知ることへの渇望


数年前に見たある風刺画をずっと忘れられずにいる。

人はみな同じ世界を見ているが
知識の差が、人の立つ場所を変える。

そして、同じ世界も見る角度を変えれば姿を変える。

知識の差が世界の見方を変える。

私は幸せな世界を見た。
私は幸せな世界が薄っぺらな板であることを見た。
私は薄っぺらな板の裏にある世界を見た。
私はその裏にあった世界の苦さを見た。
私は今、その先を知らない。

人は二つの世界を持っている。

一つは、広義での世界。
一つは、その人の定義する世界。

後者は──家庭内、友人間、会社内。
つまり自分の手の届く範囲。

一見して幸せな人はこの二つの世界にそれぞれいる。
前者は無知な人を指し、
後者は己の指す幸せを持つ人を指す。

大抵の人は、年を経ることで後者の幸せを掴みにいくことしかできなくなるだろう。
小さな世界の中で、自分が人より比較的良い場所に居さえすれば、きっとその人は上々と考える。

されども、本当にそれでいいのだろうか。

私はきっと満足できない。
だから前者での、広義での世界に幸せを望んでしまう。
それが如何に無謀かを知っているのに。
そしてその幸せが手に入らないことも知っているのに。

望みは必ずしも叶うものじゃない。

それ故に、私はこの先を知りたい。
未だ知らない幸せを見つけたい。

物を知る人は先を知る人。
先を知らない私は無知だ。

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