ヨシ岡本

スポーツビジネスに精通し、日本人で初めてアメリカプロ野球の球団代表を務めた。帰国後、プ…

ヨシ岡本

スポーツビジネスに精通し、日本人で初めてアメリカプロ野球の球団代表を務めた。帰国後、プロ野球グッズの企画/販売をするOSMインターナショナルを創業。「メジャーリーグに就職する方法」の著者。詳細→ https://bit.ly/2K8nuBZ

マガジン

  • 【#メジャ就 】メジャーリーグに就職する方法 (ヨシ岡本)

    2002年に出版された本のデジタル版。「これから将来を決めていく若い世代にも届いてほしい」という願いをもって、リバイバルしました。 スポーツ界で働きたいという方は"社会人・学生問わず"に読んでみていただきたいです。 私にできるサポートがあれば、喜んで支援します。本マガジンの最後に連絡先を記載しています。サポートが必要な方はご連絡ください。

最近の記事

【メジャ就 EXTRA】 スポーツ・ビジネス界を目指すあなたを、 私がバックアップします

私は自分の経験から、この本の中で一貫して、「アメリカにはスポーツ・ビジネス界で働ける、より大きなチャンスがある」と主張してきました。 チャンスは平等で、他のスポーツにも繋がっているアメリカのプロスポーツ界は、各分野のプロが経営・運営に当たっており、能力があれば民族や国籍、年齢、性別、学歴、宗教等に関係なく、力を試すチャンスが与えられるからです。 しかも、野球だけも200球団以上ものチームがあり、それぞれが独立した球団として経営されています。他のメジャースポーツの球団を合わ

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    • 【メジャ就 25/25】 おわりに

      私の好きな、「念ずれば通ず」という言葉を、もう一度読者の皆さんに捧げたいと思います。 もちろん、単に「念じて」、つまり「心から願って」いるだけで、望がかなうわけではありません。明確な目標を設定して、そこに到達するにはどうすればいいのかを常に考え続ければ、おのずと「何をすればいいのか」、その目標につながるヒントが見えてくる、ということです。

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      • 【メジャ就 23/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (5)

        アメリカで働くなら、アメリカを好きになろう最近、よく感じることがあります。 日本にはアメリカのメジャースポーツ界で働きたいと思っている若者が大勢います。最近はその数が年々増えています。 実際、アメリカの大学でスポーツ・マネジメントや、スポーツ・マーケティングの授業を受けている日本人学生がたくさんいます。現場で働くトレーナーの学科に在籍する日本人も増えているようです。日本国内の大学にも、ようやくスポーツ・マネジメントやマーケティングの授業が設けられるようになりました。 そ

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        • 【メジャ就 24/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (6)

          物事を色眼鏡で見ないネットワークを築くには、相手を良く知ることが大事になります。 相手が信頼に足る人物なのかを見極めることから始まり、相手の気持ちの奥底を理解することまで、常に相手のことをもっと良く知りたい、そして自分のことをもっと知ってもらいたいと心がけなければなりません。

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        【メジャ就 EXTRA】 スポーツ・ビジネス界を目指すあなたを、 私がバックアップします

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        • 【#メジャ就 】メジャーリーグに就職する方法 (ヨシ岡本)
          26本
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        記事

          【メジャ就 22/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (4)

          少しユニークな存在になる実際に会うときにも、ちょっと他とは違う戦略があれば、相手の印象に強く残るものです。 私はNBAのテレビレポーターをしたり、プロモーション記事を書いたりしていた関係もあり、NBAのコミッショナー事務局に出かけることがよくありました。そこではコミッショナーであるデビッド・スターン氏にも、ときどき会う機会がありました。

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          【メジャ就 22/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (4)

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          【メジャ就 21/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (3)

          紹介で会った方には、翌日礼状を出すアメリカでは、新しいネットワークを積極的に作ることを心がけましょう。特に、働き始めの、右も左もわからない状況では、それが肝心です。その点で、アドバイスできることがあります。

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          【メジャ就 21/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (3)

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          【メジャ就 20/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (2)

          生きている英語を学ぶ就職の相談者に対し、私がもう一つアドバイスしていることがあります。それは「英語」です。今や英語は、事実上の世界のビジネス公用語です。ヨーロッパでもアジアでも、英語を話すことができれば、ビジネスはほぼ進められます。 日本でも経済のグローバル化にともない、英語を社内公用語にする企業が現われ始めました。カルロス・ゴーン社長が経営を立て直しつつある日産自動車もその一つです。ゴーン氏は同社の社長に就任するとすぐに、英語を社内公用語にしました。 ところが、そこで大

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          【メジャ就 20/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (2)

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          【メジャ就 19/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (1)

          「就社」ではなく「就職」しよう青色発光ダイオードを開発し、2014年にノーベル物理学賞を受賞された中村修二さんを知っているでしょうか? 中村さんは、1999年にそれまで勤めていた日本の企業を退社。アメリカのカリフォルニア大学サンタバーバラ校に招かれ、現在教授として、アメリカの学生にその優れた知識を教えています。 その彼が、ある新聞のインタビューでこんなことを言っています。 「組織を頼れる時代はもう終わりです。アメリカは早くからそれに気づいて、個人の独創性と能力をはぐくむ

