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仕事が楽しくなる話(3)【あるがままの自分は、迷惑行為になりえる?】

突然ですが、世の中のいろんな場面で、迷惑行為って存在してますよね。

私が真っ先に思い浮かぶのが、電車やバスのような公共交通機関での迷惑行為。

周りを気にせず大声で話したり、必要以上にスペースを占領していたり、ダイレクトに不特定多数の方を、不快にさせますよね。

こういった迷惑行為は、これ以外にも、学校、職場、運時中、ネット上でもあり、「人が介在する所に迷惑行為あり!」といった感じです。

少し話の毛色は、変わりますが、数年前に見た記事で、園児の声がうるさいから、幼稚園の建設反対!みたいなニュースがありました。

これは、建設予定地の近隣の住民にとっては、園児の声が、騒音という迷惑行為として、問題とされたケースなのでしょう。

あと日本の社会には、はじめから「立場が弱い:立場が強い」という構図が存在していて、例えば「学校:保護者」、「お店/会社:お客」、「役人:住民」のような場面などですが、

この立場が強い側の中には、クレーマーに変貌する人が稀に居て、その中には主張している内容の正当性に、大きく疑問を感じるものもあり、はじめから弱い立場が存在している日本では、こういうクレーマーの存在も、迷惑行為になると思います。


ところで、話はガラッと変わりますが、ここ数年 マインドフルネス という言葉を、よく耳にするようになりました。

私は、自己流の瞑想法を、日常生活に組み込んで、25年以上が経ち、なかなか良いものだなぁと、今になってもしみじみ思うのですが、

始めた当初は、ちょうどオウムの事件もあり、「僕、瞑想やってます。」と、気軽に言えるような、ご時世ではありませんでした。

ですが、ここ数年、クリエイティブな職業の方、健康志向の方などが、普通に瞑想とかマインドフルネスという言葉を、違和感なく話す時代になって、何気にうれしく思っていたりします。

また、こういった精神的な視点を、日常生活に取り込む人が増えたことで、ポジティブな思考、あるがままの自分、個性を大切に、といったような考え方に対する支持率も、近年高くなってきているというのが、私の印象で、個人的にはいい傾向だなと感じています。


でも、ちょっと待ってください。
ここで、私の中に疑問が生まれてきます。


冒頭の迷惑行為をしている人って、もしかしたら、その人の個性を、あるがままに、発揮しているだけじゃないの?

あるがままの自分を大切に、個性を大切に、と言われる時代でありながら、一方で「それは迷惑行為です」とジャッジされるのって、矛盾じゃないの?

という疑問です。


例えば、仲間同士で何か共同作業をしている時に、ある一人の行動が、残りのメンバーにとって、迷惑な行動だと感じられたら、現代の社会では、この一人の行動に対して、何らかの対策や指導がされガチです。

ですが、見方を変えると、一人がとった行動は全く同じでも、残り全員が、迷惑だと思わなかったら、どうなのか?という視点も、あって然るべきではないでしょうか。

つまり、行動自体が問題なのか、それとも行動を評価している側の、解釈が問題なのか、という2つの視点で考察する必要があるのでは?という事です。

「日本の常識、世界の非常識」という言葉がありますが、これは、日本人に共通する価値観をベースにした常識は、日本という局所的なエリアでのみ有効であって、世界で通用するものではないという意味で使われていると思います。

つまり、私たちが所属している集団(国家、企業など)には、所属する者が気付いていない無意識レベルで価値観を共有し合い、そしてそれがベースとなった常識が形成されていて、

この常識という基準で、人の行動をただ単純に評価しているだけで、当事者の個性や思考には、ほとんど関心を持たないまま、楽な評価をしているのでは?

と、書いていて、ちょっとゾッとしたのですが、その可能性は、まぁまぁありそうですよね。

そう考えると、先述した迷惑行為の中には、明らかに生き物として、大変迷惑で100%アウトな内容もありますが、そうでないケースも、少なくないように思えてきます。

さっきの園児の声がうるさい。。。というニュースなんかは、私は、典型的な受け取る側の問題のような気がしており、

子供の声=騒音、騒音=メンタル的なダメージ、と思考する人は、何故、連日子供と接近して過ごす保育士さんのメンタルは、子供の声で崩壊しないのか?を、説明して欲しいものです。

参考になるか分かりませんが、ある保育士の方の投稿した動画で、個人的にすごく大好きな動画です。


だいたい、私は子供の声が聞こえてくると、子供は元気でいいなぁと、活気のようなものを貰う感覚があって、一度もうるさいとは感じたことはありませんが、

もしどうしても、うるさく感じてしまう人には、是非積極的に子供たちと触れ合ってみて欲しいものです。

実際に、子供の澄んだ目でしてくる、かわいい質問を受けてみてください。
実際に、子供が見て見てと大声でアピールしている場面に、立ち会ってみてください。

そうすれば、子供の声は、騒音なんかじゃなく、ただただ地域の活力だと感じれるようになる気がするのは、私だけでしょうか。

いずれにせよ、もっとみんなにとって過ごしやすい社会に変わっていくには、周りの問題を炙り出す事より、私たち自身の、考え方や行動を見直した方が、上手くいくかもしれませんね。


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