【メジャ就 14/25】 私がアメリカでやってきたこと (1)

1A サリナス・スパーズ時代
1989年3月~1990年12月
わずか2年でGMに就任 24歳

私がアメリカのスポーツ・ビジネスの世界に飛び込んだのは1989年、23歳のときでした。

マイナー・リーグの1A、サリナス・スパーズのフロントに入り、ジョー・ブーザス氏の指導のもと、2年間、球団経営の実務に携わりました。

ブーザス氏は現在80歳を超える高齢ですが、若いときにはニューヨーク・ヤンキースのショートストップとしてプレーした元メジャーリーガーです。現役時代は短かったのですが、その後球団経営に転身。

これまで60球団を超える数のマイナー球団を買収しては、自らマネジメントし、球団の価値を高めたところで売却するという手法で大成功した「キング・オブ・マイナーリーグ」と呼ばれている名物球団経営者です。

最初のシーズン、私はオペレーティング・マネジャーとして、広告やチケットの販売から、スタンドでのビールやピザ、ポップコーン、プログラム売り、試合後のスタンド清掃まで、球団経営に関するありとあらゆる業務を行ないました。チームの遠征にも帯同し、宿泊や食事の手配など、日本でいわれるマネジャーの仕事もこなしました。

次の年、ブーザス氏はスパーズに新しいゼネラル・マネジャー(GM)を迎え入れ、シーズンをスタートさせました。

アメリカのスポーツ・ビジネス界は新陳代謝が激しく、特にマイナー・リーグでは能力が認められればすぐに上に引き上げられますし、反対に少数経営の中で力が足らない者は、すぐにクビになります。

厳しい世界ですが、それだけたくさんのチャンスが巡ってくるということでもあります。

その点、日本の球団フロントには新陳代謝があまりありません。営業の能力が認められて一気に上の役職に抜擢されたとか、営業成績が悪くて球団代表をクビになったとか。そんな話はほとんど聞かれません。

球団選手のことを考えればわかりますが、プロが働く現場であればあるほど、新陳代謝は激しくなります。

プロは成績が厳しく問われます。新陳代謝の少ないフロントとは、つまりプロがいないということです。営業成績を厳しく問われることがない分、新しい人材が入り込み、力を発揮する余地も多くありません。

もっとも、こうした構造は球団フロントに限ったことではありません。

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