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「心配お化け」対「明るい自分」

Photo by aries_sunrise. Thanks. 
全文無料。投げ銭サンクス。

自分からは遠い距離にあるSNS世界を眺めているとネガティブ依存症のひとが結構いることに気づく。わたしも災害直後はニュースを仕入れることが自分の生活に直結していたため、ネガティブも大量に抱えてしまった面があり、甘えや無防備があったと反省することもよくあった。

ときには感情を悪いほうへ激しく揺さぶるニュースは見ないことが賢明である。ひとは70億人いる。その闇を背負い過ぎても解決にならない。日々の疲れを癒したり、徹底して自分が楽で居られる城を築いておくことは必要最低限だと思う。

他人がどうしたこうした、それは自分の行動でない。自分ニュースは一日どうだったかのほうが重要である。

もし最悪のネガティブで居続けるとどうなるか。頭痛が止まらなくなり、血流が悪くなり、頭を中心に身体のあちこちで炎症が起き、まともに眠れなくなることもある。そんな状態から物事が好転した試しは少ない。つまり精神論じゃない。物理的なこと。

べつにだれに押し付けたいわけじゃない。わかってる。ひとはひと。ひとの人生を別の人が決めることなどできない。ひとは自分で自分の人生を行動してその行動の結果を受け取っている。自分の様子の結果なのである。むろん少々の心配は将来に備えるためにも必要ですらある。

ただ、他人や時事に振り回され過ぎて心身ボロボロになってしまっているひとたちが、どのぐらい楽しく充実してよりたくさんの仕事ができるか。ほとんど期待できない。ひとは楽しいときのほうが圧倒的にフルパワーを発揮する。一度しかない人生をできるだけ小さなことから楽しもう。

いま生きていられるのは家族友人知人などのおかげ。自分だけで生きてるわけじゃない。いつまでも暗い世界に閉じこもってもひとが伸ばせる手の長さには限度がある。ついつい現状維持してしまっているだけ。そろそろ今までのことに感謝しつづけて明るい世界へ、勇気をもって進むんだ。

「もう幸せで充実してます」なんて言い続けると、周囲が自分に「もうだいじょうぶね」となって去っていくかもしれないという不安になったり、寂しさから他人の心配がうれしくて、ついついネガティブ依存になってしまいすぎるのは、自他ともに「心配お化け」になってしまうかもしれない。

自分のなかにわいてくる心配お化けに打ち勝とう。
孤独は素晴らしく豊かな時間にもできる。

バランスに気を付けよう。人生は平均台だ。その道は人間の脆弱さと同じで簡単に落下できるほど細い。マイナスは重要だがマイナスに振り切れて行き過ぎる先に待っているのは不毛地帯なのだ。むろん、どうしてもそこまで行きたいのを止めはしないが。ただ今そう思う思い出す。

もし準備が出来たら穴ぼこの底から、平行棒に両手で捕まって一歩でも二歩でも歩き出すことを始めればいい。ネガティブ渦に溺れていくひとを助けるのは自分も溺れるリスクがあるが、ポジティブになろうと陸上をゆくひとのことは気楽に補助しやすく、周囲に余裕も生まれ、明るい世界になる。

このひとと一緒にいると安心して明るい世界で居られるという安心感があれば人付き合いも長い関係でいられ、相互にポジティブな影響を与え合える関係性が築いていけるとわたしは考える。それが急に完璧など誰にでも無理だろうが、すこしでも向かえば、その世界のほうが大切になっていることにいずれは気づくだろう。

むろんひとは常に割り切れるわけじゃない。
あわいもある。境界もある。逢魔が時もある。
ただ、自分の向かうべき道を考えていたいんだ。

いま、自分がもっているけど、日常生活では当たり前になっているようなことを、数え上げてみよう。なんでもいい。あることがありがたいことだ。その内容についてどうこう考えるのはずっと後で良い。心配お化けになるのではなく、明るい雰囲気を発するひとであろう。

毎朝毎晩、笑顔を作ってみよう。

今はとりあえず家族、友人、知人、青い空、昼間、地球、自分、ゲーム、漫画、映画、四季折々、食べ物、花鳥風月、なんでもいい、いてくれてあってくれて嬉しい、もう自分にとって当たり前のことがあるだろう。でも、本当に、気持ちよく過ごせるような、大事にする生活ができているだろうか。

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