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          【メジャ就 19/25】 アメリカに来て気づいたこと、わかったこと (1)

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          【メジャ就 18/25】 私がアメリカでやってきたこと (5)

          独立後 1995年10月~ 史上初のアマチュア野球日本代表とメジャー球団の試合を実現 30歳(2)MLBインターナショナル ティム・ブロスナンの全面的な支援を受けるこれで山本さんから要望されていた合宿の中身は整えられそうです。 ところが、そこからが大変でした。対外的なスケジュール調整から会計まで、関わる雑務のすべてといっていいくらい、仕事はすべて私一人でこなさなければならなかったからです。

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          【メジャ就 18/25】 私がアメリカでやってきたこと (5)

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          【メジャ就 17/25】 私がアメリカでやってきたこと (4)

          独立後 1995年10月~ 史上初のアマチュア野球日本代表とメジャー球団の試合を実現 30歳(1)1995年10月、私はNBAニュージャージー・ネッツを辞めました。理由は私を誘ってくれた社長のジョンが、オーナーとの経営方針の違いからその年の8月に辞任したからです。 当時のネッツは弱小球団ということがあって、観客の入場者数も少なく、スポンサーシップの獲得も思うようにいきませんでした。そこでジョンは、球団のイメージを一新することを考えたのです。チーム名も、当然チームロゴも変更す

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          【メジャ就 17/25】 私がアメリカでやってきたこと (4)

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          【メジャ就 16/25】 私がアメリカでやってきたこと (3)

          NBA ニュージャージー・ネッツ時代 1993年9月~1995年10月 ミノルタの斬新な宣伝手法が、リーグ内で高い評価を得る 29歳マイティーダックスを正式に辞めたとき、私はすでにプロバスケットボール・リーグのNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)のニュージャージー・ネッツのフロントに入ることを決めていました。 私はここでも日系の大きな企業とスポンサー契約を結ぶことができました。

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          【メジャ就 16/25】 私がアメリカでやってきたこと (3)

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          【メジャ就 15/25】 私がアメリカでやってきたこと (2)

          NHL マイティーダックス・オブ・アナハイム時代 1993年4月~1993年9月 牛丼の吉野家を、米国で初めてスタジアム内に出店 27歳ポートランド・ビーバーズでの2シーズンを経て、いわゆるヘッドハンティングによりアイスホッケーのプロリーグ=NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)のマイティーダックス・オブ・アナハイムのフロントに就職したのは1993年4月、27歳のときでした。 マイティーダックスは、その年10月に始まるシーズンから新しくNHLに加わるチームで、ディズニー社の

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          【メジャ就 15/25】 私がアメリカでやってきたこと (2)

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          【メジャ就 13/25】 アメリカのプロスポーツ界は、私にチャンスを与えてくれた (7)

          「邂逅」と「縁」が私の生命を救ったところで、このアトランタ・オリンピックが「縁」で、私は小松先生という日本代表のチームドクターと知り合うことができました。 小松先生とはなぜか気が合い、先生からは日本に帰った折には食事でもしようと、声をかけてもらっていました。

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          【メジャ就 13/25】 アメリカのプロスポーツ界は、私にチャンスを与えてくれた (7)

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          【メジャ就 14/25】 私がアメリカでやってきたこと (1)

          1A サリナス・スパーズ時代 1989年3月~1990年12月 わずか2年でGMに就任 24歳私がアメリカのスポーツ・ビジネスの世界に飛び込んだのは1989年、23歳のときでした。 マイナー・リーグの1A、サリナス・スパーズのフロントに入り、ジョー・ブーザス氏の指導のもと、2年間、球団経営の実務に携わりました。 ブーザス氏は現在80歳を超える高齢ですが、若いときにはニューヨーク・ヤンキースのショートストップとしてプレーした元メジャーリーガーです。現役時代は短かったのですが

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          【メジャ就 14/25】 私がアメリカでやってきたこと (1)

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          【メジャ就 11/25】 アメリカのプロスポーツ界は、私にチャンスを与えてくれた (5)

          メジャー初、日本人スポーツ・マーケターの誕生ポートランドでの2年目の1992年。3Aでのマーケティング・オペレーションにも自信が持てるようになると、近い将来メジャーで仕事をすることが次の目標になりました。

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          【メジャ就 11/25】 アメリカのプロスポーツ界は、私にチャンスを与えてくれた (5)

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          【メジャ就 12/25】 アメリカのプロスポーツ界は、私にチャンスを与えてくれた (6)

          ディズニー本社からの熱烈なオファーもともと私は、目上の人から指示されたからといって、盲目的に動く人間ではありませんでした。 理由がわからない、理由が納得できないときには、「どうして?」「なんで?」と必ず聞く方でした。この姿勢の重要性は、後に改めて詳しく説明します。

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          【メジャ就 12/25】 アメリカのプロスポーツ界は、私にチャンスを与えてくれた (6)

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