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アダルトチルドレン・毒親サバイバーの方が自分らしい人生を取り戻すヒント②


1. なにが許せない気持ちを生み出しているのか?

 

前回の記事の中で、心のわだかまりの中でも最も手強いものは「許せない!」「許さない!」という恐怖を伴った気持ちだとお話ししました。

もう少し具体的に言えば「ダメな自分」「無力な自分」「弱い自分」「惨めで情けない自分」「劣った自分」「愛されていない自分」「魅力がない自分」「価値がない自分」「期待に応えられない自分」「周りに失望される自分」のことが許せないし、「自分を許せない自分」のことも許せない……。
許せない自分がたくさんいるのに、それらを必死になって隠そうと頑張っている自分のことも許せないし、もっと言えば、自分という存在そのものが許せなければ、こんな自分に育てた親のことも、この社会のことも許せない……。

そして、こうした思いを隠し持ちながらも、表向きはいい人のふり、できる人のふりをしている自分が周りにバレてしまうことが、生死に関わるほど恥ずかしいし怖いというお話をしました。

ところで、自分のことも周りのことも「許せない」という気持ちは、どんな時に生み出されているのでしょうか?

◉「許せない気持ち」が蓄積する10の典型的なケース


結論から言うと、それは

・親が望む条件を満たした自分以外は受け止めてもらえないという感覚
・ありのままの自分とは違う役割を演じさせられる(背負わされる)感覚

の蓄積と言えます。

では具体的にどんな時にこうした不快な感覚を蓄積するのか典型的な10個のケースで見ていきたいと思います。

これから紹介するケースは、単独で行われるというよりも、複合的に、かつ反復継続して行われる場合が多いものです。

「その時の自分はどんな気持ちを感じていたのだろう?」と、心の内側と照らし合わせながら読んでみてください。

 ケース①「性格や能力に対する一方的な決めつけ」が許せない

(例)「あなたには無理」「あなたには似合わない」「どうせ途中で投げ出すんだろ」「お前は引っ込み思案だ」

例示の通り、「あなたは◯◯だ」「あなたは○○できない」など、親が一方的に子どもの能力や性格などを決めつけてくるというものです。

こうした決めつけは、実は親自身の特性(特にネガティブ系の感情:劣等感、無価値感 など)を投影しているケースは少なくありません。

そもそも性格や能力的なことについて、親の遺伝的な影響は、あっても50%で残りは環境的要因と言われています。つまり、いくら親から受け継いだものがあったとしても、親が持ち合わせていない特性を開花させる可能性は50%も残っているのです。

百歩譲って、子ども自身が自分について十分理解している領域について親が決めつけてくるならまだしも、潜在的に持っている未知の可能性を含めて、親の一方的な色眼鏡で制限してくるわけですから不快に思うのは自然なことと言えます。

 ケース②「一方的に服従させること」が許せない

(例)「いいから黙って言うことをきけ」「あの子とは二度と遊ぶな」「こんなもの早く捨ててしまえ」「なんでこんなことするの」

まるで刑務所や軍隊にでもいるかのように、有無を言わさず「あれをしろ」「あれはするな」と一方通行の命令に従わされるというものです。

これは、先の「性格や能力を一方的に決めつける」といったケースに加え、私たちが生まれながらに持っている基本的人権の一つで、誰からも制約も強制もされず、自由に物事を考え、行動できる権利を指す言葉「自由権」をも理不尽に侵害され、尊厳を傷つけられるのですから不快になるのは当然と言ってもいいでしょう。

他にも、「もっと勉強していい大学に入らないと、将来いい会社に入れないぞ」と親が言うとき、その言葉の背景には、「いい大学、いい会社に入ることが正しい生き方で、それ以外は間違った生き方」という親の価値観があります。
子どもは、そうした「価値観の押しつけ」にも自由権を侵害される苦しさ、辛さを感じることでしょう。

そして、こうした一方的な押しつけは、子どもの尊厳ばかりでなく、子どもの「自己信頼感」をも傷つけてしまいます。

こうした価値観の押し付けには、例えば「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい(お兄ちゃんは我慢するべき)」「お兄ちゃんの邪魔はしないの(お兄ちゃんの邪魔をするべきではない)」など、「べき論以外の考えは断固として受け入れるつもりがない」という圧倒的なメッセージが隠されています。
そのため「親のべき論」を押しつけらると、子どもはありのままの自分を拒絶されたと感じ深く傷ついてしまうのです。

では、例えば「門限は◯時まで」「ゲームは一日◯時間まで」「食べ物に好き嫌いをしてはいけません」なども自由権の侵害になるのでしょうか?

