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アダルトチルドレン・毒親サバイバーの方が自分らしい人生を取り戻すヒント#1


プロローグ


どんな悩みにもとりあえず親子関係を聞いてみることが「鉄板」な理由

「人とすぐに打ち解けることや、新しい環境に馴染むことが苦手」

「わけもなく悲観的な考えで頭がいっぱいになって気持ちが爆発しそうになることがある」

「人に心を開けない、自分を出すのが苦手。周りから自分がどう見られているのがすごく気になる」

「経験のないことをするとき『失敗したらどうしよう』と不安で一杯になって、全て投げ出して逃げたくなる」

「何をしても心から満たされたことがない。心にいつも空洞が開いているように感じる」

「結局、誰にも自分をわかってもらえない、誰からも受け入れてもらえない、誰も信じられない、自分以外はみんな敵という思いがある」

「自分にはなんの取り柄も、長所も、アピールポイントもなにもないという実感が拭えない」

こうした個人的なお悩み相談をこれまで何百件も受けてきた中で、必ずと言っていいくらい最初にさせていただく「鉄板の質問」があります。

それは「なるほど。今のお悩みが◯◯だということはわかりました。ところで、親御さんとの関係ってどうなんですか?」というもの。

なぜ、この質問が「鉄板」なのでしょうか?


それは、抱えている悩みを辿ると、9割の確率で「親子関係で生じている心のわだかまり」が根っこにあって、ときにそれは人を病気にするほどのストレスをもたらしていることがこれまでの経験からわかっているからです。

そして、「心のわだかまり」を解きほぐすことができると、驚くほど人生が好転していく姿もこれまで何度も見てきました。


その「心のわだかまり」とは具体的になんなのでしょう?

それは追々解説していきますが、心のわだかまりの中でも最も手強いものは「許せない!」「許さない!」という恐怖を伴った気持ちです。


でも、誰を許せないのでしょうか? 何に恐怖しているのでしょうか? 

それは、ストレートに言えば「ダメな自分」「無力な自分」「弱い自分」「惨めで情けない自分」「劣った自分」「愛されていない自分」「魅力がない自分」「価値がない自分」「期待に応えられない自分」「周りに失望される自分」のことが絶対に許せないのです。
そうやって「自分を許せない自分」がいることも許せないし、そんな自分を必死になって隠そうとして頑張っている自分のことも許せない……。
もっと言えば、自分という存在そのものが許せないし、こんな自分に育てた親のことも、この社会のことも許せないのです。

そして、こうした思いを隠し持ちながらも、表向きはいい人のふり、できる人のふりをしている自分が周りにバレてしまうことが、生死に関わるほど恥ずかしいし怖いのです。

こうした思いにテコ入れしないまま、いくら目の前で起きている悩みに取り掛かっても、「一難去ってまた一難」を繰り替えしては疲弊するばかり……。そうして人生はどんどんハードモードになっていくのです。


こうした知見を踏まえ、本記事ではいわゆるアダルトチルドレンの方、毒親サバイバーの方が、心のわだかまりを取り去り、自分らしい心の自由を手に入れるための方法をシリーズで紹介していきます。

【注意事項】
かなり「許せない!」背景にはかなりセンシティブなそれぞれの事情があります。そうした個別の事情を紐解いていくには、少しまどろっこしく感じるかもしれませんが「順番」が大切だと考えています。
そのため、本記事はぜひ#1から順を追ってお読みいただくことを強く推奨します。


毒親・アダルトチルドレンネタが危険だと思う理由


しかし正直、「アダルトチルドレンネタ」「毒親ネタ」はとても危険なネタだとも思っています。
というのも、親子が100組あれば100通りの「当事者にしかわからないクオリア」が確実に存在しているはずだからで、いくら僕が言葉を尽くしても「私のケースとは違う」と一蹴されてしまう可能性があるからです。

さらに言うなら……

「恨んでいるけど愛されたい」
「許せないけどわかり合いたい」
「離れたいのにそばにいたい」
「親からひどい仕打ちを受けてきたのに、逆に親を可哀想だと思う」
「親とは認めることができない。でも、子どもとして甘えてみたいし認められたい」

