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私は「スーパーマン」ではない

『自分と他人を許す心理学』という本からです! よろしければどうぞ!


  私はスーパーマンになりたかった。
 美人が頭が良く、性格が良く…というものだ。まあ、誰もが抱く幻想だ。
 しかし、現実の作者はスーパーマンと程遠い人間になってしまった
 「現実の自分」とスーパーマンとを比べて悩んだり後悔をしていたら、本当に死んでしまう。

人間のすることに完全はない

 人間は1,000歳まで生きられないように、完全にはなれない。
 人間のすることに完全はない。

ここまで頑張ったのだから「もうこれで十分」と思うことである

 ここまで頑張ったのだから「もうこれで十分」と思うことである。
 もう十分頑張った。
 もう十分することはした。
 これ以上望まない。

何故なら、ここまで頑張ったのだから

 そして、これから起きることは望むことであれ、望まないことであれ、それを受け入れる。
 何故なら、ここまで頑張ったのだから。

実は貴方は既にスーパーマンなのである

 初めに「私はスーパーマンではないと自覚すること」と書いたが、実は貴方は既にスーパーマンなのである。

無駄とお遊びは、仕事と同じように大切

 執着性格者は無駄が嫌いである。
 しかし、生きている以上、少しくらいの無駄は避けられない。
 そして成長の過程では、無駄とお遊びは、仕事と同じように大切なのである。
 それに、うつ病になるような方はもう十分効率よく生きてきた。

元々ここまで来たこと自体がすごいこと

 「あー、こんなことをしなくてもよかったのに」と後悔するのではなく、「これもまた私の人生」と今を受け入れる。
 「あそこでもっと頑張っていれば、こんなことはなかったのに」と思うか
もしれないが、元々ここまで来たこと自体がすごいことなのである。

よく頑張った。もうこれで良い。

 原点を忘れてはいけない。
 悔しがらないこと。
 よく頑張った。もうこれで良い。これ以上頑張ることは、元々無理なのである。

無駄はだれの人生にもある。

 無駄はだれの人生にもある。無駄の人生はない。そしてその無駄はどこかで活きているのである。

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