さよならチャーハン

どう考えても、ご飯は何回かに分けて炒めるべきだった。

業務用の馬鹿でかい中華鍋を前に、途方に暮れる。

中華鍋の中では、私が何も考えずぶちこんでしまった20人分の白ご飯が音をたてていた。木べらでかき混ぜるが、当然のことながらパラパラにはならない。それどころか、混ぜても混ぜても、ご飯の「白い部分」がなくならない。もっとこう、全体的にチャーハン色にしたいのに!

どうしよう。最後の最後で、とんでもない失敗をしてしまった。

このチャーハンが失敗であることは、見た目にもあきらかだ。「見た目アレだけど食べてみたら意外と美味しいね」ってことは、たぶんない。

その日は、3ヶ月間住み込みで働いた山小屋の仕事を終えて下山する日だった。当時その山小屋には、下山するスタッフが最後にまかないを作る「さよならまかない」というルールがあり、私はスタッフ全員の昼ごはんを作っていたのだ。

◇◇◇

23歳のとき、生まれてはじめて山小屋でバイトをした。バイトどころか、登山すらはじめてだ。履歴書を送るまで、北アルプスが何県にあるのかも知らなかった。

そんな私がなぜ山小屋で働くことにしたのか。端的に言えば、家出だ。どうしても実家を出たかったけど、部屋を借りられるほどの貯金はない。家を出てなおかつ貯金するには、住み込みのバイトしかない。私はリゾートバイト感覚で山小屋に来た。

◇◇◇

寝食を共にする山小屋では、スタッフ同士の距離が縮まりやすい。

ということはつまり、恋も生まれやすい。

そりゃあそうだ。20代~30代の男女が一つ屋根の下で毎日毎日一緒に過ごすのだから、テラスハウスみたいなものだ(当時はラブワゴン)。

私も例外ではなかった。ある日、30代のKさんに告白された。

Kさんとは仲が良くて、一緒にいてラクだった。たまたま休暇がかぶったとき、二人で松本パルコの本屋さん(今はない)に一日中入り浸ったことがある。私は小説と現代短歌が好きだけど、Kさんは「現代短歌はまったく興味がない」と言う。でも、私が穂村弘さんの歌集を見つけて「これ、すごい好きなやつ」と言うと、Kさんは真剣な顔でいくつかの短歌を読み、少し笑ったり、「僕はこれが好きだな」と指さしたりした。興味がないと言いつつちゃんと読んでくれたことが、なんだか嬉しかった。

告白の返事は保留にしてしまった。

Kさんのことはけっこう、好きだ。けど、恋愛感情ではない気がする。かなり惚れっぽい私が惚れてないということは、それはつまり、惚れてないのだ。

かと言って、ふってしまうのも嫌だった。

山の仕事が終わっても、彼と一緒にいたかった。一緒にいるとラクだし、楽しいのだ。

でも、恋じゃないのに付き合ってもいいんだろうか。私は惚れっぽいから、他に好きな人ができてしまうかもしれない。Kさんだって、今は山小屋という巨大ラブワゴンにいるから私のことを好きだと錯覚しているだけなんじゃないか。山を降りたら魔法が解けるんじゃないか。

それに、山小屋バイトが終わったあとのことが、まだ何ひとつ決まっていない。どこで何をして生活するか。彼氏ができたら、その存在も踏まえて今後の身の振り方を決めなきゃいけなくなる。

そんなことをぐるぐると考え続けるうち、私をこんなに悩ませるKさんに腹が立ってきた。

下山までには答えを出さなければいけない。

◇◇◇

とうとう、下山日があと数日というところまで迫ってきた。

私は思い切ってKさんに返事を告げた。私と彼は恋人同士になった。

◇◇◇

下山当日。「さよならまかない」は、チャーハンにした。

馬鹿でかい中華鍋で、まずは具の野菜を炒める。香ばしい香りが立ち上る。

すると、隣で仕込みをしていたミヤちゃんが話しかけてきた。

「ねー、サキちゃんて彼氏いるの?」

もう3ヶ月も山小屋にいたけど、私は自分の恋バナをする機会がなかった(話題を提供してくれる子が他にたくさんいた)。ミヤちゃんも、恋バナをする最後のチャンスだと思ったのだろう。

「うん、できたよ」
「えっ、ここで!? だれだれ!?」

ミヤちゃんが大声を出す。炒め物の音がうるさいから、声が大きくなるのだ。

「Kさん」
「えー! マジで! えっ、どっちから告ったの? いつから?」

ミヤちゃんがものすごい勢いでまくしたてる。もちろん大声だ。私は急に恥ずかしくなってしまった。

「……私からなわけないじゃん」
「えっ、じゃあKさんから?」

ますます恥ずかしくなる。たぶん私は真っ赤になっていて、でもそれをミヤちゃんに悟られたくはない。彼女の追及を振り切るように、用意していたご飯をすべて中華鍋にぶち込んだ。

炒めはじめてすぐに後悔した。どう考えても、ご飯は何回かに分けて炒めるべきだった。


その日の昼ごはんは、ところどころ白くて味がない、おはぎのような食感のチャーハンになってしまった。

みんな、ちゃんと私の失敗をネタにして笑ってくれた。「食べられなくはないよ」「大丈夫」とフォローもしれくれた。Kさんもミヤちゃんも、笑いながら食べていた。

◇◇◇

あれから11年が経ち、料理の腕も少しは向上した。チャーハンはたまに作る。パラパラに美味しくできるときもあれば、少しベタっとしてしまうこともある。

少しベタっとしたときも、Kさんは「美味しい」と言って食べてくれる。

私は今、彼と同じ苗字を名乗っている。

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