こうした二律背反する複雑な思いを抱いているケースや、自分の弱さからくる生きづらさを親のせいに丸投げして現実逃避しているような場合、自分の内面にある「わだかまり」を見つめ解きほぐそうとする取り組みは、その人にとっての「パンドラの箱」をこじ開けることになりかねない、非常にリスキーな試みとも言えるからです。

ちなみに、僕が記事を書いている無料メルマガ『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』の中で、過去に毒親やアダルトチルドレンをテーマに、半年近く記事を配信したことがあります。そのときには、記事を読んだ読者の方が「パンドラの箱」を勝手にこじ開けないように……。読者の方が不用意に流れ弾に当たらないようにビクビクしながら、喉になにかが挟まったかのように、かなり回りくどく書いていたところが正直ありました。


ですが、今回は読みたい人が自由意思で読む媒体です^^


ですから、「配慮のための配慮」にエネルギーを奪われる心配もありません。

だからといって「とにかくこれをやってみましょう!」と、唐突になんらかのアクションを無茶ぶりするつもりも全くありません。
むしろ、運転免許を取る時のように、段階を踏みながら少しずつ「当事者にしかわからないクオリア」を解いていけるように構成していきます。


少し長いシリーズになるかと思いますが、本シリーズを通して、あなたが自分らしい心の自由を手に入れるお手伝いができれば嬉しいです。


毒親という言葉が生み出す光と影


本題に入る前に、「毒親」について一緒に考えてみたいと思います(アダルトチルドレンについては、こちらの記事を参考にしてください)。

「毒親」というシンボリックな言葉は、スーザン・フォワード著「毒になる親」が1990年代の終わりに日本で紹介されて以来、

” 毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親 ”
” 子どもが厄介と感じるような親 ”
” 子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親 ”

を指す概念的な言葉として知られるようになりました。

それまで自分が抱えている生きづらさの原因を「親や環境のせいにしてはいけない」と、一人で抱え苦しんでいた人たちにとっては、「おかしいものはおかしい!」と声を上げるきっかけにもなるし、自分を肯定し、癒しを与えてくれる一筋の光になると思います。

しかし、その一方では、自分が自立できないことを正当化するための言葉、思い通りにならない現実を責任転嫁するための言葉として使われたり、かけがえのない育児体験の「不安材料」になってしまう言葉として使われるという弊害も起きていると感じています。


なぜこうした弊害が起きてしまっているのでしょうか?


それはいうまでもなく「毒親」「アダルトチルドレン」は概念であって、それらを客観的に測る物差しがないからと言っていいでしょう。


とはいえ、性的行為を強要する親、執拗な暴力など恐怖で支配する親、子どもの目の前でDVを繰り返す親、最低限の文化的生活の権利を剥奪する親は、そもそも「親」以前に、児童虐待防止法をはじめ関係法令に抵触する「不法行為者」「犯罪者」であって、行政や司法の介入が必要な分野であることから、本シリーズで言うところの「親子問題」の範疇には入れていません。

(※もしも、あなたが現時点でもなんらかの被害を受けているのであれば、法律に訴えるかどうかは別にしても、速やかに物理的に距離をおき心身の安全を確保した上で、しかるべき機関に相談することを強くお勧めします)


そのため、本シリーズの中では、以降「毒親」というビッグワードは使いません(※どうしても使用する場合には、都度、何がしかの「毒となる根拠」を明示するようにします)。

それと「アダルトチルドレン」についても、できる限り使わないようにします。というのも、抽象化された概念ほど自己洗脳が起きやすいからです。


ということで、エピローグはここまでです。

これからの本シリーズでは、贅沢とは言えないまでも普通に衣食住を与えられた。病気や怪我をした際には医療機関に連れて行ってもらえた。普通に教育の機会も与えてもらったなど、「定型的な子育て」はしてもらった。
でも、その一方で、漠然とした、あるいは強烈な違和感やしんどさを親に抱き続けてきた。それが「わだかまり」となって心にこびりつき、いつも人生に暗い影を落とし続けている……。
こうしたことで悩んでいる方が、自分らしい人生を取り戻すために必要な「マインド」から「具体的取り組み」について順を追ってお伝えします。


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