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一般人がnoteに一ヶ月毎日エッセイを書いてみた。

noteを毎日更新して今日で36日目になる。

月間の全体ビューは12,000くらい。フォロワーは130人くらいだ。最近この記事をnoteの「おすすめ」に取り上げてもらってから増えた。note公式のメールやTwitterで紹介されればもっと増えるんだろうな、と思う。

この記事は「一般人が毎日更新したところで数字的にはこの程度だよ」ということを言いたいわけではない。

数字の話ではなくて、無名の一般人のエッセイを読んでくれる人が存在する事実について、書きたい。


私は毎日エッセイを書いている。

夫とのなれそめや、普通はスルーする話題をいちいち拾う人が好きという話。

18年前の夢が思いがけず叶ったことや、恋してる友達を見ると過剰に照れてしまい動悸と息切れがする自分がつらい、という話など。

まったくもって読んだ人の役に立たない記事ばかりだ。


私にとって「役に立たない記事」は自虐ではない。

むしろ、褒め言葉だ。

私は「役に立たないけどなんか好きなもの」を愛していて、自分の文章が誰かにとってそういうものであれば最高に嬉しい。


◇◇◇


先日、こんな記事を書いた。

起業コンサルに「素人のエッセイに需要はありません。読者にとって有益な情報を書きましょう」と言われた起業女子たちがこぞって同じような自己啓発ブログを書き始め、まるで個性を吸い取られる管理社会もののSFみたいだった、という話だ。

私は、一般人がノウハウ系の記事を書くことが悪いとは思わない。有益なノウハウが書ける人は羨ましいし、それが私にとって必要な情報であれば読みたい。というか、読んでいる。

だけど私は、そういった記事が書けない。専門性や詳しいジャンルがないのだ。

そう考えたとき、私は誰よりも私に詳しいことに気づいた。

私は、私のことなら書ける。

元山小屋スタッフで元不登校、元バックパッカーの私が、体験したことや感じたこと。それだったら、書ける。というか、それしか書けない。

だから、36日間エッセイを書いている。


◇◇◇


「こんな記事、誰が読むんだよ」

いつも、そう思いながら書いている。

でも、読んでくれる方はいる。しかも、嬉しいことにnoteやTwitterに感想のコメントをいただくことも増えてきた。

つい最近Twitterで知り合った素敵な方には、こんなことを言われた。

「サキさんの書くY君に会いたくなって読んじゃう」

説明すると、これは私が書いた後輩のY君を激推しする記事への感想だ。

その方にとって、「29歳の卑屈な山小屋スタッフY君」の情報はまったく役に立たないものだ。だけど彼女は、わざわざ時間を費やして記事を読んでくれた。それどころか、感想をくれた。

それって、「身に余る光栄」なんて言葉じゃ言い表せないほど喜ばしいことじゃないか。

一日は24時間しかないし、睡眠時間を除けば16時間くらいしかない。そして、労働や家事や食事の時間を除くと、インターネットに割ける時間は(通勤時にスマホでネットしてるとして)トータルで2時間もないだろう。

なのに、その貴重な時間をY君の記事に充ててくれたのだ!

なんて無駄!(言わずもがな褒め言葉です)


◇◇◇


私の書くエッセイは、読んでもメリットはありません。

でも、もしもあなたが、役に立つノウハウやライフハック、自分を成長させてくれる記事ばかりを読んで、ちょっと疲れてしまったら。

そんなときは、吉玉サキのエッセイを読んでください。

薬にはならないけど、胃もたれもしませんから。



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