答えは「NO」とも言えるし、「YES」とも言えます。

こうした命令の背景に「健やかに育って欲しい」「社会性を身につけて欲しい」といった子どもへの愛情があり、それを子どもにきちんと伝え、子どもが「私のことを思ってのことだから」と納得してくれていれば「NO」と言えるし、なんの説明もなく「いいから黙って親の言うことを聞け!」と、一方的に押しつけるのは「YES」になるということです。

 ケース③「恩着せがましさ」が許せない

(例)「あなたのためを思って言っているの...」「忙しいのにやってあげたんだから、感謝しなさい」「塾に通うお金のためにお母さん仕事増やしたから」

「あなたのために……」「あなたのことを思って……」一見すると優しい言葉、気遣いの言葉のどこに子どもはモヤモヤを感じるのでしょうか?

それは、罪悪感や羞恥心、無力感といった気持ちを背負わせられることへのモヤモヤと言えます。

親が子どもを心配したりあれこれ世話を焼くのは、少し乱暴な物言いと受け止められるかもしれませんが「親の自由」であり、子どもが「私の世話を焼きなさい」と命令したものではありませんね笑。ですので、そもそも恩を着せるような話ではありません。

にも関わらず、ことさら「あなたのために……」「あなたのことを思って……」と言われれた子どもは「自分のせいで申し訳ない……」「自分さえいなければ……」と「罪悪感」を背負わされることになり、これがモヤモヤを蓄積させていくのです。

もっと言うなら、そもそも感謝の気持ちとは自然に湧き上がるものです。恩を着せられたからといって、子どもの心の中に感謝の気持ちが湧くとは限りません。ですが、遠回しに感謝を要求してくるため、子どもは「感謝している自分」を演じなければならなくなります。この役回りがさらにモヤモヤを生み出すのです。

 ケース④「勝手な期待」が許せない

(例)「いつになったら結婚するの?」「どうして子どもをつくらないの?」「ちゃんといい会社に就職してね」「あなたはやればできる子だから」

「健やかに育ってほしい」「優しい子に育ってほしい」「社会の役に立つ子に育ってほしい」こうした期待は、親であれば自然に持つものと言えますし、親が子どもに理想のイメージを持ち、子どもに期待をかけることは別に悪いことでも問題でもありません。
子どもも、親の喜ぶ顔が見たいし、褒めてもらいたい、認めてもらいたいと思って親の期待に応えようと頑張ります。

ですが、子どもの気持ちや個性、向き不向きなどを尊重することなく、一方的に親の期待を背負わせるとなると話は全く別です。

例えば、公園に遊びに行った際、知らない子どもたちの中でいつまでもモジモジしている我が子の様子を見て「どうして自分から遊ぼうって言わないの?」と親が言ったとき、子どもは親から「社交性」「積極性」といった期待をかけられていることを実感し、なんとか親の期待に応えようと勇気を奮い立たせることでしょう。
でも、どうしても「一緒に遊ぼう」と自分から声をかけられない……。
そんな時に「あなたはやればできる子だから」と、さらに期待をかけられたとしたらどうでしょうか?
その期待の一言に背中を押されて「一緒に遊ぼう」と言えるかもしれません。
ですが、「私はもう十分に勇気を出そうと頑張っているのに、親から見たらなにもやっていないっていうこと?」と、子どもは親の期待に応えられていない自分を情けなく恥じると共に、親は自分の頑張りを認めてくれていないという不信感を抱くかもしれません。

ちなみに、親の「過度な期待」が子どもにどのように影響を及ぼすのかについて、脳科学者のジョン・メディナ氏は著書の中で、

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