺され、また蘇生する。「生きていきましょうよ」という危ういセリフである故、我々な何度でも繰り返す。

人生、七転び八起き、余りに陳腐なことわざ故に、我々は立ち竦む(たちすくむ)かもしれない。

その時必要な事は自分で運転することではなく、他人に身を委ねること(Dive My Car=家福はみさきに愛車のサーブを任せる)が最良の選択なのかもしれない。

後日談として、みさきは韓国に渡り、家福の愛車と同じ赤いサーブを運転している。みさきの隣には愛犬が同乗している。そこには祈りのようなものを感じたのは偶然ではないだろう。

チェーホフの名言:たとえ信仰は持っていなくとも、祈るということはなんとなく気の休まるものである。


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